5 狂科学者の洞窟
バルカンが目を開けると、自分は寝台に寝ていて、岩肌の露出した洞窟のような天井が目に入った。周囲では幾人もの炎人が立ち働いているらしい様子だった。少しだけ体を動かしてみると、拘束されているふうでもないようだった。
「おお、気付いたようだな」
近付いてきた声の主は、バルカンの見知らぬ老齢灰髪の男だった。短い
「わしの話す言葉が分かるか?」
バルカンは、自分がなぜこんな場所に寝かされているのかと混乱しながらも、ゆっくりと頷いた。
「そうか。ちと長い話になるが、聞くか?」
老齢灰髪の男は、そう言いながら、バルカンの寝かされた寝台の横に椅子を引き寄せて腰かけた。
「わしの名はドナレオ・ダビル。世間では神への冒涜者とか、気違い科学者とか、散々に言われておるようじゃが、わしとしては純粋に真理を求めておるだけでの。クリュス島の鍛冶場で働かされておる炎人は言葉を解さないと世間では思われておるが、そうではない事をわしは知っておる。赤子の頃に喉を傷付けられて言葉を喋れなくされているだけ。喉の復元手術をすれば、ちゃんと喋れるようになる。お前の場合は、海人と混ざっておるようじゃから、少々厄介じゃったが、手術は成功じゃ。そろそろ傷口も塞がったはずじゃから、お前もじきに言葉を話せるようになる。訓練は必要じゃがな」
言葉を話せるようになる? 本当だろうか。バルカンは、目の前の老齢灰髪の男が、なぜ自分にそんな手術をする必要があったのかと訝しく思った。自分はまた何かに利用されようとしているのではないかと。
その不安や懐疑がバルカンの目に表れたのだろう。ドナレオ・ダビルと名乗った老齢灰髪の男は、顔にしわを寄せて笑い、近くに居た炎人を手招きして呼んだ。
その炎人は、バルカンのそばまで来て、くしゃくしゃの笑顔を見せた。
「大丈夫。俺達みんな手術受けて喋れる。博士の手伝いする。食べる。寝る。笑う。安心できる」
そう言って、バルカンに水と食べ物の盆を差し出した。
バルカンは、水と食べ物の盆を受け取りはしたものの、まだ混乱していた。
ドナレオ・ダビルと名乗った老齢灰髪の男は、そんなバルカンの心情を悟ったかのように、再び口を開いた。
「お前は、なぜ自分がこんな場所にいるか不思議に思うておろうな? クリュス島の火山噴火があったじゃろう。あれを観測するために船を出したら、たまたま、海中でお前を抱えて浮かんでおる男前の奴を見つけてのう。お前を助けてくれと頼まれたんじゃよ。爆発に巻き込まれて地割れに落ちたが、運よく海に逃れられたと言うておった」
バルカンは、水と食べ物の盆を脇に置き、ドナレオ・ダビルの話を必死の形相で聞いた。地割れに落ちたことは、微かに記憶があった。自分を助けるよう頼んだというのは、円形闘技場=COROSIAWで対戦した相手なのか。名前は思い出せないが、その彼はどうなったのか。バルカンは気になった。
「あの火山爆発は、もしかしたら、わしの研究が影響しておるかもしれんで、全く申し訳の無い事だ。クリュス島の火山が活火山であることは知っておったんじゃ。近々噴火するのではないかと思うて、噴火を人工的に制御できないかと研究しておったんじゃが、どういうわけか、予想外の噴火をしてしまって、わしの使っていた実験装置が影響したのか、そんなことにはならぬと思うておったのだが、実際に爆発してしまったから、まあ、原因を突き止めねばと思うておるのじゃが」
ドナレオ・ダビルがそこまで話した時、立ち並んだ機械の奥から、高らかな声がした。
「それなら、別に先生の責任では無い。安心召されよ」
颯爽と現れたのは、服装や物腰、態度からして、貴族であるに違いない美貌の青年だった。
「おお、これはテムルル・エイグ様。ようこそおいでになられた」
ドナレオ・ダビルは、目を細め、歓迎するように椅子から腰を上げた。
「敬称など要らぬと言うのに」
「いえいえ、エイグ様こそ我が恩人。この老いぼれを牢屋から出して、こんな秘密の場所まで用意してくだされた」
「老いぼれなど、心にも無いことを。お前は首都の若者の誰よりも生き生きとした目で、誰も知らない話を語る。その話が面白いから、牢屋などに入れておくのは勿体ないと思ったまでのこと。このラヴィア島の洞窟にしても、偶然に見つけただけ。ラヴィア島は天蓋も無くストーレに洗われるし、
テムルル・エイグと呼ばれた美青年の言葉に、ドナレオ・ダビルは、豪快に笑った。
