最終章 11.恩

「……バーツ! 下ろして!」


 バーツはリラを大事そうに抱え、彼女の顔を無邪気に眺めると、とても満足そうに笑った。


「リラちゃん、そうはいかんで。ここは危険やん。まーでも魔蜘蛛まぐも用意したのもわいやけどな!」


 バーツは明るく笑い飛ばしながら、愉快そうに言う。


「どういうことだ!?」


「ケイスケたちの作戦は分かりきってるんやわ~、まー数の差もあるっちゅうことやな! リンガー軍と永遠の大草原オロクプレリーで戦ってるゴル軍もいてるねんけど、こっちにはわんさか魔物もおるっちゅーねん!」


 辺りを見渡すと半分以上の船が沈没し、魔蜘蛛という魔物と闘っている者や、船が傾き海へ落ちていく者、様々だ。それはあまりにも無惨な光景だった。


「おい、バーツ! リラをこちらに渡せ!」

 

 隣でエダーが叫ぶように投げ掛ける。


「エダー、冗談きついわ~。そんないつ沈むかもわからん船にリラちゃん戻せってこと~? わいが安全なところでちゃんと助けるわ! じゃあなー! もう会えへんかもけど!」


 そう言うとバーツはリラを抱えたまま、その広い背中を見せると、黒魔鳥と共に上空へ飛び立とうとしている。


「待て! バーツ! なぜお前はそんなにリラに執着するんだ!?」


 バーツのリラへの執着は尋常ではない。

 最初は口からの出任せか、ただの軽い気持ちだろうと思ってはいたが、彼女だけはどんな手を使ってでも助けようとするバーツを見て、あの気持ちはそんなものではない。


「ケイスケ、何言うてんねん。好きやからに決まってんやろ~」


「好き……!? お前はリンガー王国の敵なはずだ!」


「敵ちゅーても、わいはその辺あんま関係ないわ。まー、ヒード様にも恩あるから戦ってっけど、リラちゃんにも恩があるしな~」

 

 バーツが、キョトンとした顔でそう告げる。


「恩……?」


 すると隣にいたエダーが口をゆっくりと開いた。


「……ケイスケ、そいつは一年程前にリラが助けたんだ、戦地でな。だがその時、バーツは……だった……、はずなんだ……」


 エダーさえも、信じ難いとする言葉が届いたのだった。


……!?」


 百七十センチ以上はありそうな自分と変わらない身長に、広い肩幅の回りには程よく付いた筋肉、骨格もしっかりし、その顔からもちろん十歳のあどけなさはない。

 どこからどう見てもバーツは、二十歳前後の青年にしか見えなかった。


 ただ、あの目だけは、初めて会った時から少年そのものだった事を思い出す。


「わいはあの時まだ子供やったんや。まだか弱い十歳やったんやわ~。その時リラちゃんがすっごい優しくしてくれたんやわ~。惚れてもうた! んで、その後ゴル帝国に戻されたんけど、親も戦争で死んでもうて、ひもじくて死にそうやってん。で、ヒード様に拾われて助けてもらったんや! そして戦える大人の体を手に入れたっちゅーことや!」


