貸し借りの第十二話。

「...えーと、つまり。中野くんたちとの、なに、取引?...で、私の写真を撮らなきゃならなかった」

「はい」

「それで盗撮しようとしてた...と」

「はい」


 はあ、と深く溜息ためいきをつき、月見里さんはこめかみに手をやった。


「......馬鹿なのか」

「...はい」


 返す言葉もない。

 スマホのカメラを構えた俺の姿を完全に視認した彼女を前に、言い訳の余地なんてものは存在しなかったのである。


 彼女の視線がてつくのが分かって、俺は居づらくなり視線をぐるりと走らせた。女の子の部屋、というものに初めて足を踏み入れたが、まるで生活感がない。無造作むぞうさに敷かれた布団と一枚の毛布、二つの大きな段ボールが雑に積まれているのみである。可愛らしい香りなんてものはなく、ほこりいたような匂いが鼻腔びこうをくすぐるだけ。覚えのあるこの香りは、本屋に近い。「初めての女の子の部屋だードキドキソワソワ」とかいう感情とは無縁のものであった。


 いまめかしきアイドルの部屋だとは到底思えないほどに無骨ぶこつな空間だ。まだほどきが終わってないだけかもしれないけど。


「なに、他人の部屋をジロジロと」

「あっ、すみません...てかおい、お前も俺の部屋見てたじゃねえか」

「......今、自分が置かれている状況わかってんの?」


 俺のささやかな反論に、月見里さんは目を細めた。彼女の入浴後、連行されたのはここ、月見里さんの部屋なのである。


「大変申し訳ございませんでした」


 言葉少なに謝罪する。

 全面的に俺が悪いのは明白だ。訴えられてもおかしくない。


「ん...ま、いいんだけどね。減るもんじゃないし」

寛大かんだいな御心意気に感謝致します」

「あ、その言葉遣いやめて腹立つから」

「はい」


 月見里さんの表情が柔和にゅうわなものに変わる。予想に反して、案外簡単に許してくれそうだった。なんていい人なんだ。


「...まあ、これであなたの弱みも握れたし。許したげよう」

「弱み...」


 前言撤回。いい性格してやがる。

 俺は正座をいて胡坐あぐらをかく。月見里さんは立ち上がって俺を見下ろした。


「それで、どうするの」

「どうするって、なにが」

「写真の件。また盗撮するの?」


 いやいやまさか。

 悪戯いたずらっぽい問いかけに、俺はブンブンと首を振る。


「もうこりごりです」

「あらそう」


 しかし。どうしたものか。

 中野くんたちに弁明べんめいしても、ポツダム宣言かよってくらいの黙殺もくさつ頂戴ちょうだいすることは火を見るよりも明らかだ。あれだ、加工するか。コラ画像みたいな感じで。俺にそんな技術はねえよ。中野くんじゃあるまいし。

 

「そんじゃあさ。協力、してあげよっか」


 考え込んでいると、月見里さんが口を開いた。


「協力?」


 その言葉の真意をはかりかねて聞き返すと、「そう。協力」とのオウム返し。


「はあ」

「えーと、だから。その写真に協力してあげるってことよ。被写体になったげる」


 弾むような口調で説明する月見里さん。

 なるほど...え?ようやく理解した。理解したけれど。


「え、それマジで言ってます?俺が言うのもなんだが、かなりアレだぞ。ヤバイぞ。エロい写真なんだぞ」

「ええ、分かってる。さっき言ったでしょ、別に減るもんじゃない」

「それはそうかもしれんけどさあ...」


 逆に俺の方が怖気おじけづいてしまう。何をたくらんでるんだ。


「別に企みがないってわけでもないけど」

「ナチュラルに心を読むのやめてくれ」


 なにこいつエスパー?伊東?怖いよ。

 畏怖いふじょうが態度に出てしまっていたのか、月見里さんがほおふくらませる。


「だから私を何だと思っているの...。ただの純粋な好意よ。......それに、ほら。もとはといえば私の責任だしね」

「あ、その自覚はあったんだ」

「当然よ。まあ私が今、あなたに協力すれば、必然的にあなたも私に協力せざるを得なくなる。これで貸し借り無しのトントン、今後私が満足するまで、宮原夕陽は月見里咲耶の彼氏役っていう魂胆こんたん


 勝ち誇ったように言い放つ月見里さん。どこまでも打算的な彼女に、俺は思わず溜息ためいきらす。


「なに、私のグラビア写真じゃり合ってないとでも?」

「いや...」


 そんなことはないと思う、多分。


「凄いな、って」

「...なにが。あまり褒められている気がしないのだけれど」


 いいや。凄いよ、お前は。

 

 目的のために計算し、理知りち的で利己りこ的。大願たいがんを果たすためなら、自分の身体を売るくらいの心意気すら垣間かいま見える。弱肉強食かつ悪意が蔓延はびこる芸能界で生き残るために必要とされるスキルなのだろう。

 

 しかし、現在における彼女の目的というのは俺と偽装カップルを演じること。ひいては演じ切ったあとに起こる何か。その為だけに、月見里咲耶は俺と関わっているようにうかがえる。


 彼女の狙いは何なのだろう。そこまでして叶えたい大願とは一体。

 問い詰めてもきっと、教えてくれない。まだまだ心の距離がある。友達でも、ましてや俺の彼女でもないのだから。


 違和感と疑念に思考が奪われ、ぐるぐると、かんがえる。


「...まあいいわ。そんじゃあ撮影会の準備するから。廊下出ててよダーリン」

「ああ」


 考えすぎて熱を持ったパソコンのような脳が、廊下の冷気によって冷やされていく。同時に、思考も冷静になる。


 考えてもわからないことは、仕方がない。


 てか、撮影会ってなんだよ!

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