第2話

 マリリン亭に近づくにつれて、東の空が白んでくる。

「ん……あんりゃあ……」

 遠くからでも煙のようなものが見えていたが、それが何なのかよくわからなかった。

 近づくにつれて、冷や汗が増えてくる。

 いったい、どれほど壮絶な戦いが繰り広げられたのか。

 マリリン亭の建ってる場所が町外れでよかった。

 町中でこんな騒ぎを起こしたら、町そのものが半壊しかねない。

 国軍の軍人は皆倒れていた。

 ……死んでは、いないと思う。

 あちらこちらの地面は抉れ、街路樹は倒れ、唯一マリリン亭を照らす街灯も跡形もなく吹き飛んでいた。

 それでも、マリリン亭だけは傷一つ付いていなかった。

「みんなは?」

 心配そうなアンリエッタの声。握られた手に力が入る。

「心配ねーべ」

 マリリン亭の様子からどちらが勝ったかは明白だ。

 果たして三人は、ちょうど玄関に寄りかかるようにして寝ていた。

 メイド服はボロボロだけど、仲良く同じリズムで寝息を立てている。

「よ、よかった……」

「しっかしまー。えれーことになっただなや」

 声が大きかったのか、サラの言葉でみんな目を覚ましてしまった。

「あら、アンリエッタは無事だったのね。よかったわ」

 目を覚ますなり、マリリンが言った。

「って、おめ……マリリンでいーんだべな?」

 声は確かにマリリンの声に似ている。

 着ているメイド服もボロボロだが、元を知っているから何とかマリリンが着ていたものだとわかるが……。

 とても同一人物とは思えなかった。

 化粧が完全に落ちて、カツラもどこかへ行ってしまっている。

 これではもはやただの親父だ。

 体格と声とメイド服はマリリンと同じだが、このような戦場にこそ相応しい無骨な顔をした親父がそこにいた。

「何言ってるのよ。私がマリリンでなくて何だというの?」

「……ただのおっさん」

「な、何ですって?」

 おおう、さすがにこの顔で凄まれると、マリリンを恐れないサラでも迫力を感じてしまう。

「取り敢えず、鏡でも見た方がいーべ」

「ふぇ?」

 素っ頓狂な声を上げてから、振り返ってマリリン亭の窓ガラスで自分の姿を確認した。

「ぎゃあああああああ!! な、何よこれ!!」

「これって言い方はねーんじゃねーの。マリリンの素顔だべ」

「お化粧直ししてくるわ!」

 言うなり勢いよく扉を開けてマリリン亭の中へ入っていった。

「……で? 戻ってきたってことは、どうしてこういうことになったのか、納得のいく説明をしてくれるんでしょうね?」

 手を腰に当てて、試すような視線をリータ先輩が向けた。

「そんな言い方をしたら、言いづらくなってしまいますよ。ごめんなさいね、アンリエッタちゃん。私たちは別にあなたを責めるつもりではないんですよ」

 腰を落とし、アンリエッタと同じ視線でレイナ先輩が見つめた。

「ごめんなさい! 私のせいで皆さんに迷惑をかけてしまって。家出する時に、何も言わずに出て行ってしまったので、きっとお父さんを誤解させてしまったんです。全て、私のせいです。国軍の方には私から説明して、謝罪と賠償を……」

