うらばなしそのさん。
脅し文句が効いたからか、はたまた別の理由からか、見合いが延期になったその日からシャルルはこの縁談に前向きになった。再びの見合いが一週間後に控えている彼はまずアタリー・レインワーズについて調べてみることにした。
手始めに当たってみたのは兄。
兄はアデル家次期当主という立場上彼女とも面識があると聞き、情報を強請った。弟の縁談を知っているからか兄は快く応じてくれた。終始ニヤニヤと笑いを堪えようとして失敗したような表情に若干の、いや大分気恥ずかしさを感じたものの、情報の対価としてなんとか耐えに耐えた。
次は夜会の場で令嬢たちに。
女同士であるぶん付き合いもあるだろうし、男に聞くよりは誇張や願望抜きの情報が出てくると考えたからだ。それは当たりで、同性同士ということもあり嫌味やひがみもあったもののおおむねは正確と判断できる情報が手に入った。
次は夜会で子息たちに。
やはり多方面からの見方は必要だろうと当たってみたのだ。そのうちの何人かは彼女を狙っていたらしくあまり口を開いてはくれなかったが、すでに相手や狙っている他の令嬢がいる者、高望みをしない者たちは難なく情報を口にしてくれた。
シャルルはそれなりに社交場に顔を出しているが、それはアタリーも同じこと。高位な立場ゆえに顔を出さなければならない場所も多く、貴族であるがゆえに人脈を作り、保たなければならない。よって彼女はできるだけ積極的に社交場を出歩く。
それを噂の量から知っていたシャルルは、互いが同じほど社交場を出入りしているのに一度も会わないとは、と改めて感心してしまった。しかしそれによって彼の心が傷つくことはない。シャルルにとって噂程度にしか知らない相手に避けられようが嫌われようが微塵も心は痛まないからだ。とはいえ、今回ばかりはそうは言っていられない。
避けられてるならいいか、といつものように放置するわけにはいかないのだ。
あからさまに聞いて関係を勘ぐられるようなバカな真似はせず、それとなく相手の印象に残りづらいよう情報を引き出す。耳にしたことのあるものから初めて聞くもの、出回り始めたばかりな最新の情報まで相手の印象に残らないよう努めながらバンバン聞き出していった。得意不得意の別れる手法だが、幸い彼にとってこれは十八番である。
というわけで、彼は普段アタリーが出入りしている夜会や茶会など、自分が普段出る社交場以外を重点的に当たった。これくらいならば今までの記憶と経験、噂によってアテはつく。
一日に何件かを梯子することになり肉体的疲労と精神的疲労は常の倍以上だったが、おかげで情報が集まるのも確かだった。
少しの期待もあったが、やはりというか流石というか、そのどれもでアタリーの姿を見かけることはなかった。
そんな活動を続けて五日目、彼は思いもよらぬ人物と出逢う。
この日彼が出席したのは昼時に行われる立食形式の茶会だった。招待主自慢の庭に白いテーブルが複数とよりどりみどりの軽食が設置され、給仕が盆上のグラス片手に会場を回っている。席が決められている茶会に比べこちらの方が好きに歩き回れるぶん、情報収集には適しているのだ。
人に囲まれるのはいつものこと。捕まってはさり気なくその場を離れてはまた捕まって、を幾度か繰り返したシャルルは、偶然にもある令嬢を見つけた。
豊かな金色の髪をゆるく二つに別け、空色が美しい瞳と、華奢であまり背も高くなく、儚げで麗しい容貌の持ち主だ。あの容貌ならば社交界の花として中心に立てるろうに、頑として壁の花を貫いている。その姿勢にどことなく近寄り難い雰囲気が醸し出され、彼女の周りに不自然に開けた空間があることから遠巻きにされていることが一目でわかった。
その美貌には見覚えがあった。彼自身夜会などで何度か挨拶をしたことがある。
確か彼女はーー。
「お久しぶりです、シャンタル嬢」
声をかければつ、と振り向いた彼女は声の主を捉え、途端目をすがめた。
「ああ、お久しぶりだねえ。また色男っぷりに磨きがかかったんじゃないかい?」
