方向音痴の騎士と迷宮の魔術師

秋月忍

第1話 発端

 昼下がりの青空の下、その男は、馬を引いて、鍛えあげられた身体に立派な鎧をまとっていた。どうやら、騎士のようだ。意志の強そうな眉。大きな藍色の瞳。鼻筋も通っていて、王都では娘たちに騒がれそうな顔だ。年齢は二十代後半といったところか。

 馬の横には見知った少年。あれは村に住むトムだ。

 エリンは、薬草のはいったざるを抱えたまま、ぼんやりと坂道を上がってきた男たちを眺めた。

「じゃあ、騎士さま、ぼく、帰るね」

「助かった。感謝する」

 騎士は少年の手のひらに小遣いを渡す。

 トムが手をふって去っていく。ここまで、騎士を案内してきたのかもしれない。

 ここから村まで、それほど遠い距離ではない。騎士にとっては、はした金なのかもしれないが、随分と気前の良い男だと、エリンは思う。

 騎士は管理小屋の前の薬草園に立つエリンに気づくと、驚いたような顔をした。

「ひょっとして、あなたが土の迷宮の魔術師、エリン・ルコラート殿か」

「たぶんそうだと思うわ」

 他の誰がこのようなところにこんな格好でいるのだろうと、エリンは内心肩をすくめながら答える。

 色気のない茶色のローブ。長い茶色の髪を無造作に一つに束ねている。

 村娘でももっとオシャレな服を着るだろう、とエリンは思う。

 ダサイ茶色のローブは迷宮管理人の証だ。迷宮以外に何もないこの地に住むのは、迷宮の魔術師以外にない。

 この国には、火、風、地、水の四つの迷宮があって、それぞれに迷宮管理人がいる。迷宮は太古の昔にこの地を去ったエルフが作ったと言われている、いわば『遺跡』だ。迷宮の中でしか生息しないモンスターや、希少な魔法元素があるため、国家が管理運営している。迷宮管理人は、迷宮が荒らされたり、迷宮からモンスターが溢れないように日々迷宮を監視し、そこでしか得られないモノから、さまざまなものも作るのが仕事だ。

 この迷宮でしか手に入らぬ物を欲して、時折、国が使者をよこすことがある。この騎士もきっとそうなのだろう。

 迷宮はこの丘の地下に広がっている。

「失礼。思っていたより随分お若くて、美しい方だったので」

 騎士は頭を下げた。美しいというのは社交辞令だろうが、エリンが若いのは確かだ。迷宮管理人は年配者が多い。二十五歳のエリンは珍しいだろう。

「俺は近衛騎士団に所属のアーサー・ラドクリフだ」

「どうも」

 にこりと微笑まれたが、エリンは受け流す。この手の二枚目は、自分の笑顔が女性にどんな効果をもたらすか『わかっていて』やっているから、用心しないとダメだとエリンは思う。

「王命で『歌うきのこ』がいるのだが、迷宮を開けてもらえるだろうか?」

 男から命令書を受け取ると、エリンはざっと目を通した。

 間違いなく、この国の王のサインが入っている。この迷宮に入るための許可は、基本は魔術師の塔が発布するのだが、王命ということは、かなり重要な任務なのだろう。

 内容は、エリンの管理している土の迷宮に生息している『歌うキノコ』の採取。

 迷宮への指令は、騎士の鍛錬も兼ねているので、基本的に管理人は手を出さない。『歌うキノコ』は、わりと汎用性の高い材料だ。迷宮の第二層に多く生息している。

 第一層、第二層はそれほど危険なモンスターも生息していない。夕方前には戻ってこられるだろう。

「今日はお泊りになられますか?」

 迷宮の入り口にあるエリンの住まいである迷宮管理小屋は、宿泊施設も兼ねている。客人となれば、当然準備をしなければならない。迷宮を訪れる者をもてなすのもエリンの仕事だ。

「いや、それなりに急ぐ。迷宮を出たら、そのまま王都へ向かう」

「そうですか」

 見れば命令書の日付は、一週間前。王都からここまでは、馬なら二日の距離なのに、随分と時間がかかっている。寄り道でもしていたのだろうか?

