第458話 ウサギを狩るために

 程なくして、俺たちの周囲に静寂が戻る。


「……どうやら勝てないと察して逃げ出したようだな」


 まだ周囲を経過する俺に、斧を肩に担いだシドが忙しなく三角形の耳を動かして周囲の様子を探りながら話しかけてくる。


「コーイチの道具のお蔭で、奴等の動きが見るからに悪くなったから、楽に勝てたぞ」

「そうか……そいつは何よりだ」


 俺が先程撒き散らした小瓶の中身の黄色い粉の正体は、からしの実をすり潰したものだ。


 これを水で溶けば大勢の人が想像するからしとなるのだが、実はこのからし、どうやら口にする生き物はかなり少ないようで、多くの野生動物は苦手としているようだ。

 バンディットウルフのような犬型の魔物もその内の一つで、これを口にしたバンディットウルフは、その苦しさに耐えられず、先程のように苦しそうにのたうち回るようになるというわけだった。


 俺たちには害はなく、魔物に対してこれだけ有効となるのなら、これからもからし粉の瓶を常備してもいいかもな。

 そんなことを思っていると、


「…………なあ、コーイチ。その……何だ……」


 なにやらシドが話し辛そうに声をかけてくる。

 一体何だろうと思いながらシドの次の言葉を待っていると、彼女は俺の服を指差しながら苦々しい顔をする。


「一人でバンディットウルフを倒したのはいいが、次からはもっとスマートに倒せよな」

「えっ?」


 シドの言葉で俺は返り血で汚れた自分の服を見てから周りを見渡して、はたとある事実に気付く。


 それは俺以外の誰も服を汚していないということだ。


 そして、どうしてシドがそんなことを言ったのかを、俺はすぐに理解する。


「――うっ、臭っ!?」


 戦闘中は興奮していて特に気にならなかったが、俺の服についたバンディットウルフの血がとんでもない悪臭を放ち始めたのだ。


「なっ? ほうひふわへほ」


 顔をしかめる俺に、鼻を摘まんだシドが水が入った革袋を差し出してくる。

 そして、身振りで服に付いた血を洗い流せと言ってくるので、俺は素直に忠告に従って水で服の汚れを落とした。



 血が乾く前だったので、汚れ自体はものの数秒であっさりと落ちたが、臭いは微かに残っており、今日一日はこの不快な臭いと共に過ごす羽目になりそうだ。


「あ~あ、魔物の返り血を浴びちゃったか」


 するとそこへ、倒したバンディットウルフを土に埋める後処理を終えた男性たちがやって来る。


「大丈夫? まだいけるかい?」

「ええ、大丈夫です。幸いにも怪我はしていませんから」

「そうか……君が示した場所まで後少しだ。後は見ているだけでいいから頑張ろう」

「はい、お願いします」


 どのみち今回は見学に徹するつもりだったので、その提案は非常にありがたい。


 俺は改めてアラウンドサーチを使い、ヴォーパルラビットがまだ移動していないことを確認すると、男性の後に続いて森の中を進んだ。




 パーティのリーダーである男性を先頭に、その後ろに俺とシド、少しおいて法衣を着た女性、しんがりを細身のスカウトの男性と体躯の大きな重戦士の男性というパーティ構成で森の中を進む。

 その途中、


「……なあ、あの自由騎士の兄ちゃん、バンディットウルフ程度に苦戦してたけど、大丈夫かな?」

「さあな、もしかしたら索敵しか能がないんじゃないのか?」


 後方の男性二人が、実に耳の痛い話をしているのが聞こえてくる。


「ちょっと、聞こえたら失礼でしょ!」


 すると、法衣に身を包んだ女性が慌てた様子で仲間たちを諫めていたが……時すでに遅しである。

 といっても、彼等の言うことに対して全く否定する材料もないので、俺としては精々、聞かなかった振りをするしかない。


「…………」


 ただ、彼等が俺のことを口にする度に、シドの耳と尻尾がピクッ、と反応するので、俺は彼女がいつ爆発するのかと気が気でなかった。




 その後も男性たちが冗談を口にする度に、シドが不機嫌そうにピクッ、と反応していたが、幸いにも彼女の怒りが爆発することはなかった。


「……着いたよ」


 そんな中、先頭で仲間たちの会話に参加することなく、真面目に地図とにらめっこをしていた男性が、足を止めて目的地に辿り着いたことを告げる。


「とりあえずここに、一匹目のヴォーパルラビットがいるはずだよ」


 そこは森の中にぽっかりと開いた、ちょっとした広場のようになった場所だった。

 半径十メートルほどの思ったより広い広場には高い木は存在せず、大きな岩が三つほどあるだけだった。ただ、鬱葱と茂る草は腰ぐらいまで高さがあり、視界は決して良くない。


 ヴォーパルラビットでなくとも、背丈の低い魔物がいかにも潜んでいそうな雰囲気に、俺はゴクリ、と喉を鳴らして溜まった唾液を飲み込みながら男性に尋ねる。


「ほ、本当にこんな場所で囮作戦をやるんですか?」

「何、いつものことだよ。それより、ヴォーパルラビットはまだここにいるのかい?」

「あっ、はい……」


 全く臆していない様子の男性に感心しながら、俺はアラウンドサーチを発動させる。

 今回はヴォーパルラビットを狩るための最終チェックとなり、このクエストの成否に大きく左右するので、慎重に調べようと思って脳内の赤い光点に集中する。


 そうして見えた場所は、三つある岩の二つ目のその足元付近だった。


「あそこです。あの岩の付け根の部分です……ただ、向きはどっちを向いているまではわかりません」

「なに、それだけわかれば大丈夫だよ」


 男性は自信を覗かせるようにニッコリと笑うと、後ろからやって来た一番体躯の大きな重戦士の男性に話しかける。


「とまあ、そういうわけだ。いつも通りやってくれるね?」

「へいへい、嫌だ。と言ってもやらされるんだろ?」


 重戦士の男性は呆れたように肩を竦めると、身に纏っている外套を外し、あちこち傷だらけのいかにも使いこんだ全身鎧フルプレートを露出させる。

 全身に鎧を着こんだ男性が囮役になるのは知っていたが、果たしてどうするのかと思っていると、重戦士の男性は思わぬ行動に出る。


 何と、ガシャガシャと派手な音を立てながら着ている鎧を次々と脱ぎ出したのだ。

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