陰キャ皇子×悪役令嬢

緑茶屋

第1話 婚約破棄は突然に。

目の前には大広間へと続く大きな扉。多くの生徒が聖夜を祝い、一堂に会しているクリスマスパーティーへと続く扉だった。

貴族の子息令嬢が通うこの学園には王族も含まれ、公爵令嬢である私や第二皇子である私の婚約者も通学している。

婚約者、そう…本来は入場にあたってエスコートに連れ添っているべき婚約者様は不在であり、私は一人で会場の扉の前に立っている。

いくら探しても姿が見つからない婚約者の捜索を諦め、一人入場する決意をしてここに来たものの、この扉の抜けた先で待っているであろう嘲笑を覚悟し、私は深く息を吐く。


「レンフレッド・バルバストルです。扉を開けてください。」


私は扉の側で戸惑いながら指示を待つ従者に声をかける。

ゆっくりと開かれた扉の先では、音楽と共に踊る生徒たちがいた。

大理石の柱が高く伸びる大広間、音楽団が楽しげな音楽を奏でる。


カツン、と。


一歩、ピンヒールを鳴らして入場する。

瞬間、モーゼのごとく人垣が割れ、私はその道を真っ直ぐに進む。

顔を上げるとシルバーの髪に琥珀色の瞳をした第二皇子が私の妹とともに会場の中央でダンスに興じており、一曲踊り終えたところだった。

音楽がとまり、二人の顔が私へと向けられる。

第二皇子は私を視認した瞬間、憎々しげに顔を歪め、開口一番に言い放った。


「レンフレッド・バルバストル、貴女との婚約を破棄する。」


彼はルーカス・フリード、この国の第二皇子であり、私の婚約者だ。


「…ルーカス様、発言をお許し頂けますでしょうか」

私は状況についていけず、質問の許可を申し出る。


「許可しよう」


ルーカスは不承不承といった表情ではあったが、私の申し出を許してくれた。

卒業生の門出を祝して開かれた卒業パーティの最中、パートナーとして入場するはずだったルーカスの姿がなく、仕方がないため単身で会場へと入った瞬間の婚約破棄宣言だった。


…何から何まで訳が分からない。


「婚約破棄は正式な決定が下りた事項でしょうか?恐れ入りますが、私はその件について連絡を事前に受けておりません。」


私の質問に周囲からヒソヒソと陰口が聞こえ始める。嘲笑や憐みが私を取り囲む。

ルーカスは小馬鹿にしたように鼻で笑ってみせてから、当然のことを教えきかせるように口を開いた。


「正式もなにも…王位継承権を持つオレが破棄すると言っている以上、これは決定事項だ。そもそも、貴女のような卑劣な女性と婚姻など結べる訳がないだろう?」


ルーカスは傍らに控える金髪碧眼の少女の腰に手を回し、愛おしそうに引き寄せた。

少女は嬉しそうに顔を赤くしてから、涙で潤んだ瞳で私を見る。


「お姉様、なぜ私に嫌がせなどなされたのです?いいえ、初めこそ水たまりに突き飛ばす程度の嫌がらせに留まっていましたけれど…」


お姉様と私を呼ぶ妹は目に涙を浮かべながら、身に覚えのない過去について語り始めた。


「嫌がらせ?フレアに私がですか?」


私は意味がわからずフレアに聞き返した。

しかし、私の質問に答えたのはフレアではなかった。


「この後に及んで、しらを切るつもりか!?性根まで腐っているようだな、貴女にはほとほと愛想が尽きた。」


憎々しげに歪められたルーカスの表情は、軽蔑の色を隠しもしない。


「お言葉ですが、私が妹であるフレアに嫌がらせをする動機がございません。」


なにより、私は公務に日夜従事し、ここ数年はフレアとも姉妹として会話する機会などほとんどなかった。


「私がルーカスと仲がいいことに嫉妬したのでしょ?けど、だからって…」


フレアは今にも泣き崩れそうな様子で私を責める。

ルーカスはフレアの背をさすりながら、私を睨めつけた。


「貴女は第二皇子の婚約者の立ち位置をフレアに奪われるとでも不安に駆られたのだろう?そして、あまつさえ彼女を誘拐した。あと少しで彼女は…死んでいたかもしれないんだぞ!?」


