04 - イラジーに遅れること半月

 イラジーに遅れること半月、ようやく首都マハシェへ戻ったファルシードはひっそりと皇宮入りした。

 民の歓待をうければ兄へ余計な刺激を与えかねない。

 戦地での暗殺未遂については、ケイヴァーンが早々に黒幕をつきとめた。

 貴族の差し金と思われたが、首謀者は神官団だった。

 人々から暁姫の名とともに支持を集め、神の化身のごとく崇められることもあった皇女は神官団、特に太陽神殿にとって扱いにくい存在だったのである。

 彼女がおとなしく傀儡になるような人物ならば、神官団は喜んでとりこみを図っただろう、しかしあいにくファルシードはお飾りの象徴として神殿におさまるには覇気がありすぎた。

 神の権威は唯一神殿によるべきだと考える神官団は、皇女と二分された現状を苦々しく思っている。

 表だっては平静を保っているが、好機とみれば水面下で牙をむくのは以前から断続的にくりかえされてきたことだった。

 とはいえ、できる対処には限りがある。

 皇女を暗殺しようなどと企てる過激な思想の者は神殿でも一部だが、そのなかには上級神官も含まれており、証拠があっても安易に処罰できない。

 皇家と神官団の対立は国の治安を揺るがすからだ。

 いまの情勢では――いや、ファルシードが物心つく以前からアルバディアは微妙な綱渡りを続けており、余計な火種を増やすわけにはいかなかった。

 彼女にできるのは警告として確実に暗殺者の息の根をとめ、その死体を衆目にさらして首謀者をけん制することだったのである。



 「ようやくファルシードが帰還した。あらためてイラジーとファルシードの功ををたたえよう」

 多くの臣たちが見守るなか、ひかえる二人の子を前に皇帝ジャハーンダルは言った。

 「このたびの大規模な反乱を機に、各地の守備強化と皇権のいっそうの統制を図るため、アリュメシア王イラジーを皇都へ戻し副皇とする。そして旧メディナの復興の全権をファルシードに与え、メディナ王に任ずることとする」

 広間がどよめきに包まれた。

 大なりとはいえアリュメシアは帝国に属する地方の一州国でしかない。

 その王であるイラジーを皇帝に次ぐ地位におく決定は、貴族内の権力の均衡をいちじるしく崩すものだった。

 しかも公的には皇女以外の肩書をもたなかったファルシードに一国を任せ、シャーの称号を与えるという。

 こうべを垂れて拝命した彼女とは逆にイラジーは不満を爆発させた。

 「お言葉ですが陛下、ファルシードに王位を与えるなど過ぎた報奨です。あまりにも若い王では執政もままならない。女の身をあなどる者もおりましょう」

 「余は常にその者にふさわしい役割を采配しておる。もとはといえばイラジー、おまえがファルシードを娶らぬと申すゆえ、功に報いるには当然の報奨であろう」

 皇帝の言葉に皇子はぐっと歯を食いしばる。

 神話の神々にならい、皇家ではもっとも血の濃い者との婚姻がもっとも神聖なものとされてきた。

 権力と財産の散逸を防ぐ目的もあっただろう。

 事実ジャハーンダル帝は従妹を后とし、側室も血縁者である。

 さらに、その父は同腹の姉を后とした。

 この傾向は地位の高い、つまり財を多くもつ家門ほど如実に表れている。

 しかしイラジーは唯一の同母妹ファルシードを心の底から毛嫌いしており、形式だけの婚姻すら我慢ならなかった。

 反発するように母、皇后の歳の離れた妹である叔母をさっさと娶り、すでに一男をもうけているのだった。

 「ファルシードにメディナを与えたのはゆえあってのこと、誰であれ反意は許さぬ」

 臣のなかにも少なからず勅命を不服とする者がいるのを察した皇帝は、広間を見渡して言った。

 それは皇子に同意する者というだけではなく、皇子自身を副皇とすることへの反発も含まれていた。

 ――ファルシードと並んで歩きながら、ケイヴァーンはいつもの三割増しで眉間に深いしわをよせ険しい顔をした。

 「皇子が副皇につくのもやっかいですが、まさか皇帝がメディナを殿下に任せるとは」

 「私と兄上が皇宮で四六時中顔をつきあわせるのはまずいと父上もお考えなのだろう」

 皇女の軽口に、生真面目な腹心が厳しい目を向けてきたので彼女は手をふった。

 「あの地ではこれまでもくりかえし反乱があった。北方の異民族の助力があったからだ。メディナを拠点に反乱分子を一掃し、北から流入する異民族の侵攻の防波堤にしようと父上は考えておられる」

