第34話 雨宿りの車内 【2575文字】

 結局、自転車を積むだけでもそれなりに苦戦した二人。意外と重い車体であるのに加えて、持つところを間違うとバランスを崩すのも相まって、大変な作業になってしまった。

 積み終わるころには与次郎もそれなりに濡れてしまっていた。ユイの手は泥と油の混合汚れで真っ黒になっている。いや、この状況で制服を汚さなかっただけマシと言えるかもしれないが。


「それにしても、天下のユイちゃんもこの雨には勝てないかー。無茶をするよ。まったく」


「す、すまぬでござる。落下物を目視できなかったとは……拙者としたことが、不覚でござった」


 雨の日に自転車に乗るとき、パンクにも気を付けなければならない。ユイはそんな話をどこかで聞いた気がするのだが、忘れていた。ましてこういう意味だとは知らなかった。


「自転車だけで出来ることも、案外限られているのかもねー」


「うむ。まあ、そうでござるな」


「お、嫌に素直じゃん」


「うーむ。まあ、これほどの無様を晒した後でござるからな」


「ふーん」


 魂の半分くらいを取られたようなユイは、借りてきた猫よりも大人しく助手席に座っている。一応シートが濡れないように、ユイが持っていたポリ袋を敷き、バスタオルをかけてから座っているが、気休めに近いだろう。

 そんなユイを見るのは、与次郎にとって久しぶりだった。


(本当に、自転車が無いと調子狂っちゃうんだなー。ユイちゃんは)


 与次郎の方としても、正直やりづらい。


「よーし、それじゃあユイちゃんの家まで送りますかー。張り切っていくぞー!」


「う、うむ。世話になる」


 唐突に大声を出した与次郎に、ユイは少し驚いた。与次郎としては空気を変えるつもりで、雨やユイのじめじめを吹き飛ばすようにテンションを上げる。ついでにカーステから適当な音楽もかけ始めた。


「お、なんという曲でござるか?」


「知らない」


「え?」


「動画サイトでオススメに出てきたやつを、そのままスマホで流しているだけだもん。あ、でもいい曲だね。これ」


 音楽より外の雨の方が音が大きいが、あまり気にしない。というより、気にし始めたらきりがない。

 ワイパーを最大速度で稼働させながら、まるで河川のようになってしまった道を進む。途中の立体交差など、浸水している道を避けながら。


「自動車なら突っ切れたりしないのでござるか?」


「無理だよー。エアダクトが浸水したら、もう走れなくなるって」


「ふーむ。自転車なら、このくらい浸水していても走れるでござるけどな」


「ユイちゃんだけだよ。そんなのやるの」


 軽口をたたきながらも、与次郎は真剣に視線を切り替えて、周囲の状況を探っていく。それほどまでに視界が悪いのだ。喋ってはいるが、運転に集中しないといけない。そんな状態だろう。


「あ、すまぬ。拙者、黙ってたほうが良いでござるか?」


「全然そんなことないよー。むしろ喋っててくれた方が助かるって。じゃないと集中力も切れちゃうからさー」


「ふむ。そうでござるか」


 ユイもそんな感覚に、少し覚えがある。レースの時みたいに速度を出している時は、余計な声が邪魔に感じられる。でもゆっくりと着実に進まなければいけない時は、かえって無音が困る。そんなものだ。

 そこに関しては、自動車も自転車も同じなのだろう。自転車と違って体力や肺活量に左右されない分、自動車の方が違いが顕著かもしれない。


「ま、これだけゆっくり進むしかないなら、目だけ動かせてれば安全運転できるよー。だから話し相手にユイちゃんを拾えてラッキーくらいの感じだねー」


「む、そう言ってもらえると、拙者も気持ちが軽いでござる。では僭越ながら、軽い話し相手になろうぞ」


「うんうんー。そうしてー」


 いつも通りの軽いノリ。いつもの何も考えてなさそうな、間延びした声。それでも今日の与次郎は、ユイにとって過去一番くらい頼れる男って感じがした。


 一方、与次郎はあまり気が気でなかったのだけども。


(さて、安全運転。わき見厳禁、っと)


 先ほどから何をそこまで窓の外を気にしているのか。なぜそんなに真剣な表情をしているのか。答えを言うなら、『隣にびしょ濡れのユイがいるから』に他ならない。

 手を伸ばせば届くくらいの距離に、初恋の――今も終わっていないそれの相手。そんな子がいつものセーラー服を、いつもは考えられないくらいに濡らしているのだから、視線もいろんなところに引っ張られるというものだ。

 何より与次郎にとって、ユイを自分の車に乗せるのはちょっとした目標だった。

 いつも彼女は、自分よりも自動車よりも、より速くより遠くまで、ママチャリで走っていってしまう。

 そんな彼女をこうして乗せられたこと。

 いつも強い彼女に、頼られたこと。

 それはいつ振りだろうか? もしかしたら人生で初めてかもしれない。


(だからさー。ぼくの軽はずみな衝動を、ぼくが抑えておかないと、何を口走るか分からないじゃん)


 こないだの海水浴では、ユイに『ずっと好きだった』と伝え損なった。そのリベンジを果たすのは、こんな日じゃないはずだ。


「それにしても、お主とこうして一緒にいるのは、遠慮が要らんから楽でござるな」


「え?」


「いや。女たらしのお主ではあるが、拙者のことは他の女子と違って、幼馴染くらいにしか見ておらぬでござろう? ゆえに、拙者もあまり気にせずにくつろげるでござる」


 濡れたソックスを履いているのが気持ち悪かったのか、狭い車内で一生懸命にそれを脱ぐユイ。後ろに自転車を積むため、座席を少し前に出したせいで、ダッシュボードが近い。

 シートベルトは彼女の胸の間に食い込み、ただでさえ濡れて張り付くセーラー服をより密着させていた。

 顔に垂れる水滴が邪魔だったのか、普段は下ろしている髪も、今日は後ろに撫でつけている。そのつるんとしたおでこや、鼻から耳まで何にも遮られずに見せつけられる頬。顔が小さいのは知っていたが、こうして近くで確認できるのは久しぶりだ。


「まあ、幼馴染でござるからな」


(いや、違うんだよー。ユイちゃん)


 いつだって与次郎にとって、ユイは『特別』だった。ただ、女の子として見ていないとか、そんな意味の特別じゃない。

 特別、大切にしたい子で、特別に気を使っている相手で、


(でも……)


 ユイが、自分を特別気を使わないでいられる相手と認識しているなら、それはそれで――


(いいかなー)


 なんとなく、そう流されてしまう。それは与次郎の悪い癖だった。

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