上州学園へ行こう
第10話 上州学園へ行こう その1
「で、滅茶苦茶速かったんだよ、ホントか嘘か分からないけど日本一とか言ってたし……多分そいつ小川より速いんじゃないかな?」
週が明けた月曜日の朝だった。
始業前のざわついた教室では、静和中サッカー部1年生
熱弁する紘を取り囲むようにして、数人の男子生徒達がその話に耳を傾けている。
艶のあるおかっぱ頭にコンガリとした日焼けの跡、年齢の割に随分と体の小さな紘には、袖を通した夏服のブレザーがやや大きめのサイズのように見えた。
「小川より足の速い奴か……そんな奴がいるなんてちょっと信じられねーな、見てみたいかも」
「まぁタイム測ったわけじゃないし、見た感じだからね……でも絶対良い勝負すると思うよ」
「どっちにしろその話は小川の耳に入れない方が良いな、面倒くさくなりそうだし」
一同の意見が一致して席に戻ろうとバラけた時だった。
それまで紘の視界を遮っていた人の壁が無くなると、そこから海を割ったモーゼのように坊主頭の少年がゆっくりと姿を現した。
小川颯太だった。
颯太が鬼の形相で紘を睨み付けている。
「俺より……俺より何だって!?」
「!!!!」
恐ろしく低い声だった。
紘は自分の危機管理能力の低さを嘆き、これ以上ない程までに身の危険を感じた。
颯太がゆっくりと紘に近づこうとしたその時、それまで紘の話を聞いていた男子達が一斉に飛び付いて颯太の体を押さえつけた。
「小川落ち着けって!!別に悪口言ってた訳じゃ……」
「ゴアアアアアッ!!!!」
得体の知れない咆哮と共に、颯太の体にまとわりついた同級生達がいとも簡単に引き剥がされていく。
「ヒイイイイイッ!!!!」
紘はあまりの恐ろしさに悲鳴を上げると、頭を抱えて机の上に突っ伏した。
もうダメだ……
こんな手負いの獣みたいな奴にやられたら……
きっと俺みたいなチビは骨も残らない……
徐々に迫ってくる颯太の足音が、処刑開始までのカウントダウンのように聞こえた。
「……」
「……」
「……あれ?」
暫く経っても何も起きない。
紘が恐る恐る顔を上げると、颯太は何事も無かったかのように後ろの方にある自分の席に着席していた。
一同が拍子抜けだった。
「何だよ、一体俺を何だと思ってんだよ……」
颯太はブスッとしてポツリと言った。
「ハハハ……」
颯太に飛び掛かった生徒達は、ひきつった笑顔のまま逃げるようにその場を離れた。
入学以来颯太は悩んでいた。
同級生達から頭一つ飛び出た身長に加え、陸上で鍛え上げられた強靭な肉体、煙たがられるほどの勝ち気な性格が災いし、周囲の人間からは取扱注意、危険人物等のレッテルを貼られ、勝手に恐れられていた。
彼等の造り上げた颯太の人物像は、あながち間違いではない部分があるものの、当の本人からしてみれば見当違いも良いところ、えらくはた迷惑な話で、悩みの種の一つである事には違いなかった。
今日もたまたま遅刻寸前だったため、全力疾走で家から教室まで走ってきた。
鬼のような形相は、ただ息が切れて苦しかっただけの事だった。
そこに偶然自分の話題が出ていた。
自分の話してたらそりゃ気になるだろ……
しまいにゃいきなり飛び掛かられるし……
それならそうと説明すれば良いのだが、颯太も颯太で人一倍頑固で意地っ張りな性格が邪魔して、どうしても自分からはそういった誤解を解くことが出来ないでいた。
同じ小学校だった生徒や陸上クラブの仲間達はほとんどが別の中学校に行ってしまったため、本来の彼自身を知るものはいない。
颯太の中学校生活は完全アウェー状態でのスタートだった。
唯一の救いは、異性ながら親友とも呼べる大場夏海も静和中学に入学したことだったが、二人はまんまと別のクラスになってしまった。
しかも静和中学の1年生はクラス別で校舎が2つに分けられており、普段の学校生活で二人が顔を合わす事はまず無かった。
夏海のように陸上部にでも入部していれば状況はまったく違っていたかも知れない。
しかし、颯太はある理由から頑なに陸上部には入らなかった。
その理由というのも、颯太の決して曲げられない性格故の事なのだが……
そんな調子で颯太は入学以来まともな人間関係を築けないでいた。
「あの、小川君……ゴメンね、さっきは本当に悪口言ってたわけじゃ……」
「!!!!」
ブスッとしたままの颯太に紘が話しかけてきた。
「……いーよ、別に……」
颯太は突っぱねるようにそう言って、紘を遠ざけようとした。
あぁ、俺の馬鹿……
せっかく仲良くなるチャンスなのに……
ゴメンよ稲葉君、俺って奴は……
入学以来、話しかけられた事など殆んど無かった。
内心無理矢理にでも紘を抱き締めたくなるほど嬉しかったのだが、やはり、彼の絵に描いたような強情な性格が邪魔してどうしても素直に心を開けなかった。
「あの、俺昨日サッカー部の試合があったんだけどさ……」
稲葉君……
君って奴は……
「……で、何?」
「え!?いや……ハハ……」
紘はめげずに再び話しかけたが、颯太のツンデレを極めた見事なまでの塩対応に、思わず怯んでしまった。
そんな二人をよそに、クラスメイト達の間にはかつてない緊張が走っていた。
あのちっちゃな男は何故自らを危険に晒すのだ……
クラスの全員がそう思った。
紘自身は単純に誤解を解きたかっただけなのだが、颯太のそのリアクションがあまりにも素っ気なかったため、つい反射的に話を広げようとしてしまったのだ。
「……で、何?サッカーの試合があって何なの?」
颯太がイライラしたような口振りで、紘をろくに見もせず言った。
稲葉君、頑張って!!