「有難き幸せよの。わしは若い頃から奇人変人扱いされておったが、そのわしの話を面白いと言って聞いてくれたのは、エイグ様が初めて。しかし、クリュス島火山の噴火が、わしのせいではないというのは、如何なる根拠で?」
「簡単だ。あれは、このテムルル・エイグがやった。悪気は無かったのだがな、ちょっと脅かしてやろうと思って先生の装置に細工をしたら、ああなった」
テムルル・エイグは、少しの反省も後悔もしていない様子で、からからと笑った。
「やれ、お戯れを……」
「良いではないか。あの山は、遠からず爆発するとお前は言っていた。それが少しだけ早まっただけのこと。貴族豪族連中に多少の死傷者が出たとしても、それを気にする先生ではないはず」
「エイグ様には参りますじゃ」
ドナレオ・ダビルは、否定もせずに忍び笑いした。
バルカンにとっても、自分達を獣のように扱った貴族豪族達のことを心配する義理は無かったが、円形闘技場=COROSIAWでの対戦相手のことは気になった。炎人や海人とは違う普通の人間なら、地割れに落ち、海中に没すれば、ただで済むはずがない。
ドナレオ・ダビルは、バルカンの表情に、彼の疑問を察知したようだった。
「あ? ああ、お前をわしに託した男前のことか? それが、お前を船に引き上げた後に、その男も引き上げようとしたら、自分は心配ない、と言うんじゃよ。そうして、そのまま見えなくなってしもうた」
その言葉に、バルカンは愕然とした。自分だけが助かってしまったというのか。バルカンは、頭を抱えて
その肩を、ドナレオ・ダビルがぽんぽんと子供をあやすように叩いた。バルカンは小山のような巨漢、ドナレオ・ダビルは小柄な老人。それでも、ドナレオ・ダビルのバルカンに向けられた目は、幼い子供を見るようだった。
「心配はいらんよ。たぶん、あの男前な奴は、並ではない。自分を犠牲にしてお前を助けた、とか、そうは見えんかった。何か他に為すべき事があったのじゃろう」
その言葉に、バルカンは顔を上げ、
「そうだな。嘘か誠か、異世界から来たとか言って宗主陛下に謁見した鉄面皮な
テムルル・エイグは、目の前のバルカンに少しの遠慮もせずに言った。
「バルカン、お前が気にすることは無い。お前は、貴族豪族達の暇つぶしに利用されただけじゃからの」
狂科学者ドナレオ・ダビルは、バルカンにそう言うと、テムルル・エイグに向き直った。
「エイグ様、嘘か誠かと言われましたが、御自身はどう思っておいでで?」
テムルル・エイグは、にやりと笑って狂科学者ドナレオ・ダビルを見た。
「お前が言っていたのだぞ。この世界には、エラーラ以外にも知的生物が必ず存在すると。その異世界人がエラーラにやってくる確率は極めて低いが、皆無とは言えないと」
「その通りじゃ。エイグ様はまこと教え甲斐のある生徒よの」
狂科学者ドナレオ・ダビルは、嬉しそうに笑った。
「ところで、エイグ様。わざわざのお越しは、何か御用でも?」
「うっかり忘れるところだったが、如何にもだ。お前が興味を示していたロウギ・セトの宇宙船なる銀色の球体な、時を見てこの洞窟に運ばせるつもりだったのだが、どうやら先手を打たれた」
テムルル・エイグは、再びからからと笑った。
「ああ、そのことじゃったか。実は、待ちきれなくての、この洞窟を抜け出して、ちょっとだけ見に行ったんじゃ。色々触ってみたが、なかなか思うようにはいかなんでな。非常に興味深い代物じゃったが、燃えてしまうとは惜しい事をした。わしが触り過ぎたせいかも知れんの」
狂科学者ドナレオ・ダビルの言葉に、テムルル・エイグはけらけらと笑った。
「そうか、あれはお前の失態か。しかし、気に病むことは無いぞ。まだまだ面白くなりそうだからな。それじゃあ用も済んだし、退散しよう。そこの病人の邪魔になっても悪いからな。ドナレオ・ダビル先生、また例の「エラーラ縁起異説」真実論と、宇宙の混沌理論とやらの話を聞かせてもらいに来るぞ」
テムルル・エイグは、そう言い残し、現れたときと同様に颯爽と洞窟から立ち去った。
バルカンは、しばらく後には言葉を発音することが出来るようになり、狂科学者ドナレオ・ダビルの元で助手として働く炎人達とも、簡単な言葉を交わせるようになった。
炎人達は、こき使われているわけではなく、自由意思でドナレオ・ダビルの研究を手伝っているようだった。言葉も解せず愚鈍であるとされてきた炎人達を、狂科学者ドナレオ・ダビルは、卑下したりはしていなかった。人間にも愚鈍な者がいるし、炎人にも才知に長けた者がいると、ドナレオ・ダビルは言った。
