最終章 16.決着

「何が起こってるんだ……!?」


「ケイスケ様! リラ様……!!」


 エダーとグダンの声が遠くから僅かに聞こえたと同時に黒神チェルノボーグから放たれた攻撃で体中に衝撃が走り、それはまるでこの肉塊がバラバラになり、粉砕したようだった。

 

 ――だが、立っていた。

 この二本の足はしっかりと地に踏み止まり、目の前の攻撃を抑えていたのだ。すると背中がとても暖かい事に気が付く。


『なぜ倒れない……! その女のせいだな……!!』


 黒神チェルノボーグの激怒した声がこの暗い洞窟中に響く。

 そして息着く暇もなく繰り出される攻撃が何度も降りかかる。だが、その攻撃はこの体へは当たらず、まるで自分の周りに障壁でもあるかのように跳ね退けたのだ。


「リラ……! その手は……なんだこの力は……!」


「ケイスケ、私があなたに出来る事はこれぐらいしかないけど……」


 リラの方へ振り向くと、彼女の顔にふわりといつもかかっている真っ白な横髪がどこにもなかった。

 横髪全てが後ろ髪と同じような紫帯びた髪色になっており、彼女の顔は真っ青に変化していた。


「リラ! もう……、もうやめてくれ!」


「私は大丈夫だから……」


 消えそうな声のリラは、白魔法で回復を行っている、いや回復どころではない。この周囲に漂う揺らめく虹色のものといい、何かがいつもと違う。


「……リラ! もういい、やめるんだ……! もう十分だ、十分だから……!」


 ヒードと黒神チェルノボーグからの攻撃を剣で受け止めながら後ろのリラへ大声で叫ぶ。

 四方八方から二人の体へ打ち付けるような突風が吹き荒れる中、リラはその手を自分の背中から離そうとしない。そんな中、また攻撃が押し寄せてくる。


「ハハハハ……もう終わりだ……! お前は失敗する……! 生まれ変わってもまた……!」


 ヒードが狂気染みたその表情でこちらを睨み、声高々に嘲笑っている。


 すると背中にもたれ掛かるような重みを感じ、振り向くと血を吸いとられたような蒼白なリラが背後で倒れた。


「リラっ、リラ……! 返事しろよ……」


 体が崩壊しそうな程に繰り返される攻撃を受け止めることに精一杯で、ぐったりと横たわるリラを抱き上げることも出来ない。


 なぜだ、なぜ――

 また、あの惨事を繰り返すと言うのか。

 だめだ、それだけはだめなんだ。

 絶対に――

 

「くっそぉぉ!! もう、もう……たくさんだ! こんなことは……もう二度と……!!」


 極限状態の中、きつく握りしめる剣から途端に解き放たれた真っ白な輝きは、怒涛の如く迫り来る闇に包まれた攻撃を押し返すようにぐんぐんと勢いを増す。

 

 ヒードと黒神チェルノボーグにぶつかる――

 


 次の瞬間、辺り一面が一気に白の世界に覆われた。


 何もない。


 ただ一人の男の子を除いて。


 その子は膝を抱え、震えていた。

 

 下を向いていて顔は見えないが、妹と同じぐらいの年齢かもしれない。

 

「みんなが僕をいじめるんだ……。僕はみんなと遊びたかっただけなのに……。きっと僕が弱虫だからなんだ……」

 

 泣きじゃくるその子に手を差し伸べようとした。

 だが、なぜか彼の体には空を切るかのように触れられなかった。


「僕のお母さんもみんなからいじめられて死んじゃった……。お父さんは僕達に見向きもしないんだ、助けてくれなかった……。きっと僕がいつも泣いてるから……病気ばかりだし……弱いから……いじめられてるから……僕なんて……」


『可哀そうな子よ。我がそなたを愛し、強くしてやろう。強き者になればすべてが良くなる。この世では強者が幸せになり、救われるのだ。約束しよう、その世界を。……さぁ、おいで』


 どこからともなく聞こえた不気味で甘く、その低い声に男の子は手で涙を拭うと立ち上がり、駆け足で遠くへ行ってしまう。


「待てっ、待つんだ……! だめだ、そっちへ行っちゃいけない……!!」


 必死に男の子へ手を差し伸べ、追いかけようとするが、なぜか一瞬足りともその場所から動けなかった。

 その子は振り向くこともなく遥か遠くへ消えていく。

 

 ただその子が手の届かぬ場所へ行ってしまうのを茫然と見つめていることしか出来なかった。


 

