第462話 息を殺して迫る
ヴォーパルラビットの囮になるため、ラウンドシールドを手にしたシドが獣道をゆっくりと歩く。
本当はヴォーパルラビットが何処に潜んでいるかは知ってはいるのだが、そんな素振りはみせず、パーティの斥候として偵察に来ましたという風に周囲をキョロキョロ見渡しながら歩く。
そんなシドの首には、ヴォーパルラビットの攻撃から身を守るはずのネックガードがない。
実は重戦士の男性から、首元を守るネックガードを付けるように言われたシドだったが、自分の実は守れるから問題ないと、ボコボコのラウンドシールドだけ借りて、ネックガードだけは絶対に受け取らなかった。
シド曰く、
「ヴォーパルラビットの動きは既に見切ったから要らない」
ということだったが、俺はそれが嘘だということをすぐに見抜いた。
表情にこそ出さなかったが、汗だくの男性が差し出す、いかにも使い込まれただ防具を前に、シドは明らかに忌避感を抱いているのが耳と尻尾の様子からわかったからだ。
ただ、それがわかったのはシドとの付き合いが長い俺だけだったようで、四人組はシドが獣人だからそれだけのポテンシャルがあるのだろうと勝手に納得していた。
だが、実際にヴォーパルラビットが飛びかかってきた場合、シドが本当に首を守れるかどうかと問われると、五分五分といったところかもしれない。
故に今回の作戦は、シドに危険が迫る前に俺がヴォーパルラビットを倒せるかどうかにかかっている。
そのカギを握るのは、シドから受け取ったガードと呼ばれる鍔のない小振りのナイフだ。
俺はナイフの柄をしっかりと握ると、アラウンドサーチで確かめたヴォーパルラビットがいる場所を起点に、大きく迂回するように移動する。
隠密のパッシブスキルがあるので、ある程度距離が離れれば気付かれる可能性はかなり低いが、それでもなるべく音を立てないように、素早くヴォーパルラビットの背後を取る位置へと急ぐ。
「…………この辺か」
目星を付けていた目的地付近にまで歩いた俺は、愛用のナイフを腰から取り出すと、ヴォーパルラビットがいる場所をジッと睨む。
もし、俺がヴォーパルラビットの背後を的確につけているのなら、バックスタブのスキルが発動して、弱点となる黒いシミが見えるのだが……、
「…………駄目か」
背後を取れていないのか、それとも距離が遠すぎるのか、ヴォーパルラビットの弱点を示す黒いシミは見えない。
そのまま左右に移動して黒いシミが浮かび上がらないのを確認した俺は、距離が遠すぎるのだと判断して足音を立てないようにそっと距離を詰める。
これでもしヴォーパルラビットが俺の方を向いていたら、俺の首は成す術なく奴の突進によって刎ねられ、一瞬にして絶命するだろう。
「…………ゴクッ」
俺はなんとなく自分の首元が急に不安になって、堪らず首をガードするように手を当てながらも、ゆっくりと歩を進める。
一歩、また一歩と進む度に動悸が大きく、早くなり、砂を踏みしめるジャリ、という僅かな音が必要以上に大きく聞こえるような気がして気持ちだけが逸る。
早く……早く……もう見えてもいい頃だろ。
距離を詰め、左右に移動して方向を確認しながら、俺は黒いシミが一刻も早く浮かび上がるのを祈る。
気が付けば、彼我の距離はもう十メートルもない。
もしかして、俺が近付く気配を察してヴォーパルラビットが方向転換したのではないか……、
そう思い始めたその時、藪の中に黒いシミがジワジワと染み出すように浮かび上がる。
よかった……どうやら最低でも十メートルぐらいまで近付かないと、バックスタブのスキルは発動しないようだ。
アラウンドサーチのように積極的に実験をしてこなかったツケといえばそれまでだが、このスキルは命を奪うものだけに、大切な人は家族を実験台として使いたくなかった。
俺はそっと立ち上がると、獣道を進むシドに黒いシミが見えたことをアイコンタクトで伝える。
それにシドもアイコンタクトで「わかった」と応えると、歩く速度を速めてヴォーパルラビットへと近付く。
ただ、一直線には近付かず、あくまで斥候として安全を確認しているかのように装う。
自然、シドが左右に動くので、それに合わせてヴォーパルラビットも動いているのか、黒いシミが見えたり消えたりを繰り返す。
俺は黒いシミを凝視しながら、攻撃を仕掛けるタイミングを計る。
まだ……まだ、その時じゃない。
シドによると、今はまだヴォーパルラビットは全包囲を警戒しているので、奴の索敵範囲内に入れば、たちまち方向転換して襲いかかってくるとのこと。
おそらくだが今の十メートルという距離は、奴の索敵範囲ギリギリの距離のような気がする。
その理由は、あくまで感覚的な話なのだが、ここから先の空気が何だかチリチリと電気のような熱を帯びているような気がするのだ。
殺気、という言葉があるが、これが所謂ヴォーパルラビットが放つ殺気で、索敵範囲なのだと思う。
奴が殺気を周囲に飛ばしている時に攻めるのは、得策ではないということだ。
では、一体どのタイミングで攻撃を仕掛けるのがいいのか。
それは奴が、守勢から攻撃へと転じると決めたその時だ。
「…………」
俺は黒いシミを見つめると同時に、奴の周りの藪を注意深く見守る。
気が付けば、シドがかなり近い場所まで来ていることに気付く。
そうしてシドがヴォーパルラビットの索敵範囲内、十メートルの境界線を越えた時、俺の前方の藪がカサッ、と小さく音を立てていくつかの葉が舞う。
それはヴォーパルラビットが攻撃態勢へと移行した証だ。
――っ、ここだ!
すぐ前のチリチリとした熱が消滅しているのを確認した俺は、足を前後に大きく開くと、黒いシミを凝視しながらシドから受け取った小振りのナイフを構える。
「…………すぅ」
息を吸い、肺に空気を満たして呼吸を止めると、俺は右手に持ったナイフを真っ直ぐ振りかぶる。
…………余計なことは考えるな。頭をからっぽにしろ。
俺は師匠に言われたことを反芻しながら、黒いシミだけに意識を集中すると、
「シッ!」
短く息を吐きながら、右手を振り下ろしてナイフを投擲した。
オーバースローで投げられたナイフは、俺の描いた通りの軌跡で飛び、黒いシミへと真っ直ぐ吸い込まれていく。
次の瞬間「ギャッ!?」という背筋が凍るような悲鳴が聞こえ、ガサガサと茂みがは激しく揺れたが、囮となっているシドに脅威が襲いかかることはなかった。
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