どうかこんな酷い俺に負けないで!!
心の叫びだった。
「あ……あぁ、えっと……そこに凄い足の速い奴がいてさ……とにかく滅茶苦茶速くて、先輩が言うには日本一足の速い小学生だったらしいけど……
ほら、小川君確か陸上やってたろ?だからもしかしたらそいつの事知ってるかなぁ?と思ってさ……」
「……シマザキカイ」
颯太がボソッと呟いた。
「そうそう、そんな感じの名前だったな……ゲッ!!ホントに知ってた!!」
「そいつはホントにシマザキカイなのか!!!?」
颯太は突然立ち上がると紘に詰め寄って言った。
紘がその狭い額に颯太の荒い鼻息を感じる程の距離だった。
やっぱりコイツは話しかけちゃダメな奴だった……
紘はその時、血走った眼球を剥き出しにして凄む颯太を見上げながら、自分の取った行動はあまりにも浅はかで愚かだったと酷く後悔した。
颯太の尋常ではない様子にクラス中が騒然となった。
女生徒はその恐ろしい姿に震え、数名の男子生徒は覚悟を決めたように立ち上がり、いざとなれば玉砕覚悟で颯太を制止しようと身構えた。
「他に特徴は!?そいつチャラくて外人みたいな顔してなかったか!?イケメンだろ!?前髪斜めで……身長は俺ぐらいだろ!?」
「う、うん……大体……そんな感じ」
紘は矢継ぎ早にまくし立てる颯太の勢いに押され、ジリジリと後ずさりした。
まるで暴れ馬に追い詰められたチワワのようだった。
間違いない……
シマザキカイだ!!
忘れもしない、一年前
アイツは俺に勝ったままホントに陸上を辞めちまった……
夏海から聞いて日本一になったのは知ってたけど……
「どこ!?どこ中なの!?そいつ!!」
「ひいいいいっ!!」
疑念が確信に変わると颯太の圧力が更に増した。
気付けば紘の胸ぐらを掴み、その小さな体を激しく揺さぶっていた。
いっそ殺せ……
薄れ行く意識の中で、紘はそっと人生の儚さを嘆いた。
「みんな!!稲葉を小川から引き離せ!!」
紘を救いだそうと男子生徒達が団結し、次から次へとワラワラ颯太の体に群がるが、その圧倒的なパワーの前には為す術もなく無惨に弾き返されるだけだった。
「じょ……上州学園だよ!!」
颯太に揺さぶられながら、涙目の紘が叫ぶように言った。
「ジョーシュー学園!!!!」
「グヘッ!!」
颯太が復唱すると、胸元を締め上げていた手の力が急に抜け、紘は床に尻餅を着いた。
見れば颯太が小声で何かブツブツ言いながらフリーズしている。
周りの生徒達は、急に動かなくなった颯太に理解が追い付かず、ただただ不気味なその様子に困惑し、教室には一時妙な静けさが漂った。
一方紘はチャンスと見るや直ぐ様その場を離れた。
逃げられた!!
紘がそう思ったのも一瞬だった。
次の瞬間にはシャツの襟が後ろにグイっと引っ張られ、両足がその場でバタバタ空回りしている。
「何!?何!?ホント何!?」
紘の顔は恐怖で引きつり、流れる涙は滝のようだった。
パニック状態のままゆっくり振り向くと、仁王立ちの颯太が紘の襟を固く掴んでいる。
「うわあああああっ!!また小川が動いた!!」
「嫌あああああっ!!!!」
男子女子、別け隔てなく悲鳴が飛び交う阿鼻叫喚の地獄絵図の中、始業前の教室に颯太の大声が響き渡った。
「稲葉君!!!!今日帰りちょっと付き合って!!!!」
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