第1話:邪龍の像

 部屋に戻ってきたリリアは、早速服を脱ぐと水の羽衣せっけんを使って汚れを拭き落としていった。




「やっぱり、本当に落ちてるよ!」




 拭けば拭くほど、ワンピースが綺麗になっていく。

 その動作はさながら洗濯板に服を擦り付けて、汚れを落としているみたいに。


 目に見えるほど汚れが落ちていくのが楽しくて、初めは気合いを入れて拭いていた。しかし――。




「はぁ……、はぁ……。な、中々体力を使うんだね……」




 服を擦り始めてすぐにリリアは息が上がっていた。



――そ、そもそも、現代人だった私に手洗いしろってこと自体が間違ってる。洗濯機……。せめて洗濯機が欲しい……。



 服を洗い終えるともう一度着ようとする。

 しかし、服はじっとり湿っており、そのままだととても着られる状態ではなかった。


 服を椅子にかけて乾くのを待っている間、リリアは薄くてボロボロの布団に包まっていたが、薄すぎて魔界の寒さを防ぐには不十分だった。




「うぅぅ……、暖房も欲しい……。冷暖房完備とまでは言わないから、せめてこたつが欲しいよ……」




――このままでは本当に凍え死んでしまう。早く暖かい服なり、暖房器具なりを見つけないと。



 リリアは再び部屋から出て行った。

 その手に水の羽衣を持ったまま毛布に包まった姿で――。




◇◇◇




 今度は少し遠出をしていた。


 隣の物置部屋ではなくて、階段の方へ向かう。

 危険はあるものの、物置部屋には暖が取れるものがなかったので仕方ない。


 階段は螺旋状になっており、かなりの段数がある。

 そこを下りるだけでも小柄なリリアには大変な運動量だった。




「はぁ……、はぁ……、お、下りるのもなかなか大変だね……。エレベーター……、ううん、さすがにそれは贅沢だよね。せめてエスカレーターでいいから欲しいかも」




 息を切らしながらも壁に手を当てて、階段を下りていく。


 すると、階段の道中で問題が発生する。

 リリアが進む先に人影が現れたのだった。

 



「はぁ……。全く、一日に何回も王座の間に行かないといけないなんて、面倒だな」



 階段を上ってくる男を見て、リリアは顔を青ざめていた。



――こ、このままだと部屋を出たのがバレてしまう。ど、どこかに隠れないと……。



 周りを見渡すが、当然ながら階段以外には何もない。

 部屋に急いで戻ろうにも男の方が階段を早く上ってくる。


 万事休すかと思い、階段の片隅で蹲ってしまうと、男は何食わぬ顔で話しかけてくる。




「よお、ゴーストか? こんなところで何をしてるんだ?」




 今のリリアは薄汚れたボロ布団を身に纏っていた。

 その姿が幸いして、男は彼女のことを幽霊型の魔物――ゴーストと勘違いしてくれた様だった。




「え、えと……、お、お城の巡回を……」




 苦し紛れの言い訳をすると、男は腹を抱えて笑っていた。




「がははっ、真面目に仕事をするなんてご苦労だな。まぁ、せいぜい頑張ってくれ」




 少し嫌味な言い方をした後、男はそのまま笑みを浮かべながら階段を上がっていった。


 その姿からもわかるとおり、魔王に仕える魔族たちはまともに働く方が珍しいのだ。

 下手に頑張っていると鼻で笑われたり、今みたいに見下されたりする。


 ただ、その不真面目な態度が今のリリアからしたらありがたかった。




「良かった……。バレてないみたい。この姿がよかったのかな?」




 今のリリアはボロボロの布団を身に纏っている。


 幽閉している聖女がこんな姿をしているはずがない。

 そもそも、聖女が部屋から出ているなんてことも露ほども思っていないのだろう。




「よし、今の間に使えるものを探し出そう」




 これ幸いにと新たな道具を探して、リリアは更に階段を下りていった。




◇◇◇




 階段を下りると長い廊下へとたどり着いた。


 ここも階段と同様に薄暗い青い照明が灯っているだけだった。

 いつ誰に会うかわからない恐怖から、リリアは少し身を縮こめていた。




「うぅ、暗いよ……、寒いよ……。な、なにか暖まる素材はないのかな?」




 いっその事、どこかで獣の皮でも……とか考えてしまう。

 ただし、すぐに首を振ってその考えを振り払うリリアだった。




「どう考えても勝てるはずないよ。私、まともに戦えないし……」




 階段を下りてきただけで息切れをしてしまう。

 重たいものは持ちあげられない。

 そもそも小柄なので、まともに戦えるとも思えない。



――今の私にできることってあるの?



