第159話 夜空舞う王者

 アラウンドサーチで地形は把握できないのだが、俺の目が確かなら、赤い光点は地形を無視して真っ直ぐこちらに向かっていたような気がした。


 そんな動きをできる存在があるとすれば……、


「――っ!?」


 該当する生物について考えていると、何かに気付いた様子のシドの息を飲む声が聞こえ、


「危ない!」


 俺は体ごとぶつかってきたシドによって突き飛ばされていた。

 同時に、俺たちがさっきまでいた場所に突風が吹き、未補修だった屋根の河原が盛大に舞い上がる。


「う、うわああああああ!」

「クッ……」


 俺とシドは、抱き合った姿勢のままゴロゴロと転がる。

 数メートル進んだところでどうにか止まり、俺は混乱する頭を整理する為に、顔を上げる。


「な、何が……」

「馬鹿! 頭を上げんじゃねぇ!」


 思わず立ち上がろうとする俺の頭を、上に乗っていたシドが無理矢理押さえつける。

 次の瞬間、


「ヒッ!?」


 俺のすぐ目の前に瓦が落ちて来て、俺は肝を冷やす。

 い、一体何がどうなっているのか。

 状況を理解しようとするが、


「何をボサッとしてやがる。早く立つんだよ!」


 立つなといった矢先、今度は立てとシドから厳しい声が飛んでくる。


「早くしろ! 次に襲われたら避けられる保証はないぞ」

「えっ、な、何が起きたんだ?」

「まだ、わからないのか?」


 シドは俺を近くの民家の壁に押し付けると、そのまま俺の体に密着してくる。

 すると、必然的にシドの豊満な胸が俺に押し付けられるわけで……


 や、柔らかい。


 恐らく危機的状況に陥っているにも拘らず、本能でそんなことを思ってしまうのは仕方がないと思ってほしい。

 だが、そんな内心尋常でなくなっている俺に対し、シドはさらに俺に密着してくると、上を見ながら静かに話す。


「まさか、こんな街中であんな化物が現れるなんて……」

「えっ、化物って……」


 化物という単語を聞いた途端、俺の脳裏にまだ見ぬ魔物の名前が浮かぶ。

 勘違いであってほしい。そう願う俺だったが、シドは無情にもその名を告げる。


「イビルバッドだ……どうしてこんなところにいるのかは不明だがな」



 二日前、俺がミーファと見たイビルバッドは全部で三匹だった。

 その内の二匹は、街から二人の人を攫い、リムニ様たちが救出のために出撃した。

 では、残る一匹は獲物を捕らずに二匹と一緒に巣に戻ったのだろうか。

 答えは否、だった。


「だあああぁっ!」


 俺は迫りくるイビルバッドを前に、捨て身のダイブを決めて紙一重で回避する。


「がべっ!?」


 だが、華麗に着地までは決めることはできず、無様に顔面から地面に激突してしまったが、イビルバッドに連れ去られることと比べてば雲泥の差である。


「……クソッ」


 俺は流れてきた鼻血を拭いながら、上空でバサバサと激しく音を立てながら羽ばたくイビルバッドを見る。

 成人男性と遜色ない大きさのイビルバッドは、闇夜でも不気味に輝くオレンジ色の単眼を持つ巨大な蝙蝠だった。


 背中に見える羽こそ蝙蝠のそれだが、足は鳥と似たような形で長く、先端は鋭いかぎ爪が付いている。

 何度かのアタックを悉く回避されて怒っているのか「キィーキィー」と泣き喚く声は耳障りで、まるで黒板に爪を立てて引っ掻いたかのようだった。



 何度かのアタックで俺を捕まえるのを諦めたのか、イビルバッドは今度はシドへと狙いを定めて襲いかかる。

 だが、俺とは違ってシドの身のこなしは軽やかなもので、迫りくるイビルバッドをあっさりと回避してみせる。


「流石だな」


 着地まで華麗に決めたシドに、攻撃をあっさりと回避されたイビルバッドは、苛立ちを表すように空中で地団太を踏んでいた。

 あの様子なら、シドが間違っても捕まることはなさそうだが、


「……妙だ」


 ここに来て俺は、今の状況が明らかにおかしいことに気付く。


 イビルバッドが現れ、街中にまで被害が出ているにも拘らず、さっきまであれほど湧いていた自警団の連中が現れる様子がないのだ。

 近隣の人たちがイビルバッドに怯えて外に出てこないのは百歩譲って理解できるのだが、街の治安を守るはずの自警団が現れないのはどう考えてもおかしい。


 ただ、いつイビルバッドに襲われるかわからない状況で、アラウンドサーチを使うわけにはいかないので、最悪の事態を常に想定しておくことにする。


「おい、コーイチこっちだ。早く!」

「ああ、今行く」


 シドに呼ばれて、俺はイビルバッドの動きを注視しながら彼女の下へと急ぐ。

 俺が追いつくと、シドは隣並んで走りながら話す。


「コーイチ、この先に街に水を引いている水路があるのは知っているな?」

「えっ? あ、うん、そう……なの?」


 どちらかというと、街の外側にあるマーシェン先生秘密の薬草採取場の方を知っているのだが、中と外でそんなに差異はないと思われる。

 そんな俺の微妙な反応をどう思ったのか、シドは僅かに眉をひそめながら話す。


「……まあいい、とにかくそこに街の地下に下りる入口がある。そこに向かうぞ」

「そこまでいけば逃げられる?」

「わからない。でも、空を飛ぶ奴がわざわざ入るような場所ではないだろう」

「確かに……」


 この街に地下施設があるのは知らなかったが、考えてみれば、この街は上下水道が割としっかり整備されている。

 お蔭でファンタジー世界に迷い込んだ俺でも、飲み水やトイレの心配が殆どなかった。

 一部の人には理解してもらえると思うが、安心して入れるトイレ、マジ大事。

 そんな異世界の水回り事情を考えながらも、俺は必死になって足を動かす。


 俺たち二人が合流したことで、分散していたイビルバッドによる攻撃の激しさが増してしまうからだ。

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