この洞窟は、狂科学者ドナレオ・ダビルが言うには、溶岩洞穴というものらしかった。エラーラには多数の火山があり、過去には多くの火山が爆発したという。ラヴィア島の火山はそれほど大きくはなく、現在は死火山で噴火の心配は無いらしい。ソラリア高原に近いオラネス火山はエラーラ最大の火山で、先頃噴火したクリュス島の火山とは比べ物にならない大規模な噴火を過去に起こしているらしく、ドナレオ・ダビルは、若い頃にソラリア高原とオラネス火山に赴き、研究に没頭したという。
火山の研究の他にドナレオ・ダビルが関心を持ったのが、天蓋も無くストーレも無いソラリア高原からの夜空の眺めだった。貴族の出であったドナレオ・ダビルは、私財を投じて天空観測の施設を作った。ソラリア高原に住まう高地人達が協力をしてくれたという。
天空観測を続けるうちに、ドナレオ・ダビルは、エラーラという惑星の外側の、宇宙の真実に近づいたと確信するようになった。観測できる星の全てが、エラーラから遠ざかるような動きをしており、エラーラから遠い星ほど、遠ざかる速度さが速かった。それは、すなわち、宇宙が膨張しているということではないのか。もしそうであるなら、膨張し続けた宇宙はどうなってしまうのか。無秩序に膨張を続け、やがて混沌へと還っていくいくのではないか。そうなった時、惑星上の生き物の運命はどうなるのか。
そんな話は、バルカンには難しすぎてよく分からない。
すると、狂科学者ドナレオ・ダビルは、バルカンに入れたての熱い香茶を差し出した。
「熱すぎて飲めない」
茶碗を手にしたバルカンがそう言うと、狂科学者ドナレオ・ダビルは、楽しげに頷いた。
「その香茶を卓上に置いて、時間が経てばどうなる?」
「少し冷めて飲めるようになる」とバルカンが答える。
「飲まずに、もっと時間が経てばどうなる?」
「すっかり冷たくなって、飲みたくなくなる」
「つまり、そういうことじゃよ」と狂科学者ドナレオ・ダビルは笑った。
「茶碗の中の冷めた香茶は、何もしなければ決して温度が上がって沸騰するようなことはないし、水が蒸発してしまった皿を置いておいても、そのままでは決して水が戻ることは無い。熱い湯がやがて冷めて水になるように、皿に入れた水がやがて蒸発して皿の中から消えるように、この世界は、常に、無秩序な混沌へと向かっておるのじゃよ」
バルカンは、少しだけ納得したが、やはり良くは分からなかった。
それからドナレオ・ダビルは、エラーラという惑星についても語った。
エラーラは太陽を巡るいくつもの惑星のうちのひとつであり、観測する限り、エラーラの太陽のような恒星は数え切れないほど存在する。エラーラだけが特別な存在であるとは考えにくい。
ドナレオ・ダビルは、ウルクストリアの国記とされる「エラーラ縁起」ではなく、
この世界はエラーラを中心として秩序正しく神によって作られ、ウルクストリアは、その神に反逆した悪魔に追われて天界からこの地上へと降り立った人間によって作られ、神にも祝福されたという「エラーラ縁起」。よって、エラーラ以外に人界は無く、エラーラの人間達こそが唯一の祝福された存在。それを脅かさんとして、悪魔が秘術をもって作り出したのが炎人と海人であると。
口伝の「エラーラ縁起異説」は、ウルクストリアの国記である「エラーラ縁起」と似た部分もあったが、神をも恐れぬ罰当たりな逸話と言われる部分にこそ真実が隠されているのではないかと、ドナレオ・ダビルは思った。
世間の常識にことごとく異を唱えるドナレオ・ダビルは、狂科学者として追われる身となった。
ドナレオ・ダビルの逃亡に手を貸したのが、ソラリア高原の高地人達だった。ドナレオ・ダビルは、高地人の助手を連れて小舟で
幸運にも、海人に助けられて難を逃れたドナレオ・ダビルは、憲兵隊も手を出さないらしいクリュス島に逃れた。そこで出会ったのが、鍛冶場で使役されていた炎人だったという。
ドナレオ・ダビルは、秘術によって生み出された怪物であるとされている炎人と海人について、真偽を確かめたくなった。ドナレオ・ダビルの溢れる好奇心と人並みをはるかに超えた頭脳が、世間の常識など容易に超えさせたのだった。
しかし、ドナレオ・ダビルは、おそらくは密告により憲兵に捕らえられ、ウルクストリアの牢獄に入れられた。