 無邪気に告げるバーツを見て、唖然とする。


 黒神チェルノボーグの力は人の体さえも成長させてしまうというのか。


「それでヒードのために戦争を……!?」


「わいはいっぱいヒード様に恩を感じとる。それで十分やろ。あとは魔蜘蛛によろしく頼んどくわ! リラちゃん、もうここはおいとまやで!」


「バーツ、もうやめて……!」


 リラの言葉にもお構い無しに、機嫌良く彼女を抱えたまま、バーツは飛び去ろうとしている。


 彼もまたこの戦争の犠牲者でもあるというのか。

 幼い十歳だった少年が黒魔法の力と契約し、大人の体を手に入れてまで、生きようとした結果がこれなのか。

 それが彼の生きる道だったというのか。


「……だが、お前がその道を選んだとしても、オレはそれを阻止する……! この戦いはもう……、もう終わらせないといけないんだ……!」


 再び白く輝きだしたホリスト鋼を目の前に掲げた。

 たちまち、周囲に風が吹き荒れ始め、波が高くなり、この船が激しく揺れ動く。


 上空で四方八方に吹き荒れる突風にバーツの乗せた黒魔鳥がうまく飛べないでいるようだった。


「おいなんやねん、この風! ケイスケやな、この風呼んだの!」


 バーツはこちらを睨みつけながらそう言い、この突風に必死に耐えながらどうにか黒魔鳥と共に空にどまっている。


「リラ! こちらへ飛び込め!! おい、しっかり舵を取れ! あの黒魔鳥の下へ急ぐんだ!」


 エダーが荒声を立て、舵取りへ指示をする中、他の兵士達は必死に帆の操作縄を引っ張り続けている。

 どうやらこの船はまだ航行こうこう可能なようだ。

 船はこの突風が吹き荒れる中、どうにかバーツの下へゆっくりと近付いている。


 その様子を確認すると、近くの縄を手に取り、助走を付けて、上空のバーツ目掛けて船外へ思いっきり飛び出した。

 風を切るように旋回し、バーツの乗る黒魔鳥へ剣を大きく振りかざす。


「……リラ! 今だ!!」


 叫んだと同時に右手の剣でバーツの乗る黒魔鳥の腹を切り裂いた。血しぶきを浴びる。

 突然に金切り声を上げ仰け反った黒魔鳥に乗っているバーツはバランスを崩し、その瞬間リラが下方の船へ勢いよく飛び降りた。


 エダーがリラを上空から掴み取るようにどうにか受け止めると、そのまま黒魔鳥はバーツと共に海へ落ち、大きな水しぶきを上げた。


 そのまま旋回した縄から船上へ着地をすると、周囲の海に無惨にも広がるその光景が目に入ってきた。


 無事な船も数隻あったが、無惨にも朽ちた船の残骸が散らばり、生き残っている者は、漂流物に捕まりながら、死に物狂いで命を留めている。

 先程までの強風はもう消え去り、バーツがいなくなったお陰か、あの魔蜘蛛もいなくなっていた。


「大丈夫か!? 今から船を下ろ……」


 漂流している者達へ声を掛けたその時、突如目の前に何かが現れた。


 間一髪でそのを受け止める。


「わいを怒らすなや……」


 ――神速のバーツだった。


 びしょ濡れの体に、そのだいだい色の髪の毛からは水が一滴一滴と滴り落ちている。

 そしてその顔にはいつものような笑みは無く、目には怒りが灯されていた。

 

「バーツ……! お前にリラは渡さない……!」


「なんや? ケイスケもリラちゃんに惚れとんのか? 悲しい事はもう繰り返さんでええやろ……! あのみたいにな……!」


 バーツが強く握る槍に炎が灯された。


「あぁ、繰り返したくはない……! だからこそお前と戦うんだ……!」


 バーツの持つ火をまとった槍を勢いよく跳ね退けた。

 だがまた、その大槍がこの胸目掛けて打ち放たれる。


「……セーレちゃんも、この世界も……そしてリラちゃんも、もう諦めや……!」


 受け止めたバーツの持つ槍が更に力を増す。

 その勢いに押し切られそうになっていた。


「くっ……、諦めるわけにはいかないんだ……!」


 その時、この薄暗い夕焼けの中に稲妻のような何かが光ったかのように見えた。


「……!?」


 すると、船首から凄まじい爆発音が響いた。

 リラが飛び降りたあの場所だ。

 なぜか黒煙が酷く立ちのぼっている。


「なんだ……!? あいつどこへ……」


 目の前にいたバーツが突然姿を消していた。


「リラ……! どこにいる!?」


 エダーの動揺した声があの煙の場所から聞こえる。


「どうしたんだ!? 大丈夫なのか!?」


「ケイスケ様! リラ様が……!」


 そこへ急ぎ走り向かっていると、グダンの動揺した声が黒い煙の中から聞こえてきた。

 その中へ飛び込むと、その光景を見て唖然とした。


「……ヒード!!」


 黒煙が舞い上がる中、青い長髪の男は薄笑いを浮かべながら、その手には赤い液がしたたる剣を握っている。


 そのかたわらにはリラが横たわっていた。


 そしてその上にかぶさるようにしてバーツが倒れていたのだった。

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