第4話

「千春は学校に行ってないの?」

「ああ、うん、そうだね」


 下の名前で呼び合うほどの仲になるのに、そう時間はかからなかった。

 千春は毎日こまめに会いに来てくれるし、不思議なことになんでも話せる雰囲気があったのも、打ち解けられた要因だろう。

 それに、彼の蕩けるような笑顔は私の澱んだ心さえ暖めてくれる。じっと二つの目に見つめられるだけで、こんな世界にも太陽があるんだなと教えてくれる大事な存在になっていた。


 自分のことを話したがらない千春にしつこく聞き出して知ったことだけど、どうやら千春は最近高校を休学したようだ。

 全日制の高校を、体調を理由に休学して、今は自宅で療養しているらしい。

 思ったより重い病気なのかと心配になり何度も尋ねてみたけど、その度にはぐらかされていた。

 ちなみに彼女はいないみたいで、ホッとする自分がいたのは内緒の話。


「凜はさ、病気が完治したら、したいこととかある?」


 購買で買ってきたカフェオレ片手に、中庭のベンチで私に唐突に訪ねてきたことがあった。


「治ったら? んーもう考えてもなかったなあ。あのね、実は私の胸には人工心臓が埋まってるの」

「人工心臓?」

「そう。もう元の心臓が限界を迎えてね、心臓移植を待つ間の繋ぎみたいなもの。でも繋ぎだから使用期限が決まってて、それが二年くらいなんだけど、もう半分切っちゃったの。だからかな、どこか行きたいなんて思えないよ」


 本当は、お弁当でも作って千春とピクニックにでも行きたい、なんて言えずに奢ってもらったカフェオレを想いと一緒に飲み込む。


「そうなんだ……どうせなら僕の心臓をあげられたらな。そしたら一緒に色んな街に行けるのに」


 彼は満開に近い桜を見あげながら、ポツリと呟いた。


「なに言ってるの。心臓あげちゃったら、こうやって一緒に過ごせないじゃん」

 最初は女性に対して軽い人かと思っていたけど、実は千春は優しい人なのがよくわかる。

 正面から私を見てくれる。その反面、初対面のときに感じた儚さは、より一層増してるような気がしてならなかった。私の心の片隅で不安が歪な塊となり、病巣が広がっていく。


「あのさ、僕と約束してくれないか。いつか君が、君を蝕む全てから救われたとき、僕の事をどうか忘れないでほしい」


 そう言って、桜の刺繍が施された御守りを私に手渡してくれた。

 受け取ってから気付く――男性から貰った初めてのプレゼントであることを。

 その言い方は気になるけど、千春なりの応援だと思えば嬉しさがこみ上げてくる。


「はいはい。千春を忘れるわけないじゃん。ずっと友達だよ」


 モノクロの桜は、本来の色を取り戻しつつある。


         ※ 


 また千春が姿を現さなくなった。

 私の前から姿を消して、一週間が過ぎる。千春には今すぐ伝えたい事があったというのに、伝えられないもどかしさに一人ベッドで悶ていた。

 なんと、あれほど見つからなかった私に適合するドナーがとうとう見つかったらしい。そこからは急ピッチで予定が組まれ、二日後には移植手術が行われることが決まった。これまで諦めてきた人生が嘘のように回り始める。

 早く伝えたかった――私、本当に助かるかもしれないと、千春に早く伝えたかった。

 テレビの小さな画面の中で、アナウンサーが桜の満開はもうすぐだと笑顔で伝えていた。

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