ドナレオ・ダビルの語る真実に耳を傾けようとする者は居なかったという。聞きもしないで変人扱いする者、聞いたとしても口を開けてポカンとする者、無関心な者。
ドナレオ・ダビルは孤高で孤独であった。蛇大臣と呼ばれていた故テムルル・テイグが、何の気まぐれか、まだ幼かった息子テムルル・エイグを連れて牢獄を訪れるまでは。
研究の手伝いを始めたバルカンにとって、狂科学者ドナレオ・ダビルの話は興味深いものばかりだった。難しい話も多かったが、機会あればドナレオ・ダビルの話に聞き入った。
中でも、初めて耳にする空の向こうの宇宙の話は、バルカンにとって驚きの連続だった。狂科学者ドナレオ・ダビルは、バルカンの驚きの表情を楽しむように、嬉々として語った。
たとえばこんな内容である。
エラーラという惑星に知的生物である人間が存在する以上、宇宙の数多輝く恒星を巡る惑星上に生物が全くいないとは考えられない。中には高度な文明を持つに至った知的生物もいるだろう。彼らは、エラーラを目指して遥々と星の海を越えてやってくることはあるだろうか。絶対に無いとは言えないが、宇宙が膨張し続けているとするなら、危険を冒し、人命を遥かに超える時間を費やしてまで、それを行う意味はないだろう。思慮ある種族であるならば。
「では、先生。俺が対戦したロウギ・セトだが、異世界からきたというのは虚言なのか?」
バルカンは尋ねた。
「さてのぉ」と、狂科学者ドナレオ・ダビルは短い顎髭を撫でた。
「普通に考えれば虚言じゃな。損得で考えれば、損しかない行為じゃろうからの」
「交易は、得にはならないのか?」とバルカンが質問を重ねる。
「ならんじゃろうのぉ。何の商売をするにしても、輸送費が莫大すぎて、利益なんぞ雀の涙ほども出んじゃろうからの。大赤字間違いなしじゃ」
「では、やはり、ロウギ・セトは世間を騒がそうとした悪人……」
「いや、そうとばかりも決めつけられん。損得を超えた深い訳があるやも知れんからの」
狂科学者ドナレオ・ダビルの答えに、バルカンは、なぜか安堵のようなものを感じた。あのロウギ・セトという人物が本当に異世界からやってきたのだとしたら、エラーラとは別の世界があるのだ。それはどんな世界なのだろうか。そして、どんな人間達が住んでいるのだろうか。
バルカンには、もう一つ、どうしても尋ねたいことがあった。
「先生、炎人と海人は、本当に悪魔の秘術によって作られた怪物なのか?」
己は一体何者なのか、その根源的な疑問は、大なり小なり誰もが胸に抱くものなのかもしれない。ましてや、バルカンは、ただの炎人でもただの海人でもなく、その混血とされ、巨蛮人と恐れられる怪物だった。
真実を知るのは恐ろしい。しかし、知らぬままでいるのもまた苦しい。知りたいが知りたくない、その相反する気持ちの狭間で、ほんの少しだけ、知りたい気持ちが
狂科学者ドナレオ・ダビルはバルカンの顔を見やり、彼の複雑な心情を読み取ったようだった。人並み外れた頭脳を持つドナレオ・ダビルは、優れた洞察力をも兼ね備えていると見えた。
「まだ研究半ばじゃが、炎人も海人も、人間と大きな違いはない。生き物の色形などの特徴は遺伝子というものによって親から子へと伝わるのじゃが、その遺伝子に、少しだけ変異があるようなのじゃ。炎人は高地人に極めて近く、乾燥や高温に耐えられる頑丈な肉体を持っておる。海人は、皮膚と毛髪に葉緑体を持っており、ストーレの無い海洋で、海中の藻や海藻などと同じように太陽光によって生命力を維持できる。偶然による変異なのか、人為的な変異なのか、まだ研究半ばじゃが」
狂科学者ドナレオ・ダビルは、淡々と答え、続けた。
「海人が人の言葉を発音できないのは、海中生活に適応した為に発声器官が変化した為ではないかと、わしは考えておる。炎人については、以前にも話したように、鍛冶場で労役させる都合で、赤子の頃に喉を傷付けるのが習慣化しておるのじゃ。言葉を奪えば、自由を奪いやすくなるからの。炎人同士が団結することも妨げられる。炎人も海人も、言葉を発することは出来んでも、意味は理解できる。怪物などではないと、わしは考える」
そこで言葉を区切った狂科学者ドナレオ・ダビルは、改めて、真剣な表情でバルカンに向き直った。
「しかし、バルカンよ」
バルカンは、覚悟を決め、真実を受け入れようと決めた。それが彼にとって、どんなに残酷なものであったとしても。
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