「あのね、そんな他人行儀に言わないでくれる。だいいち、迷惑だとかは思ってないし。私たちはマリリン亭で働く仲間なんだから」

「あ……」

「そうですよ。納得できる理由だったので、安心しました。でも、今度は逃げる前に相談してください。私たちは仲間ですから」

「……ありがとう、ございます……」

 あれだけ泣いたのに、まだ涙は涸れていないようだ。

 それとも、涙の種類が違うからだろうか。

 ぽろぽろとこぼれるその涙は、間違いなくうれし涙だった。

 ガチャリ、背後から音がした。

 振り返ると、そこにはボロボロになった制服に身を包んだ軍人さんが、他の軍人さんに肩を貸してもらって立っていた。

 確か、レイナ先輩が言っていた、部隊長とかいう偉い人だ。

「あれ? あんた、いつかの……」

 しかし、リータ先輩だけは何か反応が違う。

「そうよ! あの小綺麗な顔なのに妙にぼろい服を着てたお客さんじゃない!」

 リータ先輩に言われて、サラとレイナ先輩が覗き込むように顔を見る。

 言われてみれば、確かに見覚えがある。

 ……そう、演芸の日だ。

 ふらりとやってきて、妙な質問をしてきたお客さん。

 しかも、翌日にはホテル・マクシミリアンに向かったはず。

「あんた、マクシミリアンのスパイじゃなくて、国軍の部隊長だったんだ」

 妙な質問をしてきたお客さん改め、国軍の部隊長さんはただじっとアンリエッタだけを見ていた。

「……リティーシャさん。少し、お話をさせてもらってもいいですか? 彼らの誤解を解かなければ……」

「その必要はありません。アンお嬢様。先ほど話していたことが、耳に入ってしまったものですから」

「……お父様は、私が家出したとは伝えなかったんですね」

「言えるわけがなかろう。馬鹿娘が……!」

 その場にいた者たち全員の動きを止めてしまうほど重く響き渡る声が割って入ってきた。

 声の主は白馬に跨っていた。

 白馬は軍人さんたちの間を抜けて、部隊長さんの横にまでやってきた。

 馬に乗っている人は大きく見えたのだが、それは馬に乗っているからそう見えるのではなく、かなり背が高くガタイがいいのだ。

 短めの黒髪は逆立っていて、無精ひげがよく似合う顔立ち。マリリンといい勝負の、無骨な雰囲気の男性だった。

 颯爽と馬から降りる。

 それでも、サラからしたら見上げなければ顔が見えないほどだった。

 着ている服はどの軍人さんのものより清潔感に溢れていて、申し訳ないが不釣り合いだった。

 この人には制服よりも、鎧なんかを着ていた方がよほど似合いそう。

 あまりにアンリエッタとイメージが違うから確認した方がいいかと思ったが、アンリエッタの瞳が答えを教えてくれた。

「……お父様……」

 この人がアンリエッタのお父さんであり、国軍士官なのだ。

 そういえば、名前は確か……アーヴィンさん。

 アーヴィンさんは、アンリエッタの前に出るなり、手を振り上げた。

「アーヴィン様!!」

 部隊長さんが叫ぶより先に、サラがその腕を摑んでいた。

「何のつもりかね」

 じろりとアーヴィンさんはサラを睨んだ。

「わだすは、おめの教育方針に口出しするつもりはねーよ。んだば、娘さんを叩く前に一つだけ確認しとかなきゃなんねー」

「……ふむ、何をだ?」

「おめは、アンリエッタを愛しとるんなら?」

「当たり前だ。娘を愛していない親など、どこの世界にいるものか。私がどれだけ心配したと思っているんだ」

「――な? 言ったべ?」

 サラの思っていたことは間違いではなかった。だから、アンリエッタにウィンクしてやった。

「……お父様……。ごめんなさい! 私、お父様に嫌われていると思って……」

「な、何? ……なぜ、そう思ったんだ?」

 アンリエッタが頭を下げると、アーヴィンさんは手を下ろして困惑した表情を浮かべていた。

「そりゃ、おめが言葉をよく選ばねーからでしょーが」

「……言葉を? どういうことだ?」

「わかんねーのか。ったく、親子揃って馬鹿でねーか」

「き、貴様……メイドの分際で私を馬鹿にするつもりか!?」

「ああ。正直に『国軍の仕事は辛いし危ないから愛しい娘にはやらせたくねー』って、言えねんだら」

「え……お父様……そういうつもりで、言ったんですか……?」

「し、知らん」

 プイとそっぽを向いてしまったが、耳まで真っ赤にしているので照れているのはバレバレだった。

「おめだち親子は、もちっと本音で話した方がいいべな」

 アンリエッタとアーヴィンさんを交互に見て、言ってやった。

「――そうね。サラの言う通りだわ。どんなに愛し合っていても、それを正直に言葉にできなければ、相手には伝わらないもの」

 化粧を直し終えたマリリンがゆっくりと扉を開けて……。

『――うっ』

 その場にいた全員がが小さく呻き声を上げた。

 アーヴィンさんなんかは、顔を青くさせている。

 サラたちでさえ引いているのだから、初めて見た人の衝撃は計り知れない。

「な、なんなのその髪型は!?」

 思わずリータ先輩が叫ぶ。

「う、うるさいわねっ! 予備がこれしかなかったのよ!」

 普段はパーマのかかったカツラだからいくぶんかマシだったのだ。