「……――」


あまりのことに言葉がでない。確かにフレアは何者かに誘拐されたが、犯人は未だ捕まっていない。

だが、それは騎士団が鋭意調査を続けてくれていることだ。学生の身で、そして第二皇子である貴方がーー


「それを言うのですか…?」


ーーこれでは、騎士団がたとえ犯人を捕まえようと、社交界で私は妹を殺そうとした犯人である噂が付きまとうことになるではないか。


「貴女はいつだってそうだ、泣くことも怒ることもない。必要な駒は第二皇子の婚約者としての立場か?オレになんて興味すらなかったんだろ。法に触れるような人と婚姻は結べない。貴女との婚約を破棄する。」


ルーカスは静かに、ゆっくりと言い聞かせるように言葉を発し、少しだけ寂しげに目を細めた。


「泣くも怒るも…」


私はレンフレッド・バルバストル。人前で泣き怒るなど公爵令嬢としての立場が許すはずもなく、なにより私が私を許せない。


守られる存在ではありたくなかった。


だからと言って…決してぞんざいに扱われたかった訳ではなかった。


「承知しました、殿下」


しかし、私はただ粛々と申し出を受け入れるしかなかった。


「オレからの話は以上だ。婚約破棄に関する書類は後日、正式に通知する。安心しろ、バルバストル公爵家との繋がりは貴女でなくともいい。オレはフレアと結婚する。」

ルーカスはそう言い置いて、私に背を向ける。フレアはルーカスに腕を絡ませて歩いていく。

生徒たちは私に近寄ることはなく、一定の距離を空けたままヒソヒソと陰口を叩いていた。

ルーカスが合図をしたらしく、音楽団の演奏が再開されたが、踊ろうとする者はいない。

私は父から贈られた漆黒のドレスと友人からもらった紅色のピンヒールを見下ろす。


「ああ、まったく…彼の言ったとおりになってしまいました」


図書室の奥で背中を丸め、机に齧り付く友人の言葉を思い出しながら、私は来たばかりのパーティー会場を後にした。

逃げるように速足で廊下を突き抜け、人のいない校舎に向かった。

奏でられる音楽から遠ざかり、夜の静けさに溶け込むように立ち尽くす。



『…もっと周囲をよく見ないと、君はいつか足元を掬われるよ?』



自信なさげに高い背を丸め、小さな声でボソボソと喋る彼。目を合わせようとするとすぐに逸らされて、話しかけても「そうなんだ」とか…短い返事しかない友人。


「いっそ笑い飛ばしてほしい…」


私は何も考えることができず、ほとんど無意識に図書室へと向かっていた。

外廊下は寒く、凍てつく空気が吹きつけている。等間隔に並ぶ柱、中庭に続く芝に視線を遣れば三日月が細く歪んでいる。

月明りに照らされ、長い影がまっすぐに伸びる。

私は灯りが消えた教室を通り過ぎていく。


カツン、カツン、と。


友人から受け取ったピンヒールの鳴る音だけが耳に響いた。

はらはらと降り始めた粉雪は地面へ落ちて消えていく。その様に幼子だった時の断片的な記憶が重なり、死に際の母の言葉を思い出した。


「死してなお、消えぬ思いの行く先は“魔法”となりて残りし者とともにあらん…」


私が1歳の時に屋敷が火災に遭い、火の粉が舞う中で母は私を抱いたまま亡くなった。赤子だった私に当時の記憶は残っていないが、断片的な母の面影が時折脳裏を過ぎる。


「お父様になんとご説明すべきかわかりませんね」


ルーカスから婚約破棄されたことはすぐに父の耳に入るだろう。遅かれ早かれ報告しなければならないことだ。

重くなる足取りを叱咤し、今はただ大広間から遠く離れた場所へと逃げる。

見慣れた石畳の道を抜けて、レンガ造りの建物の前までたどり着く。


私は古くさび付いた扉に手を掛けた。

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