第4話  叔父の部屋

朝僕が目が覚めた時にはすでに隣のベットに彩佳の姿は無かった。洗面を済ませ、リビングに行くと、恵と彩佳が、親しそうに何かを話している所だった。

「おはようー、何時も薫ちゃんに食事作ってもらってるからさ、たまには早起きして朝食を準備したのよ。恵さんにも手伝ってもらったけどね。」

食卓の上には、ベーコンエッグと野菜サラダが大皿に盛りつけられていた。一度キッチンに姿を消した恵みが、フレンチトーストとレディーグレーの紅茶を入れて戻って来た。

 結局、栞の墓参りには、従兄弟の彩佳と恵が同行する事になってしまっていた。

「恵みさんが行くなら私も行こうかな!どうせ父に会うんでしょう。」僕の行動を見透かしている様に綾佳は言ってきた。

叔父の誠司(綾佳の父)は京都の大学で教授になった関係で、それとなく栞の過去の生い立ちを調べてもらっていた。

嘗ては京の都で運河としてその役目を持っていたその小川は、それでも古都の風情を其処此所に残しながらゆったりと流れていた。僕はそんな川面をぼんやりと長めながら、叔父が注いでくれた芳醇な香りのする酒を飲んでいた。

「珍しいな、薫が一人旅じゃ無いなんて、しかも女連れとは!」

連れの片方は、何の説明も要らない存在だが、もう片方の連れについての経緯を説明し終わるのに少々手間がかかり、叔父を納得させるまでには、ボトルの半分程が費やされていた。

「私達は近くのホテルに泊まるから、お二人は昔の女の話でも肴に今夜は飲み明かせば・・・お互いに!」少々悪酔い気味の彩佳が意地悪そうに茶々を入れてきた。それを切っ掛けに、黙りを決めていた恵が

「お互いにて?」

「そう、お互いにね、昔好きだった女が忘れられないのよ。もう死んじゃったのにさ。」

そんな彩佳の言葉で、僕は何時しか自分の書いた小説の中にいるシオリを思っていた。

僕はその小説の中でもう一人のシオリを生かせてやりたかった。たとえそれが、僕の想像の中での出来事でしか無くとも、そうする事で栞が・・・何も出来なかった栞の人生が少しは救われるのではないかとの勝手な都合の良い言い訳をしていた。

彩佳が酔いつぶれてしまってから、何となく突っ込み所を逃してしまい所在を無くしてしまっていた恵の顔が目に入った。そんな空気を察したかどうかは解らないが叔父が話をし始めた。

「なあ、栞さんに妹か姉が居たとしたら、お前どうする?」叔父の唐突な発言に僕が戸惑っていると

「ええ、新しい展開が有るんですか?」恵がすかさず言葉を挟んだ。

「もしかしたら、栞さんは双子だったかもしれない・・・まだハッキリとはしないんだが・・・」

僕の頭の中だけでしか無かった栞の人生が、本人では無いにしても現実に存在するかも知れないと言う思いに内心驚愕していた。叔父の話では、栞を育ててくれた置屋の女将に妹がいるとの事で、その女将自身は既に他界していたが、当時の状況を知る人物としてその女将の妹に話が聞けそうだと言う事だった。ただ一寸面倒な事がある・・・。」

「琵琶湖の辺まで行かなきゃならんのだ。」

「琵琶湖?」僕と恵が同時に訊いた。

「まあ。女性がいる前でこういう話題は少し抵抗が有るんだが、今の京都の町中には、昔で言う遊郭と言った所は無くなっているんだ。それは、芸子や舞子の品格を確保する目的で、業界が町中から追い出してしまったと言う過去からの経緯があるんだが、まあ。追い出された相手の落ち着き先の一つに叡山を超えた琵琶湖周辺の町があるんだ。」

「それって、所謂風俗のお店って言う事ですね。」恵が明確な口調で言ってから

「まさかそう言う所で働いているって・・・」僕の言葉に対して

「いや、女将の妹は、要はそう言う場所の経営者か女将みたいな事をしているらしい。」

「ええ、じゃー其処に栞の妹だか姉だかが?」

「だから、それは行って話を聞かなきゃ解らんさ。」叔父の言葉の後から、押し寄せてきた思いが僕の頭の中を駆けめぐっていた。僕の想像の中で栞は色々な人生を生きていた。まだ発表もしていない僕の作品や既に本となっている作品の中で、でも風俗嬢をしている栞を思い描いた事は無かった。

「まあ、それでだ。お前行く気は有るか?」叔父の突っ込みに少したじろいでいる僕を察してか

「私も行きたいです。乗りかかった船だし、最後まで見届けたいし。それに女が一緒なら、そう言う所でも変な思いに駆られないじゃないですか!」恵は慇懃いんぎんな笑顔を浮かべ、僕の顔を見た。

段取りは叔父が仕切ると言う事で話はついたが、この話を訊いたら絶対に行くと言い張るだろうもう一人を、僕と恵は、叔父の家の客間へ移動させていた。

「綾姉は、酔うと軟体化するんだ。」

「本当、蛸・・いやスライムみたいですね」シーツを応急の担架代わりにして僕と恵は綾佳を移動させていた。後ろから叔父が

「薫、着替えも頼むな!俺が触ると後で彼奴怒るから!」勝手な事を言い放ってから叔父は、バスルームへ消えていった。手際よく着替えさせている僕を、恵は横から見ながら

「慣れてるんですね。」

「うん、こういうのは躊躇していると夜が明けてしまうから、それに下手にそのままにしておくと、窒息する恐れも有るんだ。ほんとなら裸にして首だけ出して寝袋にでも入れて置くのが一番簡単で安全かもしれないけど。まあ、介護は慣れてるし。」

「外でこんな状態になったら大変でしょう?」

「ああ、その辺は流石にわきまえてると思うよ。少なくとも僕が居ない所では此所まで酔わないから。」

僕らは、酔いつぶれた綾佳を叔父のマンションに残し、恵が予約しておいた駅前のホテルに向かった。地下鉄の駅を上がると、ヒンヤリした空気が流れていた。

「明日は雨かな?」僕が呟く様に言うと

「さっき、介護は慣れてるって言ってたけど、それって・・・」恵が訊いてきた。

「ああ・・入院時代の事。栞が死ぬまでの10ヶ月間、彼奴の介護をしてた様なもんだから。」

「ふーんその時の事ですか。私、綾佳さんがしょっちゅうあんな状態で薫君の所で酔い潰れているのかと思ったので・・。」

「四六時中てわけじゃないけど、良くある事ですね。まあ、彼処まで酔いつぶれるのは珍しい方かな。久々に叔父、父親に会ったので照れも有るんでしょうが。」

 深い夜の闇の中に、運河の水の音と、古都特有の古木の様な匂いが漂っていた。

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