第25話 宮田下銀の過去②

 俺はその日から公園に行かなくなった。


 恥ずかしかったからだ。


 あれだけ自慢げに語っていたのに、一次審査で落ちたなんて宮本さんに言いたくなかった。


 俺が公園に行かなくなってから一週間。


 ふと気になって公園を覗いてみると、俺たちがいつも座っていたベンチに座る宮本さんがいた。


 次の日も、また次の日も、独りぼっちで俺のことを待っている。


 その健気な姿を見ていられなくなって、ついに俺は彼女の前へ歩み寄った。


「よっ。ひ、久しぶり」

「あ、よかった。もう来ないかと思った」


 彼女は花が開花したときのように嬉しそうに笑う。


「まさか、毎日待ってたの?」


 知ってたのに、見ていたのに、そう聞いた。


「うん。だってまた明日って約束したから」

「もう明日じゃないじゃん」

「ほんとだね。でも、こうして来てくれたからよかった」


 俺は彼女の隣にちょこんと座る。いつもの距離より拳二つ分くらい余分に間を空けて。


「……」

「……」


 無言になってしまう。こうして隣に座ってみたはいいものの、なんと話しかけていいかわからない。公園で遊んでいるほかの子供たちの黄色い声が、とても耳障りに思えた。


「あのね、宮田下くん」


 やがて聞こえてきた彼女の声は、励ましと不安の狭間で揺れていた。


「まだまだこれからだよ。次、頑張ればいいよ」


 その瞬間、世界から音が消えた。


 次、頑張ればいいよ?


 え?


 俺が書類審査で落ちたことを宮本さんが知っている? 言っていないのにどうして?


「次はもっと頑張ってさ」


 ああそうか、と俺の中ですとんと腑に落ちるものがあった。


 一週間も姿を見せなかったんだ。


 誰だって俺が落ちたと推測できる。


 だからこうして宮本さんは励ましてくれているのだ。


 次頑張ろうよ、なんて声をかけてくれるのだ。


 俺がもう、演じることに対して情熱を失っているとも知らずに。


「私は、宮田下くんの演技は世界で一番だと思ってるよ」

「うるせぇ」


 俺は静かに言い放った。


「え?」


 宮本さんの声が引きつる。


「どう、したの?」

「だから、さっきから勝手にぺちゃくちゃうるせぇって言ったんだ」


 彼女の方を見ることができない。俺はいま彼女のことを傷つけている。八つ当たりしている。それを心の中心で自覚しながら、俺は彼女へ鬱憤をぶつけるのをやめなかった。


 やめられない、じゃなくて


 いま思うと、あのころの自分は本当に子供だった。でも、ああするしかなかったのだと思う。『不合格』の文字を見たときの悔しさ、苦しさ、虚しさ、恥ずかしさ、情けなさを当時の俺は受け止めることができなかった。ちょっと前まで俺の全てだったはずの、声優なりたいというキラキラした感情を、切実な願いを、こんなにも簡単に失ってしまった自分に腹が立って、どうしようもなかったのだ。


 宮本さんに、あれだけ自信満々だったのに書類審査で落ちた可哀そうな人、と思われているのが耐えられなかったのだ。


「お前、いつも適当に褒めてたんだろ?」


 ひどい言葉だな、と当時の自分も思ったような気がする。


 宮本さんの肩がびくりと跳ねた。


「そ、そんなことない」

「だってそうだろ? 俺は落ちた。書類審査で。才能がないことの証だ。実技に呼ぶ必要もないって、そういうことだから」

「私、違うよ」


 宮本さんが俺の震えている拳の上に、手を重ねてくれた。


「私はいつも、宮田下くんの演技はすごいって、見ると元気になれるから」

「なわけないだろ!」


 彼女の手を思い切り振り払う。


「俺の下手な演技見て、お前は心の中で嗤ってたんだ!」

「そんなわけない」

「じゃあなんで俺は落ちたんだよ!」

「それは……」


 彼女にわかるはずもない。それでも元気づけようと必死で言葉をひねり出してくれる。


「でも、私には輝いて見えるから、次また頑張って」

「次はない。もう、どうでもいいから」

「どうして一回落ちたくらいで諦めるの?」


 宮本さんが少しだけ声を荒らげた。


「私は素敵だって思うのに」

「知るかそんなの。演技なんかに本気になるとか、いま考えてみたら超ダサいじゃん。もう俺はそんなの目指してないし」

「なんでそんなこと言うのぉ……」


 宮本さんが泣き出してしまった。


 公園にいた子供たちがこちらを見ている。


「私は、ほんとに楽しかったんだよぉ……」


 宮本さんが俺のために泣いてくれている。


 その事実が心の中で暴れて、どうしていいかわからなくて、俺は彼女を置き去りにして公園から走り去った。


 それ以来俺は彼女と会っていないし、オーディションに履歴書を送ることもなかった。

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