第60話 一人じゃないから(後編) 【2736文字】

『先頭集団は問題なく第3区を越えて、アンカーにバトンを託しましたぁ!

 波乱の第3区でしたねぇ。事故もありましたが、すぐに復帰した選手たちもバトンタッチエリアに入っていきますぅ。

 後続は――おっと、

 チーム『ファッションカオス』の九条リュウ選手。まさかのここで追いついてきましたぁ。サドルではなく、荷台に座っての前傾姿勢! 今時の30代の人たちが感涙しそうなヤンキー乗りですぅ!』


「おお、九条殿。無事でござったか。こっちでござる!」


 ユイが沿道に出て、九条に背を向ける。これはつまり、自転車ミサイルを待っている構えだ。

 が、その技は使えない。


(この車体、どういうわけかグリップが効かないぞ。ずっと後輪が浮いてるような気がする。……それに、この足じゃ飛び降りる時、まっすぐに下りることが出来ない)


 考えている暇も、あまりない。ただでさえ他の選手たちより遅れているのだ。いくらユイでも、ここから確実な優勝を目指すのは難しいかもしれない。

 この大会に参戦している中で、ここまで残って来た人たちの多くは、普段から自転車レースなどの経験を積んでいるチームだろう。実際、そういうピッチリした格好の人たちが多くなってきた。

 暑苦しい九条のオートバイ用レザージャケットなどではなく、競輪選手のような涼し気なジャージを着た人たちが増えたという意味だ。

 そんな中、


(俺もユイも、意味わかんねー格好だな。ああ、だから『ファッションカオス』ってチーム名になったんだっけ?)


 ユイは部屋着のまま出てきたみたいな、ブラトップとTシャツにショートパンツ。そこになぜか足元だけゴツいスニーカーを履いている。普段は下ろしている長い髪は、珍しくポニーテールにされていた。多分、イアが暇つぶしに結んだのだろう。

 その背中が迫る。そろそろ決めなきゃいけない。イチかバチかで自転車ミサイルを放つのか、それとも作戦を変更して普通にブレーキをかけて、完全停止してから乗り換えるか。

 あるいは、全く別な方法か――



「ユイ。跳べ!」


「ふぇ? それってどういう――わっ!?」


 ハンドルを片手に持った九条は、もう片方の手をユイに伸ばし、その胴体をしっかり支える。もちろん、走ったままだ。

 何が起きたのか分からないユイは、そのまま腰をサドルに落とす。


「な、何をするのでござるか!?」


「仕方ないだろ。この車体、制御が効かないんだ」


「どういうことでござる?」


「さあな。自分で確かめてくれ。つーか、いいからハンドル代わってくれ」


 左腕で抱きかかえられたまま、ユイがハンドルに手を伸ばす。

 ハンドルを握っている九条の右手に、ユイの右手が重なった。その手はするりと滑りながら、上下を入れ替える。ユイの右手が直接ハンドルを握り、その上に重なった九条の左手は、後ろへと引っ込められていく。


「九条殿。どうせならもう少ししっかり掴まってほしいでござる」


「あ、ああ、悪い」


 どうも抱きかかえていても安定しないというか、しっかり掴みにくいと思ったら、まあ適当に抱きかかえたままだったから仕方ない。


「こういう時、どこを持つのが正解なんだ?」


「知らんでござるよ。えっと、きっと腰骨の当たりでござる」


「ああ、本当だ。ここは安定してるな。ぷにぷにしない」


「まるで他の場所はぷにぷにしているみたいな言い方でござるな?」


「……気のせいだ。それより、ほら。ペダルも交代だ」


 絡み合う脚を何とか解きながら、小さなペダルに二人分の靴を乗せて、それから九条の靴だけがするりと抜ける。


「――痛っ!」


「だ、大丈夫でござるか?」


「ああ、ちょっと足が引っかかっただけだ」


「……お主、足を怪我したな?」


「……いいから、ペダルに足乗せたなら、さっさと漕げよ」


 ようやく、ユイがペダリングを開始できた。

 その時、九条の息が耳にかかった。くすっ、と聞こえる。


「む? お主、笑ったか」


「ああ、悪い。別に笑ったわけじゃないんだが」


「が?」


「やっぱ、自転車はユイに似合うな。って思ってさ」


 下り坂が終わる。ここからは平地だ。つまり、九条の身体も重りにしかならない。


「じゃ、後は頼んだぞ。ユイ」


「う、うむ。九条殿、お主は――」


 ユイが振り返ろうとしたとき、急に車体が軽くなった。ペダルが簡単に踏み込めてしまって、一瞬だけバランスを崩しそうになる。

 九条が飛び降りたのだ。


 ズザザザザザザッ――ダン! ダダン!


 片足で着地できる速度じゃない。かといって、怪我した足で踏み込んで着地も出来ない。

 九条は最終的に、身体ごと転がるようにしながら倒れてしまった。後ろから別な選手が来ていないのは不幸中の幸いだろう。


「振り返るな! 行ってくれ!」


「う、うむ」


 そう。ユイには振り返っている暇はない。前を向けば、追い抜かなきゃならないライバルたちは沢山いる。

 この自転車には、九条たち全員の想いが宿っている。みんながここまで運んできてくれた自転車だ。


(まったく、どいつもこいつも……よじろー殿も、アミ殿も、九条殿も――)


 そのみんなの想いが、自転車を通じてユイに流れ込んでくる。


(よじろー殿。無茶をしたでござるな)


 彼の強い踏み込みに堪えられなかったのだろう。チェーンが滑りやすくなっているのが確認できる。後輪と歯車を固定していたネジ部分が破損して、まっすぐ回らなくなっているのだ。

 ボスフリーと呼ばれるネジ止め式なら、稀にある事だ。だからこそ最近のスポーツバイクにあまり採用されない方式だが、ママチャリなら仕方ない。

 それほど、与次郎が本気で走ったということだ。


(アミ殿も、頑張ったのでござるな)


 ペダルは綺麗に抵抗なく回るわけではない。彼女の利き足である左側が、一定の場所でカタンと突っかかる。

 ペダル軸のベアリングが割れたか、もしくは踏板そのものにヒビが入ったか。スポーツ用の軽いプラスチック製ペダルにしたせいもあるのだろうが、それにしても一日でこんな事になるのは珍しい。

 何度でも復活したアミだからこそ、こんなになるまで走れたのだろう。


(そして、九条殿――まったく、珍しく熱くなりおって)


 落車したという話は、実況中継で聞いている。おそらくその時、後輪のスポークが折れたのだろう。よく見ればまっすぐ回転していない。外部から強い力が加わると、ホイールが歪むのだ。

 こうなっては、1回転するたびに横にぶれるのも、車体が小刻みに空中に浮くのも仕方ない。九条がついさっき言っていた『制御が効かない』とは、これが原因だろう。

 こんなになっても走り続けるなんて、冷静な彼らしくない。


(みんなが頑張ってくれたから、この自転車――)


 ユイは、ママチャリにさえ乗れれば無敵の少女だ。ママチャリだけなら最速を誇る、無双の少女だ。

 ただ……




(拙者が乗る前にボロボロではないかー!!)


 乗るママチャリの方は、無敵でも無双でもない。

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