第19話 英雄姫エノア
銀の槍が、何もないはずの空間にぶつかり弾かれる。
バルトロマイの壁だ。
「正体は解析できないか、ヘルプ機能!」
『解析中です』
剣に変わったスマホを振るいながら、俺は問う。
スマホは攻撃を行いながら、アスタロトを包むこの壁の正体を調べていた。
俺とセシリアで、アスタロトを挟むようにして連続攻撃を仕掛ける。
だが、これは今のところ、この黒貴族には届いていない。
バルトロマイの壁を貫くには至っていないからだ。
「くっ……厄介な……!」
セシリアが呟きながら、アスタロトから放たれた反撃を
攻めるも壁任せ、守るも壁任せ。
この不可視の防壁は、アスタロトの鎧であり、盾であり、槍でもあった。
攻撃の際に、バルトロマイの壁周辺の空間が歪んで見えるため、回避することが出来る。
だが、破る手段が無い以上はこのままではジリ貧だ。
『だから言っただろう。
至近距離だから、私が弱いということにはならない。
仮にも黒貴族に名を連ねる者を、甘く見過ぎではないのか』
アスタロトはつまらなそうに言いつつ、攻撃の手を激しくしてくる。
俺達は防戦一方になった。
「ヘルプ機能!」
『一部解析結果でよろしいでしょうか』
「早く!」
『バルトロマイの壁が攻撃に切り替わる際、一部の防御が薄れます。これは攻防一体の空間兵器でありつつ、その総量は常に一定です。同時攻撃による突破が現実的ですが』
その後、スマホの画面にその先が表示された。
俺の攻撃力では、例え薄くなったバルトロマイの壁であろうと貫けない、と。
なんてことだ。
対策は無いのか!
「例えば、俺の能力を上げることが出来れば貫けるのか?」
『勇者カイルの能力が向上した場合、薄くなったバルトロマイの壁を貫くことは可能になります』
「ってことは、英雄姫をフォローできればいいんだろ?
だけど、それが出来る場所じゃない!
第一、この場にはセシリアしか……」
『“ブレイブグラム”の起動をしました』
おい、何を勝手に……。
「カイル様、私が食い止めます! アスタロトを攻略する術があるなら、その隙にやって下さい!」
セシリアが猛然と攻撃を始める。
黒貴族は、俺達を冷えた目で見つめつつ、ぶつぶつと呟き始めた。
魔法を使うつもりだ。
猶予はないぞ。
「こんな時に“ブレイブグラム”なんて……。おっ?」
新しいメッセージが一件届いている。
これは、一体……。
『フォロー出来る英雄姫がいます』
『英雄姫エノア』
……。
マジか……!
俺は周囲を見回した。
暗闇の中、あの爆発に合っても、周囲を照らし出す壁面の映像は存在し続けている。
その中で一箇所だけ、映像がない部分があった。
何かが飾られている。
あれは……弓だ。
遠くて暗くてよく見えないが、アスタロトがただの弓を飾るはずがない。
それに、アスタロトはある弓を模して、英雄姫エノアを封印するための呪具を作ったのだ。
ならばあれは、間違いなくあの弓だろう。
「エノアの弓」
その瞬間、アスタロトの目が俺を睨んだ。
奴の指先が俺に向けられ、そこから見えない魔法が放たれる。
セキュリティアプリが、辛うじてこれを防いだ。
強烈な負荷に、スマホのメモリが悲鳴を上げる。
分かりやすい。
分かりやすすぎるぞ、アスタロト。
だったら俺がやることは一つだ。
“ブレイブグラム”において、英雄姫エノアをフォローする。
すると、マイページに新たなアイコンが生まれた。
それは、赤い髪で褐色の肌をした少女が、眠るように目を閉じているものだ。
「目覚めろ、エノア。力を貸してくれ……!」
俺が叫ぶ。
いつの間にか、スマホは通話モードになっていた。
受話口から、かすかな声が聞こえる。
『あ……んた……、誰……』
「俺は勇者カイル! 英雄姫セシリアと共に、この世界の悪魔達と戦ってる者だ!」
『勇者……英雄姫……』
「英雄姫エノア! 君の力が必要なんだ! 力を、貸してくれ……!!」
『うちの……力が……必要……!
