第33話 ご奉仕①

 椅子に座っている俺は、草飼さんに紅茶の入れ方をレクチャーされている吉良坂さんの背中をじっと見つめていた。


 ロングスカートのメイド服を着ている草飼さんと、ミニスカートタイプのメイド服を着ている吉良坂さん。どちらにも捨てがたいよさがある。


 あ、ちなみに紅茶を入れるのに必要な道具はあらかじめ草飼さんが持ってきておいていたらしく、理科準備室の戸棚の中に隠されてあった。


「それで、あとはお湯を注ぐだけです」


 草飼さんの言葉通り、吉良坂さんがティーカップにお湯を注ぐ。とたん紅茶の香りが爆発した。高貴でフローラルな香りが部屋の中に充満して、思わず顔がとろけてしまう。


「これでいいの?」


 不安そうに尋ねる吉良坂さん。高級そうなティーカップからは白い湯気が揺蕩っている。


「はい。お上手でございます。ですがこれで完成ではありません。あとひとつだけ、重要な工程が残っております」


 それはですね、と草飼さんが吉良坂さんの耳元に顔を近づけ、なにやらひそひそと耳打ちをしている。企業秘密ならぬメイド秘密ってやつですか?


「え? そんなことするの?」

「はい。ご主人様のためです。それがメイドというものなのです」

「なるほど」


 深くうなずいた吉良坂さんが、ティーカップを乗せたトレイをもって俺のほうに歩いてくる。……あれ? さっき話してたメイド秘密は? なにもやってないよ?


「お待たせいたしました。ご主人様」


 吉良坂さんが俺の前にティーカップを置く。中を覗き込むと、澄んだ茶色の液体が煌々と光っていた。香りも強烈だ。早くその幸せの液体をよこせと身体中が叫んでいる。


「じ、じゃあ、いただきます」


 俺がティーカップの取っ手に手を伸ばそうとすると、


「あ、お待ちください。ご主人様」


 吉良坂さんの手が目の前に伸びてきた。彼女の大きな胸がまだ少しだけ揺れている。


「え? 飲んじゃダメなの?」

「いえ、その……最後にまだ重要な作業が残っておりますので」


 ああ、さっき話してたやつか。


 でも、わざわざ俺の前に持ってきてからやるべきことって、いったい?


「じゃあ、いきますね」


 前屈みになってティーカップに顔を近づけていく吉良坂さん。胸の谷間がちらりとのぞく。上から見てもほんと美人だなぁ。長いまつげは大人っぽいのに、丸みを帯びた頬からは幼さを感じられる。その二律背反さ、完璧な比率で両立している矛盾が本当に素晴らしい。


 ってこんな分析してる場合じゃないよ!


 だって……。


「ふぅー、ふぅー」


 吉良坂さんが紅茶に向けて、二度も息を吐きかけたんだよ? 吉良坂さんの吐き出した息に押され湯気が揺れ、紅茶の表面がさざなみ立つ。


「あと一回くらいかな、ふぅ~」


 今度はさっきより長めに。


 少しだけ突き出された真っ赤な唇はもうキス顔じゃないか!


「あ、ありがとう、ふうふうまでしてもらって」


 なんだろうこの感じ。


 一億円くらいこの紅茶の価値が値上がりしたよ!


 なんなら紅茶より熱くなってる俺の身体をふぅふぅしてほしいくらいだよ!


 さすが草飼さん男心をわかってるぅ!


「私はご主人様にご奉仕をするメイドですので。尽くすのは当然です」


 吉良坂さんは頬を真っ赤にして、いじらしく俺を見上げる。


「では、最後にもうひとつだけよろしいですか?」

「え、まだあるの?」


 はい、と返事をした吉良坂さんが両手でハートを作り、「え、えっと」と恥ずかしそうに視線を右往左往させてから、


「お、おいしくなーれ、も、も、もえもえ、きゅん」


 言葉にあわせてそのハートを一回転させ、ウインクしながら紅茶に向けてハートを伸ばした。全力で振り切るのではなく、ものすごく恥ずかしそうに、もじもじと。やってる間に心がぽきぽき折れている音が聞こえてくるような。


 でも、それがまたいいんだよ!


 女の子が照れてる姿ってほんと可愛いよね!


「ど、どうですか? ご主人様ぁ」


 吉良坂さんが、『ちょっと、なにか反応してよ』みたいな視線を向けてくるが、この無言も楽しみたいのであえてなにも言わない。あぁ、どんどん吉良坂さんの顔が真っ赤になっていく。


「その……ど、どうぞ」


 羞恥が限界を迎えたのか、吉良坂さんが少しだけティーカップを俺の方へずらす。


「じゃあ、いただきます」


 ティーカップを手に取り鼻の近くに持っていくと、フローラルな香りが鼻腔に広がった。二度深呼吸をする。そうやって香りを存分に楽しんだ後、ようやく口に含む。


「……おいしい」


 期待以上のまろやかさと甘さ。頭がとろけそうなほど優しい味だった。


「ほんとに? よかったぁ」


 吉良坂さんの顔にようやく笑みが戻る。


「すごくおいしいよこれ。吉良坂さんの萌え萌えパワーの味がする」

「……いじわる」


 あ、また顔が真っ赤になった。


「あれは草飼がやれって」

「あの……お二人でいちゃついているところ悪いんですけど」


 草飼さんが不機嫌さを隠さず続ける。


「その甘ったるいメイドプレイを続けて『次はご主人様のウインナーに萌え萌えキュンしてぱくっと食べちゃいますね』をする気がないのであれば、次の指令を引いていただいてもよろしいですか?」

「そもそもメイドプレイなんかしてないだろ!」

「ふぅふぅや萌え萌えきゅんがメイドプレイじゃないとでも?」


 図星過ぎてなにも言い返せない……いや、草飼さんがやらせたんだろ!


「まあ、次は俺の番か」


 ふぅ、と一息つき、指令の紙を引きに行くために立ち上がろうとしたとき。


「あ、……れ? から、だが……動かない?」

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