第一章 6.お願い

 敬介はまるで誰かの夢を見ているかのようだった。

 とても幸せな夢。

 そしてとても悲しい夢。


 自分がなぜこんなにも悲しく、涙を流しているのかが理解出来なかった。

 だが、激しく流れてくるこの感情をもっと深く知りたいと思った。

 自分の頭の中で優しく笑っていたこの女性に触れてみたいと思ったのだ。


「……違う、違う!! それはオレじゃない! オレの感情ではない!! 勝手に入ってくんなぁ!! くっそぉぉ!」


『……にいちゃん、おにいちゃん……!』


「……いおりっ!? いおりなのか!?」


 いおりの声が遠くから聞こえた気がした。

 辺りを見回しても誰もいない。

 リラ、エダー、リラの母親さえもいない。

 そこには真っ白な空間が続くだけだった。


「いおり、どこだよ!」


『お兄ちゃん』


 先程より大きな声で呼ばれ、後ろを振り向くといつものいおりがそこにいた。


「いおりっ! 無事だったか……!」

 

『いおりは大丈夫だよ、心配しないで。お兄ちゃんこそ大丈夫……?』

 

「何言ってんだよ! オレは全然大丈夫だって……!!」


 妹に駆け寄った時、泣きはらした目に気付かれたのかもしれない。


『お兄ちゃん、いおりのお願いのせいで……こんな事になってごめんね……』


「え……? これがいおりの願いなのか?」


『そう……いおりの願い、私達の願い……この場所で……お兄ちゃんにしかできないことなの……』


「この場所でオレしか出来ない……? どういうことだ……?」


 いおりは悲しそうだ。

 普段妹が敬介にお願いをすることなんて滅多にない。

 ずっと我慢をさせてきたのだ、あの養護施設場所で。


 その時いおりはゆっくりと口を開けた。


『もう一度……あの場所へ……』



 ――空に雲が浮かんでいる。

 とてつもなく大きくてどっしりとした雲だ。


(あの雲になりたい……)


 ランディア・ティスタはそんなのどかな空を見上げながら、森に囲まれた聖堂の入り口で警備の役目を今日も行っていた。

 どこまでも高い崖のような岩に挟まれた、美しい花や生き物などの岩細工が各所に施された神秘的な建物だ。


(はっ、いかんいかん、集中、集中! 今日はセーレ様が聖堂で祈られる日! しっかり見張って役目を果たさなければ! 家族に顔も立たない!!)


 ティスタは長めのくせっ毛が残る頭を何度も降り、自分を奮い立たせ、両頬を二度叩いた。

 自分に与えられたこの聖堂の警備を果たすべく今日も奮闘する。


 十八歳になったティスタは最近兵士になったばかりだった。

 なぜ兵士という職業を選んだか、それはまだ小さい兄弟達や、母親のためだ。

 父を早くに戦争で亡くし、頼れる者は今自分自身しかいなかった。


 長男であるティスタが兵士になれば自分のような貧しい生まれの者にもそれなりに報酬が手に入る。

 もちろん家族には反対された。

 ゴル軍との戦争にいつ駆り出されるか分からないし、父と同じ最期を迎えるかもしれない。

 それは分かっている。


(いやいやオレは死なない! 訓練もたくさんしている! 家族を守る! 国も守る!!)


 日々の鍛練と強い思いで、自分自身を奮い立たせる日々だった。


「おい、お前ここに配属されてもう何日になる?」


「3日です!」


 隣の警備兵に話し掛けられたティスタは自信を持ってそう答えた。


「まだ三日なのか。お前ツイてるな。あ、セーレ様が来られたぞ!」


 ツイていると言われればまさしくその通りだ。

 今、馬車に乗ってここへ来られているのは、第二王女のセーレ様だ。

 自分が住まうこの美しいリンガー王国の姫君だ。


 自身が仕える王族の聖なる人ホリスト族をこんなに近くでお目にかかることはそうない。

 ましてや今回は王女様であり、ティスタのような新人にはこのような機会はそう訪れる事はないのだ。


 そんな王女との初対面を控え、ティスタは緊張しながらも聖なる人ホリスト族のお役に立てるこの仕事に誇りも持っていた。

 

 すると、警備兵たちが次々に膝を突きこうべを垂れている。ティスタも慌てて膝を突き下を向いた。


 馬車がティスタの目の前で止まると、御者がゆっくりとドアを開ける様子が垣間見える。


 すると、静かに馬車から下りる足跡が聞こえた。


「皆さま、頭を上げて下さい」


 ティスタは緊張しながらゆっくりと頭を上げると、自分の目の前に白い髪と金髪の髪を美しく編み込んだ麗しき女性が立っている。

 その彼女の周りだけ穏やかにゆっくりと時が流れている、そんなしとやかさを持った方だった。

 胸元にはクリスタルだろうか、この燦々と光る太陽に反射して輝いている。


「お勤め、ご苦労様です。日々の警備感謝致します。疲れた時は休んで下さいね」


 にっこりと微笑み、穏やかにそう伝えた王女は静かに聖堂の中へ入っていった。

 

 ティスタは初めて見る王女に感極まっていた。


 自分の貧しかった生まれとは程遠い高貴な貴族であり、嫌みもない非常に優雅な振る舞いだ。

 そして自分達をうやまられて下さる。

 王女が見えなくなるまで羨望の眼差しを聖堂の入口に向けていた。


(なんてしとやかで気品溢れるお方なんだろう……まるで女神さまだ……生まれも育ちも違うとこうも違うのか……オレとは全然違う……はっ、いかんいかん! しっかり警備をしなくては!!)


 ティスタはそんな忙しい感情の中で、自分の役割を全うすることに集中するのだった。

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