 「王といいながら実態は辺境総督と同じです。同時に国づくりをせよとは、殿下を放逐したも同然だ」

 「このまま皇都にいたところで、私と兄上のどちらかが血を見ることになるのは時間の問題だった。鳥かごから放たれて自由になったと思えば楽しくなってこないか」

 正直にあきれた顔になりながらも、ケイヴァーンは沈黙を守った。

 ようやく静かになった腹心を見て、皇女は憂いのない笑みをうかべる。

 「うまくやれば豊かな財と強兵を得られる。それに皇宮との物理的な距離は、すなわち安全と同義だ。神官団も手をだしにくくなる」

 「……このたびの神官団からの刺客の件も、これで手打ちにするつもりですか」

 ファルシード自ら始末した若い女の死体はおおっぴらに調査され、現地の人間ではなく帝国人だというところまではつきとめられたものの、その後はうやむやにされた。

 おおげさに騒ぎたて黒幕をけん制するのが皇女の狙いであり、目的はじゅうぶん果たされたといえる。

 「そんなことはもはや些事にすぎない。兄上が副皇となれば、我らへの風当たりはそうとう厳しくなる。私がメディナへ封じられるこの先の数年こそが、足場をかためる好機と考えろ」

 ファルシードは武力で兄と衝突するつもりはないが、気をぬけばたやすく踏みつぶされてしまう現状を理解している。

 財を蓄えながら自分の・・・軍備を整え確固たる地位を確立し、皇子や敵対する勢力と対等な立場を得ることは急務だった。

 ケイヴァーンは一瞬瞠目すると、身体ごと皇女へ向き「肝に銘じます」と格式ばって拝礼した。



 ソルーシュはファルシードが来たのを知ると、興奮して顔を上気させ抱きついた。

 「元気そうだな」

 皇女の足に巻きつくような格好の子供を抱きあげてみれば、以前よりあきらかに重くなっている。

 「ファルシードのてがみ、ずっともってるよ」

 「そうか、私もそなたがくれた手紙を大事にもっている。ナヴィドとは仲良くなったか」

 少し会わないうちに驚くほどしっかりした言葉づかいになった子供に内心感心して尋ねると、ソルーシュは満面の笑みでうなずいて指笛を吹いた。

 小さな手で器用に高音を響かせるのに応えて、宮殿の向こうから鷲が姿を現す。

 そばの樹の枝にとまり挨拶がわりに一声鳴いたのを見て、ファルシードは破顔した。

 「ずいぶん親しくなったようだな。姿をみせないと思っていたらずっとここにいたのか、ナヴィド」

 ソルーシュにくちばしを撫でられてご満悦の鷲は、ピィと小さく鳴いて応える。

 「楽しくすごしていたならなによりだ」

 「ナヴィドは、ファルシードが好きだっていってる。ぼくもファルシードが好きだよ。ディアマトのにおいがするから」

 皇女がソルーシュを見ると、少年は無邪気に笑っていた。

 「でもファルシードは竜じゃないのに、どうしてだろう」

 「そなた、竜の気配がわかるのか」

 ファルシードは小さな身体をかかえなおすと、ゆっくり歩きだした。

 「ソルーシュは竜に会ったことがあるか」

 「ナイイェルさまのところにときどき来て、あそんでくれた」

 「ナイイェルさまというのは」

 「いっしょに住んでたひと」

 ソルーシュの親というわけではないらしい、その人物はおそらく人間ではないのだろう。

 仁族が人間と交流するなど聞いたことがないからだ。

 「ファルシードはぼくが知ってるより、もっとおおきな竜のにおいがする」

 「……それはきっと、竜の守護をもっているからだ」

 「しゅご?」

 「私を守ってくれる竜がいる。私が愛した、ただひとりの竜だ」

 ファルシードは茜に染まりはじめた西の空を見た。

 懐かしさか、あるいはもっと熱を含んだ目をしていたかもしれない。

 ソルーシュが不安がってファルシードの服をひっぱると、彼女はもう穏やかな金眼を少年へそそいだ。

 「ソルーシュ、私は近々北方へ行くことになった。いつ戻れるかわからぬゆえ、そなたを都の神殿で暮らせるようにするつもりだったが、ともに来るか」

 大きくうなずいてぎゅうぎゅうと首に抱きついてくる小さな身体は、ファルシードと離れるのをめいっぱい拒んでいた。

 「心配しなくとも、そなたの望まぬようにはしない」

 子供の背をなでて皇女は笑う。

 ソルーシュに感じた細い縁の正体がわかったような気がして、彼女はもう一度西空をあおいだ。

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