 聖女とは名ばかりで、リリアは特別な力を持たない普通の少女。

 直接戦闘になってしまうと弱い魔物にすら負けるだろう。



――魔王城から抜け出すことを諦めたのだから、早く暖房代わりのものを探しだそう。



 廊下を歩いていると突然後ろから声を掛けられてしまう。




「……おやっ、あなたは――」


「っ!?」




 リリアは肩をビクッと震わせて、声がした方に振り向いた。


 話しかけてきたのは肩くらいで綺麗に切り揃えられた黒髪と深紅の瞳、そして、眼鏡を付けた背の高い青年だった。

 スーツを着ているその青年は普通の人間のように見えるが、この魔王城を平然と歩いている事を考えると、れっきとした魔族であることはわかった。


 そんな人物を目の前にして、リリアの頭は混乱していた。



――ど、どうしよう? 気づかれた? た、倒すしかない?



 そんなことが脳裏をよぎる時点で彼女は冷静ではなかった。


 小柄なリリアがスレンダーながらも背丈の高い青年に勝てる道理はまるでなく、この場は逃げるかなんとかやり過ごすしか方法はなかったのだ。


 グッと手を握りしめてやり合う準備をしていたのだが、青年は眼鏡を少し持ちあげて、じっくりリリアのことを眺めていた。




「えとえと、その、私は……」


「ゴーストさんですね。ちょうど良かった。大広間の邪龍像を掃除してくれる人を探したんですよ」


「そ、掃除……ですか?」


「えぇ、お願いしてもよろしいですか?」


「か、構いませんよ」




 ここは下手なことを言わずに素直に聞いておくべきだろう、とリリアは頷いていた。

 その姿を見て青年は満足そうに頷いていた。




「それは助かります。他の魔族や魔物はろくに仕事をしてくれない方ばかりですので――。まぁ、お金にもならないので仕方ないでしょうけどね。では、早速行きましょうか」




 青年の表情は笑顔なのだが、なぜかリリアにはそれが恐ろしいものに感じられた。

 まるで有無を言わさないようなそんな迫力があったからだ。


 しかし、すでに逃げられないほど近くまで詰め寄られている。結局リリアは首を縦に振る以外のことはできなかった。




◇◇◇




 青年に連れられてやってきたのは、相変わらず蒼炎の明かりしかない大広間だった。

 すぐ近くに大きな扉があり、そこを出たら魔王城を抜け出すことができる。

 一瞬そんな衝動に駆られそうになるが、どう考えても生き延びることができないので扉から視線を外す。




「では、よろしくお願いしますね」




 青年はそのまま廊下を歩いて行ってしまう。

 一人残されたリリア。


 早速邪龍像を見上げる。


 大きさはリリアの倍ほどある巨大な像。

 くすんだ黒色をしており、それが邪龍らしさを醸し出している。


 しかし、埃がかなりついていた。おそらくろくに掃除がされていないのだろう。


 そして邪龍像には、血のように鮮やかな朱色の瞳がついていた。

 それは『赤の宝玉』と呼ばれ、これに邪龍が封印されているといわれている、秘宝の一種でもあった。


 もちろんそんなことをリリアは知らない。

 でも、それを見ていると睨まれているような気持ちになり、リリアは体を震わせてしまう。




「こ、怖い像だね……。と、とりあえず綺麗にしよう……」




 頼まれたことはしないといけない、とリリアは手に持っていた水の羽衣で邪龍像を拭き始めていた。


 複雑な造形をしているのと、ほとんど掃除されてこなかったこともあり、綺麗にするのは至難の業だった。


 ただ、それも普通に掃除をした場合だ。

 リリアが持っていた水の羽衣で軽く拭いてみると面白いくらい汚れが落ちていた。


 それを見てリリアは目を輝かせていた。


 そして、調子に乗って、邪龍像を徹底的に磨き上げる。

 すると、邪龍像なのに白銀に光り輝き、まるで神龍のようになっていた。




「あ、あれっ? や、やり過ぎたかも……」




 禍々しい雰囲気はすっかりなくなってしまい、神々しさすら感じられるようになっていた。

 こうなってくると怪しさを醸し出す赤い瞳が違和感になってしまった。




「これはもう外しておいた方が自然だよね……?」




 赤の宝玉を外してみると意外と大きく、二つの宝玉を両腕で抱えると他のものは持てそうになかった。




「あ、暖かい……」




 宝玉を抱きしめていると、さっきまで感じていた凍える寒さが嘘のように消える。

 そのことにリリアは驚きを隠しきれないでいた。


 どうやらこの宝玉は少し熱を発しているようだった。

 そして、ボロ布団の中にその宝玉を入れていることで、湯たんぽのように体が温かくなってきた。



――もう必要ないだろうし、もらっていこう。



 宝玉二つを抱きしめたままリリアは部屋へと戻っていった。




◇◆◇




 リリアが掃除をした邪龍像の前にはたくさんの魔族や魔物達が集まっていた。