 おばさんのように見えなくもなかったし。

 しかし、ストレートの黒髪は似合わなすぎる。

 見た目の破壊力が十倍増しって感じだ。

 そのままゆったりと歩いてアーヴィンさんに近づく。

「ところで、アンリエッタの件はそちらの誤解だったってことでいいのよね?」

「あ、ああ。マクシミリアンのオーナーから、アンリエッタが君たちの宿屋でこき使われていると報告されてな。それを誤解してしまったのは、私に責任がある」

「……これ、昨日の損失分。もちろん払っていただけますわよね?」

 そう言ってマリリンは請求書を握らせた。

 ちゃっかりしている。

 あの顔で迫られたら、大統領や王様だって屈してしまう。

「そ、それではこれで私たちは失礼させていただく」

「待ちなさいよ」

 マリリンの目が座っている。もはや完全にアーヴィンさんは雰囲気に飲み込まれていた。

「ま、まだ何か?」

「せっかくだから、皆さんでお食事でもしていきなさい。それに、あれだけ派手に戦ったんだから少し休んでいった方がいいわよ」

「そ、それはお気遣いどうもありがとうございます。お、おいギルバート、全員に命令だ。夕方までこのマリリン亭でゆっくり休みを取れとな」

「は、はいっ」

 部隊長さんはビシッと礼をして、倒れている軍人さんたちを起こしてマリリン亭へと運んだ。

 こりゃ、今日は満室間違いなし。

 マリリンは実にしたたかで商売上手だった。

「おい、アンリエッタ。お前は私と一緒の部屋に来なさい」

「いいえ、お父様。このマリリン亭にいる間は、ルームメイドですから。私がお仕事をするところ、しっかりと目に焼き付けてください」

 アンリエッタは晴れやかな表情をしていた。それはきっと、ルームメイドとしてではなく、一人の人間として一人前になった瞬間だった。


 受付の仕事やルームメイドとしての仕事をアンリエッタは最後の一分までこなした。

 アーヴィンさんが陰に隠れてハラハラしながら見ているのが滑稽だった。


 そして――夕方。

 国軍の軍人だけあって、半日も休めば皆元気になっていた。

 アンリエッタはもちろん、お父さんや国軍と一緒に帰ることになった。

 サラたちはみんなでお見送りをする。

 マリリン亭の前に一列に並ぶ。

 国軍も同じように向かい合って整列していた。

 その間に、白馬とアーヴィンさん。そしてアンリエッタがまた涙を浮かべて立っていた。

「ほら、アンリエッタ。ご挨拶しなさい」

 アーヴィンさんに背中を押され、アンリエッタは一歩前に進み出た。

「そうそう。忘れるところだったわ」

 そう言って、マリリンはエプロンドレスのポケットから茶色の封筒を出した。

「これ、少ないけど。あなたがここで働いた分の給料よ」

「え……。そ、そんな……もらえません。私はもうたくさん皆さんにいろいろしてもらったのに……」

「違うわ。ちゃんと仕事をして得た給料をもらうのに、遠慮してはいけないのよ。それから、私たちはアンリエッタのために何かしたことはないのよ。困っている仲間がいて助けを求められたなら、協力するのが当たり前なんだから。……ね、アーヴィンさん」

 マリリンにウィンクされて、明らかにアーヴィンさんは顔を引きつらせた。

 それはそうだろう。マリリンの言葉には皮肉しか込められていない。

 損失分の請求だけじゃなくて、半日休憩していった分の金も請求していたのを、サラは知っていた。

「そ、そうだぞ。アンリエッタ、その給料は受け取らないと失礼になる」

「……マリリンさん、ありがとうございます」

 アンリエッタは給料を受け取り、マリリンと握手をした。

「いいえ。もし学園を卒業して、就職が決まらなかったいつでもいらっしゃい。あなたなら面接無しで即採用よ」

 ……それだけは、国軍に入るよりもずっと本気でアーヴィンさんが止めるだろうな。

「そうね、少なくともサラよりは使えそうだし」

 リータ先輩が相づちを打った。

「そりゃねーべ」

「――ま、元気でやんなさい」

「それだけですか? リータ先輩も照れ屋さんですね。ここだけの話、アンリエッタちゃんだけがリータ先輩の本名で呼んでくれるからって、結構喜んで――むがぐぐ」

「余計なことを言うと、命の危険にさらされるわよ、レイナ」

 リータ先輩は後ろからレイナ先輩の口を塞いでいた。

「ぷはっ、わかりました。それでは、アンリエッタちゃん。お父様と仲良くしてくださいね。親子で愛し合っているというのは、とても幸せなことなんですから」

「……はい」

 アンリエッタはリータ先輩とレイナ先輩に握手をして、サラの前に来た。

「なんだ? もう泣いちまってんのかや? これじゃあいさつもできねーべ」

「……だ、だって……」

「あんな、アンリエッタ。わだすはマリリン亭がなぐなんねー限り、ここにいる。いつでも会えんなら。泣くこたねーべ。それとも……おめは、わだすに泣き顔を思い出して欲しいんか?」

「ううん」

「んなら。笑っちゃ」

「――はい」

 そう言って顔を上げたアンリエッタのほほ笑みは、たぶんマリリン亭のみんなの心に刻まれた――。

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