ブレイン・クリエイター

外山 脩

1:作家の再生

「先生、作品の進み具合はどうですか?」

 

 音もない暗闇の世界に担当編集者の思念が飛び込んできた。


「まったく、なにもできておらん」

 

 私は思念を浮かべて返すしかなかった。

 


 

 私は80歳で死んでいた 。

 

 しかしいま、私は〈意識だけの存在〉として生き返っている。

 

「どうしたんですか、先生の未完の遺作の執筆再開を読者ファンは楽しみにしていますよ」

 担当編集者の言葉からは期待の思念が伝わってきた。

 

「君、ほんとに私が〈脳作家ブレインクリエイター〉の第一号なのかね?他に目覚めた作家はいないのかね?」

 私は少しずつ思念を浮かべるのに慣れてきて、生前の記憶もよみがえってきた。

 

「国立文化科学財団の審査によると、先生は〈登録者〉の中で一番評価が高いんです。だからこうして投票でも文句なしで第一号に選ばれました。他にはまだ復帰した作家はいませんよ」

 担当編集者の思念を感じながら、私はこれまでのことを思い起こしていた。

 

 私が生きていた時代ころは、まだ脳細胞の〈結晶化保存技術クリスタリゼーション〉の完成が待たれる時代だった。

 今世紀に残したい〈優秀な脳〉だけを保存すべく、アルゴ延命財団による研究機関が発足し、科学者、芸術家など各分野のすぐれた才能の持ち主の「脳」が保存されることになった。

 

 私は80歳の当時、持病の肺炎による呼吸困難で倒れ入院した。

 その当時連載中の作品を未完にしたくなかった私は、出版社に脳の永久保存の話を持ち掛けられ、いろいろ迷った結果、意識のあるうちに脳作家登録者の申請をした。

 そして実績、人気など厳しい審査条件をパスし、私は難なく登録者になれた。

 

 アルゴ延命財団は、登録契約者に「法的な死亡」に限りなく近い判定であれば〈結晶化保存技術クリスタリゼーション〉の処置がとれる国の認可を受けていた。

 私は次に症状が悪化し、心肺停止状態の時は、脳を摘出てきしゅつし永久保存処置を受けるという書面にサインしていたのを思い出した。完全に死んでからでは処置が手遅れになるからだ。 

 

 担当編集者の話では、私が倒れて脳が永久保存されこうして再生技術が確立して目覚める日まで15年が経過したという。

 いま私は、脳と神経接続された意思伝達装置により、担当編集者の思念を言葉として感じることができる。私はそれに対して思念を浮かべて応えている。

 せっかく呼び覚まされた私の意識だが、こんな無感覚世界で作品の続きなど書けそうにない。

 

 想像してほしい。何も見えず、音も聞こえず、触れるものもなく、臭わず、味わえず、生体感覚がない無の世界を。暗黒虚無の世界を ……


「いまのままだと完全な感覚遮断と同じだ。執筆の再開どころか、精神を正常に維持することも困難になる。たのむ、すぐに私を眠らせてくれ」

 私は担当編集者に訴えた。


「わかりました、なんとかやってみます。すぐには解決できそうにないので、しばらく先生にはまた眠っててもらいます」

 

 その後、私は技術スタッフの処置で〈脳冬眠ブレインスリープ〉にはいった。      



     ※ ※ ※ ※ ※

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