84 座礁船①

 幼い頃からヨワは両親に聞いて欲しいことを老夫婦に話してきた。卒業とともに家を追い出される不安、恐怖を打ち明けて、ハジキにすがり泣いたことをよく覚えている。だから、

「ありがとう」

万感の思いを込めてヨワはいつもこの言葉を口にする。


「誰かっ、誰か!」


 そこへ昼のまどろむ空気を破って男性の切羽詰まった声が聞こえてきた。


「浮遊の魔法使い知らねえか! 浮遊の魔法使いヨワだよ、ヨワ!」


 道行く人々に向かって叫ぶ男性が自分を探しているとわかり、ヨワは目を凝らして通りを見つめた。西区のほうから走ってきた男性は長袖に軍手をはめて水色のてらてら光るオーバーオール姿だった。港町の漁師だ。

 ヨワはひとりだけ心当たりのある人物の名前を呼んだ。


「クロシオさん!」


 思った通り男性はヨワの声に反応して足を止めた。クロシオは以前座礁した漁船を助けて欲しいとヨワを頼ってきた人物だ。彼はまたあの日のように慌てた様子で現れた。

 通りからベンガラの薬屋を繋ぐ小さな橋の前でクロシオは騎士に止められた。ヨワの名前を大声で叫んでいたから不審に思われたのだろう。ヨワは薬袋を縁側に置いて駆け寄った。


「彼は知り合いです」


 そう言って騎士をなだめ、ヨワはクロシオから事情を聞いた。


「それがまた船が例の場所に乗り上げちまって」


 クロシオは息絶え絶えに話した。


「またですか」

「あそこは潮の流れが速いんだ。それにその先は海底に砂が溜まりやすくてな。今回の水先案内人はまだ経験の浅いやつで、そこに耳の遠い大じいさんの漁船がっ。とにかく不運が重なっちまって! 今すぐ来てくれるかヨワ!」


 こうしてクロシオに頼まれて船を浮かべたことは前にも一度ある。お安いご用だとヨワは二つ返事した。するとにわかにクロシオは笑顔になってヨワの手を取りぶんぶんと振った。

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