天空神話

高遠もも

プロローグの遙か昔〜プロローグ

〜プロローグの遙か昔



 この次の生があるならば、どうか地に住む人となれますように。


 この魂を、天から降ろし、地に息づかせて下さい。


 光に溶けいく瞬間まで、願い続けたこの想いを、どうか、どうか、叶えて下さい。


 再び、あの人に逢えますように。


 再び、あの人の腕に還ることができますように。




 



 この次の生のすべてをお前に捧げよう。


 この魂に力を…。


 地に降りてくる魂を、しっかりと受け止められるように。


 闇に溶けいく瞬間まで、願い続けたこの想いが、必ず天に届くように。


 私は必ずお前を探しだす。


 再びこの腕に抱く日まで、幾たび土に帰り、幾たび生まれ落ちようとも。



 この想い、叶う日まで…。




〜プロローグ



「ちょっと待ったっ」

「どうして?」


 待てと言ったのは、東堂歩とうどう・あゆみ十九歳。

 大学の考古学研究室にいる二年生。

 名前は可愛らしいが、性別はれっきとした男だ。


 なのに、散乱した荷物の中、床に押さえつけられるという、哀れな姿をさらしている。


 のしかかり、押さえつけているのは、宮原龍也みやはら・たつや二十歳。

 歩と同じ研究室の三年生。歩の一年先輩だ。

 焦る歩をものともせず、顔を近づけていく。


「だからっ、龍也って…」


 言葉は途中で吸い取られた。

 いきなりこんな濃厚なキスをお見舞いされることは少ない。

 たいがい、ついばむような優しいキスから始まって、次第に…というパターンだから。


 なのに今日はどうだ。

 歩が目眩を起こしているうちに、着々とその着衣が剥がされてこうとしている。


 その事実に気づいた歩は、必死の抵抗を試みる。


 しかし、手をバタつかせれば押さえ込まれる、足を蹴り上げてみても逆に足を絡ませられてしまう。

 この体格差はどうしようもないのか。



 龍也は長身でしっかりとした体躯。

 スポーツマンと言うほどではないが、プロポーションは抜群だ。


 ついでに言うなら、モデルにスカウトされたことも一度や二度ではない、どことなくエキゾチックなそのルックス。

 学内でも女性陣の人気は異様に高い。


 なのに、なぜ、わざわざ男である歩を組み敷いているのか。




 組み敷かれている歩は小柄で華奢。

 身長は百六十をほんの数センチ越えているだけで、さらに華奢な身体つきと小さな顔のおかげで、実際よりも相当若く見られてしまう。

 男性と言うよりは、まだまだ『男の子』。


 こちらもモデルにスカウトされたことは一度や二度ではない。

 ただし、女の子としてだ。


 名前のせいもあるのか、女の子に間違われた経験なら数知れない。

 ご丁寧に、混んだ電車の中でもよく間違えていただくのだ。

 だからわざと低い声で反撃し、相手をビビらせたことも数知れない。



「お、ねが…いだか…ら」


 ついに歩は涙声になってしまう。

 ここでいつもならば、龍也が慌てて謝罪するのだ……が。


 龍也は何も言わず、黙々と『こと』をこなしていく。

 シャツのボタンがすべて外され、ジーンズのボタンにまで手がかかった時…。


「やだっ!!」


 最後の声を振り絞って、歩が激しく首を振る。


 ついに龍也はその動きを止めた。

 しかし、身体の上から降りようという気はないようだ。

 のしかかったまま、歩をきつく抱きしめて、深いため息をつく。


「歩…お前、俺のこと嫌いなのか…?」


 耳元で聞こえた龍也の声に、歩は慌ててその顔を見ようとするが、拘束されている力が強くて、動くことすらままならない。


「でもな…歩。俺、お前に嫌われても、お前のこと、離せないんだ…」


 それは、何度も聞いた言葉だった。




 二人が初めて出会ったのは、一年半ほど前のことだ。

 大学の研究室が出会いの場だった。


 二人が通う大学では、一年の間は『基礎研究期間』とされ、二年になって初めて、正式にそれぞれの研究室に入ることを許される。


 しかし、歩は中学生の頃、その著作を読んだことから考古学を志すきっかけとなった『憧れの教授』の研究室に、入学当初から入り浸っていたのだ。


 そこにいたのが、一年先輩の宮原龍也だった。


 歩はその時のことを鮮明に覚えている。

 かなり異常な事態だったからだ。


 ☆★☆


「あれ…?」


 研究室のドアを開け、身体が半分だけ入ったところで、龍也は動きを止めた。


 目に入ったのは可愛い女の子。

 ボーイッシュな彼女は、こっちを向いてにこっと笑った。

 少し、首をかしげて。


「お邪魔してます」


 少女にしては、ちょっとハスキーな声だ。

 その後ろから、この研究室の主、阪本教授の声がかかる。


「ああ、新入生の東堂歩くんだ。二年になるまで、見習いさんだがよろしくな」


『見習いさん』なんていう制度は聞いたことがなかったが、それはこの際いいだろう。


 なにしろ目の前のこの子。

 龍也は一目で気に入ってしまったのだ。


 室内にいる数人の上級生が、ニヤニヤ笑いながら見ていることに、龍也が気づこうはずがない。

 それほど、目の前の子に見惚れていたのだ。