ああ、なんか敵わないなあ、眠くてしょうがない。
でも、ちょっと目が覚めたかも。あんたが誰だか分からないけど、状況は何となく分かるよ』
『勇者カイル、誰と会話している。
その者に声が届くはずはない。
それは私がかつて封印し、今も人間どもが自らの手で封じ続けているはずだ』
アスタロトが焦りからか、言葉を漏らした。
その途端、受話口から聞こえてくる声に精彩が戻ってくる。
『ああ、その声、思い出してきたわ。
うち、そのくそったれに殺されて、魂を封じられたのよ。
まるでついさっきのことみたいに覚えてる。
ねえ君、そいつと、アスタロトと戦ってるんでしょ』
「ああ! 結構ピンチだ!」
『うん、アスタロトは強い。
だけど、うちはそいつの訳わからん壁の攻略法を見つけてる』
「マジか! じゃあ、手を貸してくれエノア!!」
『どうやったらいいか分かんないけど、いいよ。うちの力を使って……!!』
新たなメッセージが届いた。
『英雄姫エノアがあなたをフォローしました』
次の瞬間、スマホが光り輝く。
減っていたバッテリーが一気に回復し、アスタロトの攻撃を受けて、その処理に悲鳴を上げていたメモリが余裕を取り戻す。
さらに、俺の体が軽くなったようだった。
“ブレイブグラム”のエノアのアイコンが、目を見開いている。
鮮やかな緑色の瞳だった。
よし、今ならいける。
「英雄姫エノア、インストール!!」
『よっしゃあ! みんなでくそったれな黒貴族をぶっ倒そう!!』
エノアの声が響き渡る。
それと同時に、俺の体に力が湧き上がってきた。
スマホが光を纏い、その形を変形させる。
それは、輝く大きな弓矢だった。
「カイル様、お姿が! それに、さっきの声はもしや」
「ああ。英雄姫エノアを仲間にした! え? 姿?」
一瞬だけ自分の姿を見下ろして驚く。
俺は赤い弓兵の姿に変わっていたのだ。
『見せたるよ、うちの魔弾。なんか君の得意な魔法を使って!』
「分かった! 読み上げ開始、氷の投擲槍……!」
俺が指示を出すと、光の中にあるスマホが呪文の詠唱を開始した。
それと同時に、氷の矢が出現し、弓に
『それは……エノアの魔弾か……! 何故、貴様がそれを……!』
アスタロトの声色が変わる。
これは、多分焦りだ。
エノアを殺せばいいだけだったのに、どうして彼女を倒した後も、魂を封印してまでディアスポラの人間たちを使い、嫌がらせを続けたのか。
こいつ、エノアが怖いんじゃないか?
「行くぞ、魔弾……!! 発射!」
矢を放つ。
それはセシリアの頭上を抜け、一直線にアスタロトへ。
黒貴族はバルトロマイの壁を展開するが……。
その眼前で、魔弾が二つに爆ぜた。
前方と真横から、氷の矢がアスタロトへと突き刺さる。
『ぬううううっ!!』
その瞬間、バルトロマイの壁は確かに破られた。
英雄姫レベルの攻撃を、同時に複数方向から叩き込む。
これが、バルトロマイの壁の攻略法なのだ。
俺とセシリアでは、俺の攻撃力が低くて実行が出来ない。
だが、一つの時代に英雄姫は一人しかいない。
セシリアを二人用意することは出来ないのだ。
それを、エノアはたった一人で行える。
次々に放たれる矢が、アスタロトへと突き刺さる。
黒貴族は追い詰められ、俺達から距離を取っていった。
『詠唱を短縮。滅びの炎……』
まずい呪文詠唱が聞こえる。
アスタロトの切り札であろう、核撃の魔法だ。
こいつ、この一撃で俺達を焼き払うつもりだ。
例え理力の壁で防がれたとしても、この空間自体が核撃に耐えきれないのではないか。
アスタロトの迷宮が崩れたところで、こいつはそれを利用して逃げ出すかも知れない。
『アスタロトが逃げようとしてる!』
エノアが同じことを言った。
「分かってる。だから、こっちも最大の魔法を叩き込む! ヘルプ機能、読み上げろ!」
『“勇者カイルが世界の
こちらよりも早く、詠唱を短縮されたアスタロトの魔法は発動する。
奴の指先から、まばゆい輝きが放たれた。
「セシリア、俺の後ろに!」
「はいっ!」
だけど、くそっ!
このままじゃ、間に合わない……!
『詠唱しながらぶっ放して!』
エノアが叫ぶ。
考えている暇なんて無い。
そうするしかないのだ。
俺は、生まれかけの魔弾を、アスタロトの魔法目掛けて放った。
矢が突き進みながら、詠唱は続いていく。
『破壊の粒子。炎をも焼き尽くす魔炎。汝の名を呼び、ここに顕現させる。
進みながら、矢が輝きを帯び始めた。
それは、魔弾へと収束された破壊そのものである。
アスタロトの魔法と、俺の魔弾が正面から衝突。
一瞬だけ、二つの破滅的力を持つ攻撃は拮抗した。
そして……核撃が飲み込まれる。
『なん……だと……!』
俺が見たアスタロトの最後は、驚愕に歪んだ顔だった。
突き進む禁忌の魔弾は、バルトロマイの壁を容易に貫き、その奥にある黒貴族へと突き刺さった。
国一つを焼き払った、滅びの炎が、黒貴族アスタロトの体内へと注ぎ込まれる。
叫びも何も聞こえない。
バルトロマイの壁の中で、真っ白な爆発が巻き起こり、やがてそれは壁を突き破った。
「理力の壁を!!」
その時には、俺は既に元の姿に戻っている。
スマホを必死でフリック入力しながら、光の防壁を呼び出す。
間一髪だった。
光りに包まれる俺とセシリアの周りを、爆発が包み込んでいる。
心なしか、アスモデウスを倒した時のそれよりも弱いような気がする。
「指向性を与えたからか? じゃなければ、アスタロトの中で爆発した時に、力を失ってるとか」
どちらにせよ、アスタロトの迷宮は持たなそうだ。
崩れ始める周囲の空間を眺めながら、俺はこれから、どうやって脱出したものかと考えるのだった。
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