月の谷間にて (1)

奴らドローンは、夜になれば襲撃を止める。今回も、いっぱいの夕日を浴びたリリアの全身に銃弾を浴びせ、その肉体をバラバラに砕いたあと、奇襲攻撃をかけてきたあの忌々いまいましい一機は、そのまましばらく空中停止ホバリングし、ウルラたちをただにらんでいるように見えた。


襲ってくる気なら、そのまま来られたはずだ。だが、やがて日が落ちることを感得したのか、彼は残る生身の獲物へ急に興味をなくしたかのように、そのままツイときびすを返し方向転換して川床に飛び去り、かなたで集合して囮の動きをしていた仲間たちのもとへと向かっていった。


九死に一生を得たウルラたち崖上の生き残りは、集合した敵の群れが一斉に視界の外に飛び去ると、無言のまま、四散したリリアの遺体から、彼女が所持していた歩槍シャイナ弾倉マガジンと糧食だけを回収してその場を立ち去った。そして夜の闇があたりを覆う頃、この谷間のせせらぎを見つけ、誰が何を言うともなく歩槍とバック・パックを下ろして脱衣し、水の中に飛び込んだのである。




水はぬるんでおり、はだ当たりは柔らかかった。せせらぎの流れは、思っていたよりもゆったりしている。水量はさほど多くなく、せいぜいが腰を下ろしたウルラの、小さな乳房の下半分までを隠す程である。この天然の浴槽バス・タブは、夜はキンと冷えるズーロランドの大気からウルラの肉体を保護し、その滑らかな膚にまとわりついて、昼間の壮絶な戦闘の名残なごり・・・すなわち汗とほこりとこびりついた戦友たちの血と・・・そして身体の芯からの疲れを、ゆるやかに拭い去っていった。




ウルラは、ゆらゆらと水の浮力に我が身をまかせ、月を見上げながら考えていた。おかしなものだ。あれだけ信頼し、あれだけ愛したリリアが死ぬところを、あたしは目の前で見たのに・・・彼女があたしを眺める、どこかはにかんだような、悲惨な死の直前の、あの美しい顔を見たのに。


あたしは、全くかなしみを、覚えていない。


あのときは、しかたがない。あの忌まわしい虫が、回転翼を高速で廻しながら、空中で震えつつ、まだこちらをにらんでいたから。次に狙われ、粉砕されるのは自分だったから・・・そして背後の仲間たちであったから。敵の裏をかいて待ち伏せし、勝利を得たかに思えた次の瞬間に奇襲され、完全に一敗地にまみれ、あとは死ぬばかり、といった状況だった。


だから、リリアの死をかなしんでいる暇なんてない。だが、こうして命をつなぎ、ぼりぼりと戦闘糧食レーションの「ぱさぱさビスケット」をかじり、ひといきついて、今はただこのせせらぎに身をひたし、ゆっくりしている。




なのに・・・あたしは。


ぜんぜん、かなしくない。




そんなことより、自分が助かったことがうれしい。理由はわからないけれど、奴がそのまま飛び去って行ったことがうれしい。一息つけたことがうれしい。また一夜の、ほんの一夜の命をつなげたことがうれしい。


ウルラは、そんな自分が信じられなかった。あえて言うなら、かなしくない自分が悲しかった。悲しかったけれど、しかし、それ以上にホッとしていた。リリアを愛していたけれど、自分が助かったことは、きっと、リリアが死ぬこと以上に大事なことだったのだ。


リリア、ごめん。


ウルラは、月に向かってつぶやいた。あの冴えないくすんだ月が、リリアのわけはないけれど。でも今は、月は美しくないほうがいい。リリアは綺麗でないほうがいい。




だって、あたしは、リリアが死んだのに、ぜんぜんかなしくなんてないんだから!




不意に、涙が溢れてきた。最初は目尻にじんわりとだったが、そのうち、とめどなく流れてきて、止まらなくなった。水はぬるいはずなのに、なぜか身体の震えがとまらなくなり、ウルラは、水中で平衡が保てなくなって手足をばたつかせた。身の回りに、小さな白い波が立った。


ウルラの眼には、その小さな小さな波頭が、リリアからの別れのあいさつであるような気がした。自分で自分の身体を制御コントロールできなくなり、そして現れたのがその波頭だったからだ。


きっと、リリアはまだこの近くにいる。人が死ねばどうなるのか、誰もあたしに教えてくれなかったけれど、たぶん、リリアはまだ近くにいる。そして、あたしに何かを言おうとしている。あたしはそれが、かつて信頼し合い、愛し合ったあたしに対する、たぶんあいさつなのだと思う。


そう思おう・・・きっと、そうだ。


リリアは、行ってしまった。永遠に、あたしの前から去ってしまった。


ウルラの身体の奥底からとめどもなく流れ出てきた涙が、そのまま褐色の頬をつたい、肩と乳房にすべり落ち、そしてせせらぎの中にこぼれて、流れのなかに呑みこまれていった。




せせらぎって、いいな。


ウルラは思った。だって、いくら泣いても、いくら震えても、あたしはずっと、あの月から自分の涙を隠しておけるのだから。

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