 ――目を開けると、地面に立つ自分の足元から力がみなぎるような勇ましい風が吹き上がり始めていた。


 そしてなぜか頬には涙が伝っていた。

 誰かの感情の荒波が押し寄せてくるようだった。

 怒り、悲しみ、虚無に喪失感――。


 力を込め地面を強く蹴ると、まるで自分がその吹き上がる風に溶け込んだかのように上空へ舞い上がる。

 両手で握りしめ、頭上で大きく振り上げたその剣は今まで見たことのない輝きを放った。


 次の瞬間その真っ黒な黒神チェルノボーグの体内に白き輝きを浴びせた。


『なぜだ、なぜそんなにも力を出せる……我は……お前達よりもつよ……』


 黒神チェルノボーグの体は足元から次第にチリとなり、ゆっくりと儚く消えていく。


「……おのれぇ!! なぜだ、なぜ私の邪魔を……どいつもこいつも……なぜ……!! くそっくそっ……ここまで強くなってもまだ足りないというのか……!」


 残されたヒードはセーレが眠るクリスタルを拳から血が滲むほど何度も何度も叩いていた。

 その悲愴溢れた顔に刻印されていた稲妻のようなあの黒いアザが次第に消えていくのが分かった。


「ヒード、お前は自分の心に囚われすぎたんだ……」


「……何を言っている」


 ヒードはその冷たい目を向けてきた。


「お前はただ、見ようとしなかった、周りを……、きっといたはずだ、お前を愛し、支えようとした人間が……」


「……そんな奴はいない! 私はずっと一人だった……! 黒神チェルノボーグ様だけが私を理解してくれていたのだ……!」


 ヒードは黒神チェルノボーグがいなくなったせいなのか、次第に体が痩せこけ、その顔はどんどんと老人のように衰え始めた。


「ほんとにそうなのか……?」


 すると、ヒードは濃いクマのある目を見開き、岩しかない周りを急に見渡し始めた。まるでそこにいる何かを見ているかのように。


「……サガラもサラリアも最期に、お前の名前を言っていた。……バーツも恩があるから戦っていると。きっと他にもいたはずなんだ。ヒードを支える誰かが……。オレはそう思う……」


「……」


 ヒードの老化は先程よりもっと進み、以前の姿とは似ても似つかぬ変わり果てた姿になっていた。

 もう喋ることも出来ないのかもしれない。


「そ……な」


 口を震わせながらやっとの思いで呟いたかのようなその言葉を最後に、彼が着ていた黒い服だけがセーレのクリスタルの傍に残されていた。


 彼もまたこの世界で耐え続け、あの声の赴くままに自分の居場所を無理矢理にでも作った。

 だが、その場所はあまりにも不透明で、目の前の輝きにさえも気が付けない真っ暗な暗闇だったのかもしれない。

 もし、彼が、自分のように生まれ変われる日が来たとしたら、次は、次こそは――。



「リラ、大丈夫か!? お前、髪の色が……」


「エダー、終わった……のね……」


「あぁ……終わった、終わったんだ……あいつが終わらせてくれた……」


 白魔法の力を使い尽くすまで自分を支えてくれたリラの無事な様子を見て、心から安堵した。


 エダーはそんな弱りきったリラをきつく抱きしめ、肩を震わせていた。この百年以上続いた戦いに多くの命を失った逃れようのない事実を、まるで一人で抱えていたかのように震える彼の広い背中を見つめていると、エダーの思いを感じ取ることが出来た。


「ケイスケ様の髪が……」


 グダンが自分にそう言いかけた時、洞窟の入り口から地響きのような音と共に、何かが近付いてくる。

 それはとてつもなく大きな足音のようで、何度もその音が洞窟中に響き渡り、段々と大きくなっていく。


 それはまるで揺らめく松明を無数に焚いているような明るさをまとっているようだった。そしてその異常な明るさに思い当たるものがあった。


「まさかあれは……」



 ――サラマンダーだった。



「生きてたのか……!」


 エダーのその声と共に周囲の兵士達は一気に剣を構えた。

 サラマンダーは攻撃体制へ入っているリンガー軍の兵士達をゆっくりと見渡した後、自分とクリスタルに包まれたセーレがいるこの高台へ駆け上がるように登り始めた。


「サラマンダー……!」


 サラマンダーは目の前にまでやってきて、剣を構える自分を火色の目でじっと見つめると、すぐにクリスタルのセーレを口にくわえ、この岩場から直ぐ様降下し、足早に入口へ向かい始めたのだ。


「……待て、サラマンダー! 待ってくれ……!! もう、こんなことは繰り返したくないんだ……セーレを、セーレをもう、もうこれ以上……お願いだ……」


 無我夢中で高台の岩場から駆け下りながら必死に遠くのサラマンダーへ手を伸ばす。

 だが、到底あの燃え盛る精霊には追いつけない。


「……お願いだ、お願いだから……もうこれ以上……彼女を……」


 するとサラマンダーが剣を構え続けているエダー達がいる前でぴたりと止まり、彼女が眠るクリスタルを口から離し、その場へそっと置いた。


 すると、燃え盛る大トカゲのようなその体全体から、急に虹色混じりの光を強く放ち始めた。


「なんだ……!?」


 洞窟中に満たされたその光に、その場にいた全員が目を守るように、腕で顔を覆う。

 輝きが静まり返り、そっと目を開けるとその場にいた全員が目を疑ったかのようだった。


 それは、真っ赤に燃えるような逆立った長めの髪を持ち、その浅黒い肌に鍛えぬかれたような強靭な筋肉、衣類をまとっていない上半身の周囲を囲うように燃え盛る炎が渦巻き、強い意思を持つような生命力溢れる若い男性の姿だった。


 そしてサラマンダーと同じその燃えるような瞳で自分をじっと見つめ、その口をゆっくりと開いた。


『我は太陽神スヴァローグ。神空リスヌレスからここへ参った。白き髪にまでなったそなたの最後の選択を聞こう』

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