春に私は恋をした

きょんきょん

第1話

 届きそうで、でも届かない。

 遠い星から届く光が旅する距離を考えれば、ほんのすぐそこにあるはずなのに届かない距離。

 私達は、これからの長い人生をこの距離で生きていくんだ。

 今ならはっきりと伝えられるよ。

「大好きだよ」と。


         ※


 いつから世界がモノクロに見えるようになったんだろう。

 病院の敷地内を、それも定められた時間内でしか表に出ることを余儀なくされる生活を、私、広瀬ひろせりんは十五年も過ごしていた。

 大人にとってはあっという間かもしれない十五年という歳月は、子供にとっては無限に等しい。

 その長い時間を、いつ止まるかもわからない時限爆弾付きの心臓を抱えたまま、同じ回数だけ桜の生き死にをこの目で見続けた結果、生きてることに果たして意味があるのか、とこの頃の私は自暴自棄に陥っていた。

 例年より早く訪れた桜前線が、次第に北上を始めた頃、私が入院している病院の中庭に植樹された一本の桜の樹も、まだ準備が整っていないと恥ずかしそうに蕾から花弁が顔を覗かせ始めたあの日――彼と出会った。


「随分と早い花見だね」

 その日もベンチに腰掛け、いつもと同じように開花宣言にはまだ早い桜を見上げていると、風に乗って、子供とも大人ともつかないような男性の声が耳朶に届いた。

 反応を返す前に、タイムラグが生じる。

 この数年、入院中に話すのは病院関係者か両親くらいと決まっていた。そのブランクが返す言葉を見失わせる。


「隣いいかな?」

「え、いや」

 イエスともノーととも伝えてないのに、そいつは隣に遠慮なく腰を下ろした。

 ちらと、垂れる前髪から声の主に目を向けると、同世代と比べて一回り小柄な私と、そこまで変わらない男の子が取り残された冬のように真っ白な笑顔で立っていた。

 溶けて消えたしまいそうな――そんな男の子だと、何も知らなかった私は彼にそんな第一印象を抱いた。

 二人座ってもまだ余裕のあるスペースを、敢えて無駄に使うようにパーソナルスペースに潜り込んでくると、その後は終始見知らぬ男の子のペースで――一方的に話を聞かされていただけだけど――会話は進んでいった。なにを話していたか後になっても思い出せないけど、しばらく話し続けていた男の子は腕時計に目を落とすと、「時間だから行かなくちゃ」と一言告げ、立ちあがった。


 ――良かった。やっと開放される。

 突然現れた春の嵐が去ることを知り、ホッと胸を撫で下ろすと、突然吹いた風に震えた肩に男の子は恥ずかしげもなく自分の上着をかけた。

「え?」

「まだ寒いから体に気をつけてね」

 なんて台詞を残して、病棟の中に姿を消していく背中を呆然と眺める。

 いったい何が起こったのだろう。借りた上着は暖かく、他人の匂いがした。

「そういえば、名前も聞いてなかったな」

 上着を返そうにも、どこの誰かもわからない。だけど、またここにいれば、また会えそうな――そんな予感に満ちた出会いだった。

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