風貌とは裏腹に喋りだしたなら儚げな、という言葉が風に吹かれて飛んでいってしまう残念美人。
それが彼女、シャンタル・オータンという女性である。
いつもの通り柔らかな微笑みをたたえる彼女だが、それをよくよく理解しているシャルルはその相変わらずさに苦笑してしまう。
色素の薄い瞳はまるで空を写し取ったかのような輝きを魅せており、そんな美しい瞳が今は凛と彼を捉えている。この国では瞳の色は濃いのが普通で、彼女のように薄い色は珍しい。その美貌もさることながら珍しい瞳の持ち主でもあるため、彼女はより注目を浴びる立場なのだ。
シャルルはこの瞳を美しいとは思う。けれど、捉えられるのは苦手だった。何もかもを見透かされているようで、やはり居心地が悪くなる。
それでも話しかけたのは彼女がアタリー・レインワーズの信頼のおける友人だからだ。
「それはどうも。貴女こそ相変わらずの美しさで」
「おや、女性に対して相変わらずの美しさとは紳士が聞いて呆れるねえ」
「………………以前貴女が『ますます美しいなんて、そんな短期間で変わるわけないだろう』とおっしゃったんでしょう」
「そうだったかな」
ついでに『目を洗ってこい口先男』と追い払われかけた。
しれっと返すシャンタルに、シャルルはため息を吐く。彼女の方が爵位は下のはずだが、こうして翻弄してくるのはいつものことである。それに彼女がこういった態度をとるのは親愛の証。両手の指で足りるほどの人間以外には事務的でそっけない会話と、ぴくりともしない微笑みしか与えることはない。だからこそ彼女に信用されている者たちはそういった部分に寛容という面を抜きにしても、令嬢らしからぬ口調と不躾な言葉に不快感を示したり、目くじらを立てたりはしないのだ。
むろんシャルルもそのうちの一人。
喜べばいいやら素直に喜べないやら、いささか複雑な心境だ。
「さてさてまあ、自分にどんなご用事だい?軽口を叩き合うほどの仲ではなかった気もするが」
グラスの中身で唇を湿らせ、シャンタルは言う。
「私としては仲良くさせていただきたいのですが、貴女とは顔を出す社交場があまり被らないものですから」
「それならば、全く顔を合わせたことのないアタリーとも仲良くしたいと思うかい?」
シャンタルはすぐさまばっさり切り捨てる。
その態度に、話しにくいことこの上ない、とシャルルは内心毒づいた。
勘が異常に鋭いのか、はたまた本当にその瞳で内心を見透かすのか。これまでだって彼女相手に言葉の駆け引きや遠回しな情報の引き出しが通用した試しはない。
彼女は一を聞いて十を知る。社交や人付き合いの経験はシャルルの方が上のはずだが、シャンタルにばかりは白旗を上げっぱなしだ。
それでも負けるわけにはいかないと、シャルルはぐっと目元が引きつらないよう力を込める。惨敗ばかりしている彼の矜恃と意地が、このまま負け続けることを許さない。
「さあどうでしょう。大きな声では言えないのですが、私はそこまで他人に興味を持てないもので」
「確かに大きな声では言えないねえ。まったく、こんなところで口にして足をすくわれても知らないよ」
「聞かれてはいませんよ、それに貴女は口外する気もないでしょう」
シャンタルは肩をすくめる。
「ーーアタリーは今適齢期だけど相手がいなくてね。あの子にはちと面倒でかわいそうな事情があるからど・っ・ち・に・し・ろ・四苦八苦する羽目になるだろう」
意味ありげに話すシャンタルを横目に、彼はため息を吐きそうになるのを堪た。もれていないはずだが、知ってるのか知らないのか、どちらにも取れる話し方をしてくれる。
「それを言うなら貴女もでしょう?アテはあるんですか」
「残念ながらないね。くだらない口説き文句ばかりで困ったものだよ。しかもあっちから口説いてきておきながら最後は逃げていってしまうんだから」
困ったような微笑みを浮かべるシャンタルにシャルルは白けた目を向けた。