「…俺、宮原龍也…」


 ズズッと間合いを詰めてきた龍也に、歩は思わず後ずさった。


「あ…あの…」

「俺とつき合ってくれ」


 部屋中を奇妙な沈黙が覆った。



「ぎゃははははははははははは―――――――― 」


 上級生たちが、ある者は腹を抱え、ある者は机を叩きながら、涙を流して笑い始めた。

 そして、告白を受けた当の歩は、顔を真っ赤にして拳を握っている。


「僕は男だっ!!!」


 その叫びに、上級生たちの笑いはますます煽られる。


「…お、と、こ…?」


 まん丸に見開かれた龍也の目が、瞬きを忘れたまま歩を見つめる。


 歩はそんな龍也を、ギロッと睨み上げ、

「失礼しますっ」

 と、言い放つと、目の前の邪魔な男、龍也を押しのけて出ていってしまった。



「バカだなぁ、龍也ぁ。いくら何でも、見てわかんなかったか」


 涙を拭きながら、上級生の一人がいう。


 わからなかった。

 確かにわからなかったが…。


「そんなこと………どうでもいいっ!」


 そう叫んで、龍也は歩の後を追った。




「待って…! ………待ってくれっ!」


 歩は立ち止まり、力を込めて振り返った。

 過去の経験からすると、ここで甘い顔をするとつけあがられるのだ。


 目一杯睨みつける。

 だが…。


「ご、めん…。その…悪気はなかったんだ」


 予想と反する龍也の様子に、歩はほんの少しだけ、表情を緩める。


「お詫びに奢るよ」


 龍也はそう言うなり、歩の腕を掴み、歩き出した。

 呆気にとられた歩は、引きずられるままになってしまったのだが…。



☆★☆

 


 今思うに、アレがまずかったのだ。

 あの時、あの腕を振り解いて、走って逃げていれば…。


 散乱する荷物の中、龍也は『くぅくぅ』と寝息をたてている。


(龍也ぁ…どうすんだよ。明日の夕方には出発だってのに、なーんにも用意ができやしない…)


 龍也は歩にのしかかったまま、散々愛の言葉を吐いて、寝てしまったのだ。




 龍也の告白は、出会ったその日だった。


「俺、お前が好きだ。お前に会いたかった。お前を探してた。もう、離さない」


 歩が怯えたのは言うまでもない。


(こ、この人…。アタマ、変だ…)


 とにかく逃げなくては…。

 混んだ電車の中のややこしいオジサマ方よりも、もっとたちが悪そうだと感じ、歩は目の端で退路を探した。


 自分の迂闊さに腹が立つ。

 何を考えたのか、誘われるままに、一人暮らしの龍也の部屋に上がり込んでいたのだ。


(くっそう…)


 そう。つい、話がおもしろくて、続きが聞きたくなったのだ。

 共通の話題と言えば、『考古学』。

 阪本教授が研究している大陸の遺跡について、龍也が教えてくれるあれこれを、夢中になって聞いていたのだ。


 その意識の隙間を突いて…。


(え……っ)


 ほんの一瞬の間に、事態は抜き差しならない状態にまで陥っていた。


 自分が見ているのは…天井。

 身体に感じる重さは…だ、れ、の…?


(うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!)


 心で絶叫してみたが、恐怖のあまり、声になってくれなかった。


「離さない。もう、離さない」


 うわごとのように繰り返す龍也。


 龍也としてはただ、なくしたものを見つけた喜びに浸っているだけだったのだが。


 何をなくしていたのか…。

 そんなこと、本人にもわかるはずはなかった。


 だから、あまりの恐ろしさに、歩が『考えること』を放棄してしまったとしても、誰が責められるだろう。



 あれから一年と半年。


 龍也の猛烈な求愛に、いつしか歩は諦めにも似た感情で、この異常事態を処理するようになっていた。


 いつの間にか、抱擁を受け入れるようになり、いつの間にか、キスを受け入れるようになり…。


 しかし、それ以上はごめんだ。

 とんでもない。


 一度先輩に言われたことがある。


『龍也がかわいそうじゃんか。好きな子に手も出せないなんて。あいつ、きっと遊びじゃないから、許してやれよ』


 歩はその日のうちに、龍也に言い渡した。


『欲望の処理に困るんなら、常識的に女の子とつき合うんだね。龍也なら不自由ないだろっ』


 自分で言った言葉にむかついて、むかついたという事実にまた、むかついて…。


 だが、言われた龍也は、涙を零して歩を抱きしめた。


『違う…。身体が欲しいんじゃない。もう、離れていたくないだけなんだ…』


 不安で不安でしょうがない……。


 そのつぶやきを聞いたとき、歩は何故か、胸の奥に刺さったもの…微かな痛みを覚えたのだが、その正体がなんであるかなどとは、今の歩にわかろうはずもなかった。


 しかし、その日を境に、歩の想いは少しずつ、確実に目覚め始めた。

 が、イヤなものは、イヤなのだ。


 龍也の腕の中は、確かに気持ちがいい…と最近は思う。

 でも、それ以上は……。


『絶対、ダメっ!』


 歩は二つのスーツケースを前に、盛大にため息をついた。

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