2月のスノードロップ
ましろ毛糸
1*ヒント
『スノードロップ』って知ってる?
ヨーロッパに咲く 小さな白い花のこと。
日本だと『
春先に咲くことから、「春を告げる花」って言われてるんですって。
とっても素敵で、あなたにピッタリね──。
*・*・*・*
鐘の音とともに、駅の時計が午後5時を知らせた。
日は既に落ち、コートを着ていても凍えるような寒さだった。
にもかかわらず、駅周辺は人で溢れかえっていた。
帰宅ラッシュが始まりつつあるのも原因のひとつだが、今日は手を繋ぐカップルや、プレゼントを片手に歩く女性の姿が多く見られる。
2月14日。
日本では、女性が 好きな男性にチョコレートを贈る日だ。
けれど、独り身の刑事である自分には、関係のないイベントのように思えた。
そこは、両脇の壁に大きな鏡と洗面器がいくつも並んでいて、その奥が個室トイレとなっていた。
けれど中にいたのは、スーツを着た男や作業着を着た人ばかり。
全員、永瀬と同じ警視庁の捜査官だ。
そして、出入り口から最も離れた洗面台の袖壁。その隅に もたれかかるように、1人の女性が倒れていた。
女性のそばへ行き、顔を覗き込むと、化粧で綺麗に彩られた瞼は開かれたままだった。
大きな黒眼は、まるで人形のように光を失っている。
左耳から ぶら下がるシルバーのピアスだけが、周りの振動で時折小さく揺れていた。
「また女の子か…」
背後から聞こえた声に反応して振り向くと、上司であり永瀬の相棒でもある
黒木は、遺体の前まで歩み寄り、その場にしゃがみ込んで静かに手を合わせた。
「こういう子を見ると、自分の娘を見ているようで苦しいよ。『なぜ彼女が』『まだ早過ぎる』…ってね」
小さな声で呟く背中は、かつて『鬼の黒木』と恐れられた刑事の背中とは思えないほど弱々しく見えた。
「──状況は?」
黒木が永瀬の方を振り向いた。
永瀬は、スーツジャケットの胸ポケットから手帳を取り出した。
「15:50頃、
駅の交番で待機していた警官の対応は、迅速かつ的確なものだったと思う。
けれど女性は、その時既に息絶えていた。
恐らく即死だろう。それなのに、目立った外傷は一切見当たらない。
「…例の『突然死事件』と見ていいかと」
「これで4件目か…」
2月を迎えた都内では、20代の若者が 文字通り「突然死」する事件が多発していた。
外傷なし。内臓にも異常なし。遺体には何の手がかりもないと言っても過言ではなかった。
また、被害者同士の接点や、事件の共通点もなく、捜査は難航を極めた。
「ヨル。恐らく今夜中に捜査本部ができる。
既に4人も死者が出ている。
捜査本部ができてもおかしくないかもしれないが、永瀬はその"タイミング"に疑問を感じた。
「なんか急ですね。4人目が発覚したのなんて、ついさっきですよ?」
「2人目と3人目が兄妹だっただろ? 噂によると、
──なるほど。
刑事部長の親族が不審死したとなると、いつまでも小規模な捜査を続ける訳にはいかないのだろう。
「身元は出たか?」
「はい。
「仕事帰り…にしては早いな」
「しかも彼女、今日は休みだったそうです。さっき吉岡さんの同僚から話を聞いてきました」
吉岡麻美の自宅アパートは、ここから3駅先にある。
わざわざ休日に職場のある駅まで来るとなると、何か特別な用事か、誰かと会う約束をしていた可能性が高い。
「彼女の死亡前の行動を調べてみよう。今度こそ手がかりが見つかるかもしれない」
黒木も、永瀬と同じ考えに至ったようだ。
永瀬は強く頷き、黒木の後を追って現場を去ろうとした。
けれど永瀬は、再び遺体に視線を向けた。
ちょうど遺体が運ばれる準備が進められていて、仰向けにされ、その全身がシートに被せられるところだった。
「ちょっと待ってください」
永瀬は、シートを被せようとした捜査官に声をかけ、遺体に近づいた。
膝をついて前屈みになりながら、先ほど目に留まったピアスを見た。
上手く説明はできないが、このピアスに何となく違和感を感じた。
蕾のようなものが首を垂れている 不思議な形をしているが、かなりシンプルなデザインだった。
細かい所までよくできている と素人目にも分かった。
そして、彼女の左耳には、それとは別にもう1カ所ピアス穴があった。
右耳も確認すると、こちらにもピアス穴があった。
もしかして──
永瀬は、遺体の長い髪を軽くかき分け、耳朶の裏を確認した。
そして、先ほどの違和感の正体がはっきりと分かった。
「このイヤリングを鑑識に回してください。あと念のため、この耳の部分もよく調べるよう監察医に伝えてください」
こんなイヤリングひとつが、まるで事件に関係しているとは思えない。
けれど永瀬は、わずかに残された「関係ある」方の可能性を無視する事ができなかった。
*・・・・・・7・・・・・*
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