シャンタル・オータンの見た目は儚げでおっとりとした美人である。性格はそれとは真逆なのだが、実際その外見に騙される人間は数多く、知らずに侮っていると手痛いしっぺ返しを食らうこととなる。語彙も豊富で頭も回る彼女は顔に似合わず想像を絶する毒を吐き、彼女を口説こうとして『やり直し』を食らい自尊心を砕かれた男のなんと多いことか。そんな噂を耳にしているシャルルからしてみれば、シャンタルの言葉にはほとほと呆れるばかりだ。
「ーーシャルル様よ。貴方は彼女の情報を引き出したいのだろうが、申し訳ないがそれは彼女に対しての裏切りに近いと自分は考えている。残念ながら期待はしないでほしいね。応えられない」
軌道修正しようとしても尽くが粉砕された結果、シャルルは開き直った。
「構いません、話せることだけを教えていただければ。噂も大事ですが、実際に彼女と仲のいい貴女からみた彼女を知りたいのです」
逃げようとしたらしいが、そうはさせない。
珍しくも微笑みを消し睨みつけてくるシャンタルはやがてぐっとグラスの中身をあおると「告げ口しないでおくれよ」と諦めた。
「真面目だよ、いい意味でね。けど悪い意味でも真面目だ。変な方向に考えすぎる癖があって、そうするとそれしか見えないから選択肢の幅が狭まる。本音を話せる相手が少なすぎる。悲しいことに相談してくれないんだ。そしてそれに気づいてない。貴族に向いてるのかいないのか、判別し辛い子だよ」
「――意外と話してくれますね」
驚いて尋ねれば、じゃないと君はいつまでたっても彼女に近づけないよ、と断言された。年下の身で『君』呼ばわりとは、もう敬称もなにもあったもんじゃない。
「自分はあの子に幸せになってほしい。友達だからね、心配してるんだ……いろんな意味で」
最後、ボソッと呟きながら若干遠い目をするシャンタルにシャルルは首を傾げる。ここが茶会の場でなかったら、から笑いさえしていそうな顔だ。
「だから、信用してるよ。是非とも頑張ってくれ」
飲み終えたグラスとともに白い封筒をシャルルに押し付け、ニヤリと笑い――「あの子、意外と可愛かったろう」。
ハッと横目に見やるも、すでに常の令嬢然とした態度に戻ったシャンタルはそれでは、とお辞儀をして細くまっすぐに伸びた背中はさっさと、けれども優雅な足取りで会場から出ていった。
やはり分かってるのか、とシャルルはため息を吐いた。同時にあまりの変わりように唖然。話が漏れているわけではない。彼女だ・け・が・この縁談を知っているのだ。受け取った封筒を周りから悟られぬようさっと懐にしまう。
初めて余裕綽綽な態度を崩せたから今回こそは、と気分が高揚していたというのに、最後の最後にまたもや負けてしまった。
悔しいというより、一瞬でも喜んだ自分がやるせない。
果たしてあの態度のどこからが演技だったのか。
シャルルは久々に掌で転がされているような、苦虫を噛み潰したような気分を味わった。
シャンタルは最後に彼があの日会った少女がアタリー・レインワーズであるという答えを残していった。なぜ知ってるのかを聞く気はない。彼女はなぜかなんでも知っている。けれどどうやってその情報を仕入れているのかは謎のまま。
謎のままでいいと、実際にそれを体験したシャルルは思う。
蛇が出ると分かっている箱を開ける趣味は、彼にない。
その背が見えなくなった途端どっと疲れに襲われたシャルルは挨拶もそこそこに帰宅の途についた。手早く体を清め、濡れた髪を乾かす気力もなくベッドへ倒れ込む。
今日のシャンタルとの会話は非常に有意義なものだった。
何事も客観的に見れるシャンタルから見たアタリーという人物について知れたこと。
彼女はあの日に会った少女だということ。
やはりというべきか何故というべきかシャンタルはその二つの情報とシャルルの『この縁談を断る気がない』という内心を知っていたこと。
そして、あの封筒。
――この疲れは情報の代償を払ったんだと思おう。
耳元でシャンタルの声がまだ聞こえる気がして、つられるようにあの少女ーーアタリーの顔を思い出しながらシャルルの意識は夢の中へと沈んでいった。
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