92 過去に歩み寄って①

 板に左右どころか前後上下も挟まれてにっちもさっちも行けなくなった挙げ句、怒鳴りつけた直後に口説くというリンの奇行はこうして成り立ったわけである。


「あなたも大変だね」

「こら。他人事じゃないぞ」


 リンの怒った顔を見ているとヨワは心がむずむずして口元がほころぶのを止められなくなった。考えてみればリンはいつもヨワの身を思って叱ってくれる。そんな人物は誰もいなかった。両親さえヨワを怒る時はただ自分の苛立ちをぶつけるだけだった。


「私、リンに怒られるの嫌いじゃないみたい」

「お前俺のこと嫌がってたんじゃないのかよ」


 リンの刺のある言い方に、ヨワはやはり感情的になってしまったことを悔やんだ。


「違うの。あれは八つ当たりみたいなもの。ごめんね。リンが羨ましくて……。どうして私にはあんな素敵な家族がいないんだろうって、考えちゃって……」


 自分が暗く醜くてリンのそばにいられないと思ったことは、あまりにもみじめな気分になるので伏せた。


「なあ、ヨワさえよかったら話してくれないか。ヨワと家族のこと。俺も俺の秘密を話すよ」


 シジマから同じ傷を抱えている者同士であることを聞いていたからこそ、リンはこんな案を持ちかけ、そしてヨワは素直にうなずくことができた。

 窓枠に腰かけるリンの横にヨワは座り込み壁に背を預けた。お互いぼんやりと扉を見つめて、教授も生徒もいない大学の静けさにしばし耳を傾けた。壁かけ時計の秒針の時を刻む音が夕暮れ時の物悲しさを奏でていた。


「俺、捨てられてたんだ。カカペト山に。四歳か五歳の時。そこで待っているよう母親に言われてずっと待ってた。明け方になって雨が降り出して……」


 リンは片ひざを抱えた。きっとそうして雨の中ずっと帰ってこない母親を待っていたのだろう。

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