 それもそのはずで、少し前まではくすんだ邪龍像だったのが、突然白銀の像になったのだから騒動にもなる。


 すると、掃除の依頼をした魔族の男が騒ぎになっている邪龍像の側へと近づいていく。




「何事ですか?」


「あっ、ラフィル様。見てください、邪龍像が光ってます……」




 邪龍像の前にいた魔族の男がラフィルに答える。

 確かに男が言うように少しくすんだ黒色だった邪龍像は、白銀色に変わっていた。


 いや、本来この像は白銀色だったという話をラフィルは聞いたことがあった。

 その昔、神龍信仰だった者達から奪い取って魔王城に飾った、と。

 それが長いときを経て、今のくすんだ黒色になったという言い伝えを。




「――面白いですね」


「えっ?」


「普通に掃除を頼んだつもりでしたがここまで磨き上げてくれるとは……。ふふふっ、これはいいですね。ただの骨董品が一級品の宝へと早変わりですか」




 ラフィルは怪しげな笑みを浮かべていた。

 普通の魔物なら途中で仕事を放り投げるか、埃を取って終わりのはず。

 それをここまで綺麗に磨き上げるなんて。


 ただ拭くだけだとここまではならないはず。それこそ水の加護や光の加護、いや、そのどちらも使ったのでは、ラフィルは予測していた。




「し、しかし、目についていた邪龍が封印された『赤の宝玉』がなくなっております」


「っ!? すぐにゴーストたちの持ち物検査をしてください! 誰かが持っているはずです!」




 ラフィルは驚き、魔族の男に指示を出していた。

 誰かが持っていたのだとしたらそれは掃除を任せたゴーストが怪しかったからだ。




「はっ、かしこまりました!」


「もし邪龍が敵の手で復活させられたら――。確実に見つけてください! この件は私の方で魔王様に報告させていただきます」




 ラフィルはそう告げると急ぎ、王座の間へと向かった。




◇◇◇




 いくつかの罠を抜け、魔王城最奥にある王座の間。

 襲い来る外敵や勇者を迎え撃つために敢えて、たどり着きにくい場所にある。


 もちろん、ここにたどり着くにはそれなりの実力が必要で、魔族でもたどり着けるのは限られている。

 ただ、魔王の側近たるラフィルは難なくこの王座の間にたどり着いていた。



 すると、来客を歓迎するかのように、灯る照明。

 物音一つない部屋なのだが、魔王の威圧によってたどり着いた者は悪寒を感じるほど。

 そして、王座にいる少女が魔王、アルマニオス・オーガスト。


 金色の長い髪と禍々しくねじれた角、鮮やかな朱色の瞳。小柄な体つき。

 袖なしのシャツに短めのスカート、黒に金の刺繍が施されたマントを羽織っている。


 それだけ見るとただの少女そのものなのだが、身に纏う闇のオーラから魔王以外言いようがなかった。


 来るものによってはそこで萎縮してしまう。

 しかし、ラフィルはそんな中でも涼しげに歩いて魔王の前へと移動し、臣下の礼を取る。




「魔王様、今よろしいでしょうか?」




 すると、魔王は不機嫌そうな視線をラフィルへ向ける。




「なんじゃ? 妾は見ての通り忙しいが?」




 魔王の前には『勇者による被害状況の報告』や『魔族領の食糧事情』、『魔王城の経費』や『聖女を捕らえたことによる影響』等の書類が置かれていた。

 もちろんそれらは全て報告書で魔王自身がするということはないが、それでも書類全て目を通さないといけなかった。


 圧倒的武力を持って、相手を制圧することは得意でも魔王はこういった事務仕事は苦手で嫌々その仕事をしている状態だった。


 そんな魔王に対して、臆することなくラフィルが言う。




「恐れながら魔王様、大広間に邪龍の像が置かれていることはご存じでしょうか?」


「あぁ、そういえばそんなものも置いておったな。邪龍など妾と比べるとたいした力も持っておらん。捨て置くと良い」


「その邪龍の像を掃除しましたところ、白銀に輝く像へと生まれ変わりました。あと、その際に邪龍が封印されているという『赤の宝玉』が奪われてしまいました」


「――ふむ、わかった。その邪龍……いや、白銀像か。その件はラフィル、お前に全て任せる」


「はっ、かしこまりました。では、また結果をご報告させていただきます」




 ラフィルは一度頭を下げるとそのまま部屋を出て行った。




◇◇◇




 それからまもなくして、ラフィルはゴーストたちの誰も赤の宝玉を持っていなかった報告を受けた。




「くっ、ゴーストたちじゃないとするなら侵入者がいた、ということになりますね。勇者か魔王様に敵対する魔族か……。どちらにしても邪龍を復活させて襲ってくる可能性があるなら、城の罠を増やしておく必要がありますね」




 悔しそうに口を噛み締めるラフィル。


 ただ、その宝玉はリリアが湯たんぽ代わりに持って帰ったとは思いもせずに――。

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