 一週間あれば、本来なら既に終了しているはずだ。彼が急ぐのも無理はない。

 大急ぎで採取してくれば、かなり先の村まで戻ることができる。馬を変えて走り続ければ、明日の夜に着くことだって可能だ。

「それでは迷宮の方をお開けします。まず馬はこちらに」

 エリンは厩舎に案内する。

 王宮からの使者などが定期的に訪れるので、厩舎が一応用意されているが、普段は空っぽだ。ただし、飼い葉はいつでも用意してある。

「騎士さまは、迷宮は初めてですか?」

「アーサー・ラドクリフだ」

 馬の背を撫でながら、騎士がエリンにもう一度名乗る。名前を呼べということなのだろう。

「えっと。ラグトロフさま、迷宮は初めてですか?」

 エリンは内心、肩をすくめた。一時、訪れる人間の名前をいちいち覚える必要を感じていない。迷宮を訪れる者達の多くは出世の道をたどるが、再び迷宮を訪れることは少ない。

 迷宮管理人は閑職で、エリンはもはや王都で出世する道を閉ざされた魔術師である。王都へ出向くのも年に数回だけだ。人脈を作ったところで、あまり意味はない。

 多くの迷宮管理人は、中央の権力闘争に敗れた実力者であり、この職を辞めるときは、『国家魔術師』の職を退く時がほとんどだ。

 エリンは権力闘争に敗れたわけではない。顔だけはいい上司に執拗に迫られ、そこから逃げるために、自分から望んでこの仕事に着いた。

 求められる力量のわりに、左遷職ではあるが、エリンはこの仕事を気に入っている。誰に気を使うこともなく、好きな研究を続けられる。迷宮探索も嫌いではない。

「火の迷宮に入ったことがある。あの時は俺一人ではなかったが、第二十層まで潜った」

「そうですか。それなら、土の迷宮に入るのは、全く問題ないでしょう。土の迷宮は、四つの迷宮の中で、もっともモンスターの弱い迷宮ですから」

「そうか」

「ただし、生息するモンスターは四つの迷宮の中では一番種類の多い迷宮です。採取目的以外のものを狩るのはかまいませんが、くれぐれも欲をおかきになりませんように」

 迷宮に生息するモンスターなどから採れるものは、かなり高価だ。ただ、モンスターを倒さなければ進めないということもあって、戦利品の持ち帰りも許可されている。

 不思議な話だが、どんなに必死で掃討したところで、中のモンスターが死滅することは何故かなくて、むしろ放置していると溢れ出す。巷に現れるモンスターの多くは、まだ見つかっていない迷宮からあふれ出しているのだという説もある。

 ゆえに管理人としては、余分に倒して行ってくれた方が仕事が減るのだ。

 エリンは仕事部屋にラドクリフを招き入れる。

 所狭しと並べられた薬草に薬品棚。それほど乱雑ではないが、薬草のにおいが複雑に重なっている。

 あまりの臭いにラドクリフは眉間に皺をよせた。さすがに声に出しはしないが、かなり耐え難いようだ。

「ああ、臭いますか? すみません。すぐすみますので」

 エリンは全く気にせずに、中央に置かれたテーブルの上に地図を広げた。

 エリン自身は臭いに慣れてしまっている。いい香りとは言えないけれど、体に害を与えるものではない。

「歌うキノコは、第二層のこの辺りに生息しています。奴らは火の魔術に弱いですが、商品価値が下がるので、火の魔術の使用は避けられた方が無難です。奴らが『歌う』と、胞子を散らしますので、目を傷めることがありますのでご注意を」

 迷宮管理人として、中に入る者への注意喚起及び最低限の説明は仕事の一つだ。万が一にでも事故が起きた場合、管理人は救出に向かうことになっている。

「そこに行くにはどうしたらいい?」

 ラグトロフは地図を眺めながら訊ねる。

「基本、一本道です。第一層のここから第二層へと降りられます。分岐もあまりないのですぐわかると思います」

 心なしか、ラドクリフの表情が曇る。

 日程的に余裕がないから、心配しているのかもしれない。

「ところで、ルコラート殿。つかぬことを聞くが、『道を違える呪い』というのを聞いたことはないか?」

「いえ、聞いたこともありませんが」

 あるいは禁忌とされる黒魔術にはそのようなものがあるのかもしれないが、エリンは聞いたことがない。少なくとも、目の前のラドクリフは頑強で、呪などとは無縁に見える。

「万が一をご心配なのであれば、こちらのアクセサリーを身に着けてください。いざという時に私があなたを探すために必要になります。必要がないことを願いますが、身に着けておいていただければと思います」

 強いモンスターはいないとはいえ、一人で降りる以上、何が起こるかわからない。エリンは、魔石をつけたネックレスをラドクリフに渡す。

「それでは、迷宮の入り口にご案内します。お戻りになりましたら、こちらにアクセサリーをお返しください。私がいなくても、ここに戻してくだされば、ご挨拶は無用ですので」

「わかった」

 エリンは部屋を出て、迷宮の入り口へとラドクリフを案内した。

「では、お気をつけて行ってらっしゃいまし」

「ありがとう」

 ラドクリフは軽く頭を下げ、迷宮に入って行った。




 


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