第7話 まごうことなき聖人君子

「ああ、憂鬱だぁ……」


 下駄箱で靴から上履きに履き替えながら、ついついぼやいてしまう。


 今日の放課後、吉良坂帆乃からどんな命令がくだるのだろうか。奴隷だもんなぁ俺。でもあの写真ある限り、反抗できないからなぁ。


 ああ!

 

 俺の高校生活、もう終わったなぁぁぁあああ!


 心の中でそう叫びながら教室へ向かう。吉良坂さんはすでに登校していた。窓際の最前列の席で耳にイヤホンをして、静かに本を読んでいる。こうして見ると、物静かでおしとやかってイメージしか湧かないんだけどなぁ。普通に俺を奴隷にしてきたからなぁ。


 吉良坂さんを目で追いかけながら机の間をくねくねと進み、窓際最後列の自分の席に座る。


 すぐに隣の席の山本やまもとが顔を近づけて話しかけてきた。


「よっ、朝から笑顔が輝いてんなぁリア充男っ」

「お、おはよう」


 そうだった! 昨日こいつにはラブレターをもらったことを言ってたんだったぁ! それで朝からニヤニヤしながらウザ絡みしてくるんだぁ!


「なんだよ宮田下」


 俺のテンションの低さを不思議に思ったのか、山本が訝しげな視線を向ける。


「朝からオナってたら母親に見つかって意気消沈みたいな顔して」

「いやぁ……まぁ……」

「そりゃあ初めての彼女でエッチな妄想が捗るのもわかるけど、朝っぱらからするこたねぇだろ」

「やってねぇよ」

「まじか? 俺はヤッてきたぞ?」

「自慢げに言うな。ボリビアの総理大臣が誰かくらいどうでもいいわ」


 俺は吐き捨てるように言ってから机に突っ伏した。


 しかしすぐに肩を揺すられる。


「おい無視すんなよ。で、誰だったんだよ? 相手は? いいから教えろよ」


 まあ、山本の反応も当然と言えば当然か。だって昨日、俺から山本にラブレターを貰ったことを自慢げに伝えたのだ。気になって尋ねる方が自然だ。


「ここまできてダンマリはなしだぜ。あ、もしかしてブスがきたとか?」

「ちげーよ」

「じゃあ誰が来たんだよ? 俺の知ってるやつか?」

「来なかったんだよ」

「はっ?」

「だから誰も来なかったんだよ」


 結局、俺は嘘をつくことにした。女子二人にはめられて奴隷になったなんて、恥ずかしくてとてもじゃないけど言えない。


「え、ま、マジ?」


 山本の表情が固まる。


「マジもマジも大マジ」

「そっか……それで朝から顔色が悪かったのか」


 おお、心配してくれるんだな心の友よ! お前とはこれから先なにがあっても――


「――っくはははは! マジかよそれ!」


 いますぐ絶交することをここに誓います。


「なに笑ってんだよ? あと声がでかい!」


 クラス中の視線が集まっていた。吉良坂さんは全く気にせず本を読んでいるけれど。


「わりぃわりぃ」


 山本が顔の前で手を合わせる。


「でも、くふふっ、はは、来なかったって」


 こいつマジ人の不幸をなんだと思ってやがんだ。ってか来なかったわけじゃないし。梨本さんっていう美人が来たけど、なぜかフラれていろいろあって、吉良坂さんの奴隷になっただけだ!


 うん! 真実の方が残酷だねっ!


「笑いすぎな。別にもう気にしてねぇから」

「でもさ、それってからかわれたってことだろ?」

「そうだけど、まあ昨日からもしかしたらそうかなぁとは思ってたから。やっぱりなって感じだったから」

「記憶はたしかか? 俺が昨日からかわれてる可能性を指摘したときに、『なわけあるかっ! ラブレターなんて古典的な手法を使うやつは古風で清純な女の子だから、きっと俺の好みにぴったりだ!』なんて自慢してきたじゃねぇか!」


 くそっ! こいつ変なことばっかり覚えやがって。


「ったく、その記憶力を勉強に活かせよな」

「バッカだなぁ。からかえそうなことだから覚えてられるんだよ」

「ねじれ国会ばりに捻くれてんな」

「お褒めにあずかり御光栄です」


 けらけらと笑う山本に舌打ちを返す。ただ、変に気を使われたり心配されたりするよりは、こうして笑い飛ばしてもらった方が何倍も増した。本当に捻くれてる奴は、当人の前では心配しているふりをして、陰でこそこそ笑うやつだから。


「でもそうかぁ。ついにこの縄文時代クラスの古風な男、宮田下みやたしたぎんに彼女ができるはずだったのになぁ」

「古風じゃなくて女の子を大事にすると言い換えろ。縄文時代の恋愛事情知らないだろ?」

「え? 卑弥呼様のハーレム物語だろ?」

「邪馬台国は卑弥呼様専用のホストクラブだったのか知らなかったなぁ」


 俺がそうツッコむと、山本が「ぶふっ」と吹き出す。そのとき、なぜか吉良坂さんも肩を揺らしていた。ん? そんなに読んでいる小説が面白かったのか?


「まあとにかく、これで銀は一生童貞の魔法使いの錬金術師だな」

「錬金術師の魔法使いが童貞とか、世の女性の見る目なさすぎだろ。相当な好物件じゃん」

「お前のそういう皮肉俺は好きだけどさ、いまどきもういないって。エッチから始まる恋愛物語を全否定するのは。高校生がつき合うイコールセックスしたい! だと言っても過言じゃないのに」

「なに言ってる?」


 ほんと、これだから思春期真っただ中なの男子子高校生は。


 もっと大人になれよな。


 この宮田下銀様みたいにさ。


「そんな関係は本物の愛じゃない。身体の関係なんかなくたって本物の愛は築けるはずだ」

「じゃあ、もし仮に彼女が出来たらお前はエッチしないのか? したいだろ? そのためにつき合うんじゃないのか?」

「残念ながら俺はそんじょそこらの男とは違うんだ。身体の関係なんかいらない」

「女の方からエッチしようって誘ってきたら?」

「お断りだね。ってかすぐに身体の関係を求めてくるような人とはつき合えないしつき合わない。価値観が違い過ぎる。そんなビッチ女こっちからごめんだ」


 俺がそう宣言すると、吉良坂さんの席の方からガコっという音がした。膝を机の裏面に思いきりぶつけたらしい。そんなに読んでる小説が面白いのか? なんか耳にはめているイヤホンをずっと抑えてるんだけど……まあいいか。


「はぁ。お前とつき合う女がかわいそうだよ。身体の関係は不純だ! なんて言っててもどうせ彼女でオナニーするんだろ? だったら彼女と愛し合った方が何倍もましだよ」

「セックスのことを愛し合うと表現する文化を俺は嫌悪する。ってか俺はオナニーもしない」

「そんな聖人君子がどこにいる?」

「どうも、まごうことなき聖人君子です!」

「精神科紹介した方がいいなこりゃ」


 呆れた様子の山本がそう言ったところで、担任の先生が入ってきた。


 席を離れていたクラスメイトたちが自分の席へと向かう。


 吉良坂さんも耳からイヤホンを外して、本を閉じ鞄に――床に落とした。それらを拾おうとした手が震えているように見えるんだけど、気のせいか?

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