173話 コウの過去 36



 出来ることなら、また2人と一緒に遊びたかった。しかし、もはやその願いは叶わない。

 2人の笑う顔が目の前に見えたような気がした。


 ……。


「おおおおおお!」


 どこからともなく響いた怒号に、河童達はその体をびくりと震わした。美音の首を締めていた手も、同時に緩まる。


「離れろおお!!!」


 その叫びと同時に、美音の右側の茂みから木刀を上段に構えた功が飛び出してきた。それに驚いた河童が尻餅をつく。


 そして、構えられた木刀は一直線に振り下ろされた。


 まるでガラスが破れたかのような音が響く。しかし、それと同時に赤い液体も辺りに飛び散った。


 だが、功の動きは止まらなかった。赤く染まる河童の頭にめり込んだ木刀を離し、勢いを殺さずに跳ぶ。

 その先にいたのは、尻餅をついた河童に押され、バランスを崩したもう一方の河童。

 次の瞬間には、功の右足と地面の間に河童の頭はあった。


 全身全霊の力を込め、右足を地面へ向かって叩き落とす。先程よりも重い音があたりに響き渡った。


 突然の功の登場に驚いたのか、周囲にいた河童達が散っていく。その場には、2匹分の河童の死骸と、功と美音だけが残った。


「美音ちゃん! 大丈夫!?」


 周辺を見渡し、河童達が去った事を確認した功が美音へ話しかける。


「……美音ちゃん?」


 しかし、美音からの返事はない。嫌な気を感じ、慌てて彼女の元へ駆け寄る。

 肩を揺さぶりると、俯いていた彼女の顔が力なく上を向く。それを見た功の目が見開いた。


「嘘だろ……息……してない……」


 その顔は血の気がなく、うっすらと開いた目からは涙が流れている。しかし、そのわずかに見える瞳に光はなく、空を見つめていた。


 その下に見える首には、強く締められたような痣が残っている。


「え……嘘……息……嘘……」


 目の前で起きている事の理解を、脳が拒否する。口からは同じ言葉が漏れ出る。頭の中は真っ白、しかし目の前は真っ暗。


 無情にも、その状態の功の周囲に再び草をかき分ける音が鳴りはじめた。散っていった河童達が戻ってきたのだろう。


「はっ……はっ……」


 しかし、功はそのことに気づく事なく、動かない美音を見つめ続けている。


「……ごめん……」


 かすれ、声にもならないような小声が漏れる。そう漏らすと、功は何もかもを諦めたように、静かに目を閉じた。


 暗闇の中、情報が何も入らない。ただ、美音を守れなかった事実だけが思考を支配する。


 この世界に来たばかりの時、布団に彼女が入って来て慰めてくれた。虐げられ、辛いはずなのに、それを思わせないほどの笑顔で自分に接してくれた。


 いつの間にか頭の中は彼女との短くも長くも感じる記憶が、早送りで流れていた。

 そして、その記憶が今日の夜に見た彼女の寝顔に到達した瞬間、全く別の場面へ切り替わった。



 ビルが並ぶ背景に、制服姿の1人の少女が隣を歩いている。その少女と会話し、彼女が笑顔を見せた。

 大通りの交差点へ差し掛かる。彼女は手を振り、横断歩道を渡りはじめた。


 そして、轟音と共に黒い影に跳ね飛ばされた。




「……!!!」


 それを“見た”瞬間、目覚めるように功の目が開く。


「……もう……いやだ……」


 前世で死なせてしまった妹。自分の体が少しでも動けば、彼女の手を引いていれば助けられたはず。

 どれだけその事を後悔したか。


 ならば、今はどうだ? また後悔するだけか?


 そう感じたと同時に、功の体は勝手に動いた。

 木にもたれかかった美音の体を、地面へ慎重に寝かせる。そして、顎と額に手を添えた。


「絶対に助けるから……」


 そう呟き、人工呼吸を始める。美音の胸が膨らむのを確認しながら繰り返し、続いて心臓マッサージに移る。

 高校生の時に習った手順を、必死に思い出しながらひたすら繰り返す。


 美音には妹の面影を感じていた。

 彼女と出会う前は、妹のことを考えるたびに辛くなった。しかし、彼女を見て妹を思い出すたび、心は暖まった。


 彼女は自分を救ってくれたのだ。


「……っ!!」


 周囲の河童の存在に気がつく。草木の間からこちらをじっと見つめていた。もはや、いつ襲って来てもおかしくない距離まで来ている。


 だが、人工呼吸と心臓マッサージをする手は止めない。


 じりじりと河童達が距離を詰めてくる。焦りが大きくなり、汗が次々に流れた。


「っっ! 美音ちゃん!!」


 名を叫び、彼女の口へ息を送り込む。それと同時に、様子を見ていた河童が1匹飛びかかって来た。


「っっ!!」


 視界の端でそれを捉え、とっさに足元の拳よりやや大きめの石を掴み、頭へ殴りかかる。

 反撃を受けた河童は頭部を押さえて地面をのたうちまわった。すかさず功は馬乗りになり、河童へ追撃をする。


「ああっ!! ああっ!!」


 言葉にならない叫び声と共に、両手で掴んだ石を河童の頭へ叩きつける。返り血が功の体を赤く染めると同時に、断末魔を上げていた河童は動かなくなった。

 その様子を見て警戒したのか、周囲の河童の動きが止まる。

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