第38話 体験イベント (7)

車を走らせながら助手席を横目で見ると、歩が窓に肘をつきながら風景をぼんやり見送っていた。


 殆ど表情を崩さない横顔に今は明らかな疲労が滲み出ている。いくら楽しかったとはいえ、折角の休日を疲労困憊した状態で終わらせるのは気の毒で、参加してくれた事へのお礼がてら何か甘い物でも買ってあげようと思いながら少し先に見えてきたコンビニにウィンカーを向ける。


「ちょっとコーヒー飲みたいの。

 ついでに何か欲しい物があれば買ってくるけど?」

「いいえ、大丈夫です」

「じゃあ、直ぐ戻るから待ってて」

「はい」


 歩の事だからきっと遠慮するだろうと思っていたが、予想通りの他人行儀な歩の態度が少し寂しい。歩が自分に対してそれなりに心を開いてくれている自信はある。だけど、気軽な気持ちで話しかけてくれたことは一度もないかもしれない。



 私の方が付き合いは長いんだけどな──


 今日初めて見た勇太とのやり取りを思い出して何ともいえない気持ちになりながら車を降りた。


 ◇


 歩の好きな物と考えながら陳列棚の商品を見ていくも、全く思いつかない。

『HANA』での歩はいつも極力人の輪に加わろうとせずに一人静かに座っている事が多く、会話も少なめだ。自分のことも殆ど話さない為、頻繁に会っているはずなのに未だ知らないことの方が多い。花江や勇太と話している時に見せる、こちらを羨むような表情を知っているからこそ時折会話に引き込んだりしているのだが、春海に対してだけは妙にガードが高い気がする。



「笑うとあんなに可愛いのに」


 今日のお礼だと渡せばきっと遠慮するのだろうと思いつつ、若い子が好みそうなデザートを適当にかごに入れていく。会計を済ませたところでスマホが鳴り、レジ袋を受け取りながら画面を開く。画面に表示された『圭人』の名前に考えるより早く指先が動いた。



「もしもし、どうしたの?」

『今日、もしかして仕事だったか?』

「ええ、午前中は体験イベントだったけど……もしかして、連絡くれてた?」

『ああ、うん。

 何度か電話したんだけど』

「ああ、ごめん。

 さっきまで圏外でスマホが繋がらなかったの」


 笑いながらもどこか責めるような口調にとりあえず謝っておく。春海の恋人である益田圭人は束縛ほどではないにせよ、お互いのスケジュールをある程度把握していないと気の済まない性格らしく、自分が出張で不在の時は必ず連絡を寄越してくる。春海自身、今までドタキャンやすっぽかしをしたことはないので会えないときは相手が何をしようと気にしないのだが、圭人の生真面目というか神経質な性格は時としてため息をつきたくなる。


「何か用事だった?」

「三連休の金曜日、迎えに行けそうにないんだが」

「良いわよ。仕事が終わったら連絡ちょうだい。

 それとも、鍵を渡してくれれば家で待っておくけど?」

「あー、いや、どこかで時間潰しててくれ。

 終わったらなるべく早めに連絡するわ」

「分かった。またね」


 通話を終えてメッセージを開けば、朝一で幾つか連絡があったらしい。


「っていうか仕事かもって思うなら、メッセージで連絡すれば良いじゃない」


 相手が手の離せない状況だとは思わないのだろうか。時々感じるお互いの認識のズレに軽く苛立ちながら、前回の喧嘩も結局謝罪されていない事に気がついた。

 時効と言えば仕方ないが、喧嘩の原因は明らかに圭人にあるのに、きちんと謝ってくれない事が悔しい。


「男らしく謝れよ」


 通話が終了した暗い画面に向かって小さく悪態をつくと、スマホをポケットにしまった。



 すっかり遅くなった事に気がついて慌てて車に戻ると、歩は肘をついたままの姿勢から動いた様子がない。心配になって覗きこむと、閉じたままの目と規則正しく上下する胸の動きが見える。



「………歩?」


 余程疲れたのだろう、呼び掛けても起きる気配のない姿に、先程までの苛立ちが消えた。窓越しに差し込む日差しは温かく、どうやら待っている間に眠ってしまったらしい。後部座席に置いてあったジャケットを歩の身体にそっと掛けると、起こさないよう静かに車を発進させた。


 カーブの度にふらふらと揺れる頭が、窓ガラスにぶつかって痛い思いをしないか心配しながら車を走らせるも、こんな時に限ってカーブが多い。ふと、助手席のドア側ではなく、運転席側に身体を預けてくれれば支えてあげれる事に思い至り、路肩に車を停めた。

 普段の張りつめた様な表情ではない、すやすやと眠るあどけない寝顔を起こさぬよう、そっと手を伸ばし身体をゆっくり引き寄せながら耳元で呼び掛ける。


「歩、危ないからこっちにおいで」

「…………ん」


 身動ぎしながらも素直に身体を預ける無防備さが可愛くて、思わずよしよしと頭を撫でた。控えめなシャンプーの香りに歩を起こさないようそっと手を離す。



「……可愛いなぁ」


 自分に妹がいたら、こんな感じなのだろうか。

 普段の大人びた硬い表情が、少女らしい幼さに入れ替わっている今、この歩こそが本当の姿かもしれない。


 ずり落ちそうになるジャケットをもう一度身体にかけて、細い肩を優しく抱くとギアを静かにドライブに入れた。

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