38.「血に濡れた再会」

 騎士寮に入る前、必死になって走ったことがあったなと未来は思い出した。

 寒い夜、血の暖かさ、薬の臭い、冷たい水。

 ぐちゃぐちゃにされた絵本を見てるみたいに実感を伴わない己の過去。


 ──自分を突き動かす衝動の名前も見失ったまま、未来は戦場に飛び込んでいく。


 全力で放った細剣による刺突が地面を砕く、起こった衝撃で今にもトドメを刺し合おうとしていた雄大と忠明の体が離れた。


 嵐の後で泥濘んだ足元を考慮しながら、未来はいつも通り身軽に飛ぶ。

 背後に忠明の事を庇い滑らかな身のこなしで、雄大の前へと躍り出た。


 新しい敵を把握した雄大は愛剣を構え直す、見慣れた動きをする彼に何か問いかけようとして……やめた。


 雄大の両目を覆う純白の目隠し、良く見れば薄く銀色の線が浮かんでいるそれから強い万能の気配を感じる。

 ──命令、強制、洗脳、支配。


 絶対王令権の効力を肌で感じた未来は、身の内から今にも出て来ようとする神に告げた。


「お願い、オクティナ。

 この戦いが終わるまで手を出さないで」

『……未来がそう望むなら』


 少し迷ったみたいだけど、優しい友達は未来の言う事を聞いてくれる。

 正直、いざ幼馴染と殺し合う状況に飛び込んでみても未来は変わらず、自分が何を思い感じているのか良く分からない。

 でも。


「チリチリする」


 胸を抑えて独り言を言う、そんな彼女のことを観察していた殺戮兵器が動き出す。


 全速力で未来は前へと飛び出した。

 距離を詰めようとしてくる相手より速く、振り上げようとされる剣より速く。

 残像を描く彼女の突撃は衝撃と破裂音を伴った、力でも技量でもなく、ただ速度のみで未来は誰より優っている。


 接近し放ったのは大得意の刺突技だ。

 目、首、心臓、鳩尾。

 生き物の急所に滑り込む高速の連撃はただの突きに留まらず、敵を粉微塵にする。


 未来の剣を受けたものは大抵、死んだ事にも気付かず破片となる、そういうものだ。

 それ以外の殺害の仕方など師匠には習わなかった、未来が修めたのは生き物の認識の外に出て、極限の速さで己よりを殺す流派。


 ──■■流という名の、恐らくは箱庭において最強とされた騎士が編み出した技術を継承している奇才に、雄大は即座に対応する。


「うそ!!」


 あまりの事に未来は目を丸くして叫んだ、必中必殺の連撃を全て防がれたからだ。

 泥を撒き散らしながら離脱する、寸前まで首があった場所を剣が薙ぐ。


 ……防がれたというより、もっと正確に言うなら狙いを片手剣の腹で逸らされた。

 未来の放った攻撃は全て雄大に損傷を与え、彼の体は複数箇所から同時に血を撒き散らしたが、再生に時間の掛かる急所には一つも傷がついていない。


 瞬時に自己再生を終えて、何の支障もなく雄大は未来を殺す計画を立て始める。


 ……流石の未来も驚いたし、困った。

 力勝負では話にならないだろう、加えて速度特化が故、未来の耐久性はかなり低い。

 

 入団してから何度も見てきた雄大の戦い方を思い出す。

 彼にぶった斬られた天使が、ただ両断されるに留まらず地面の染みと化していたのを。


 全力で避け続ける他なかった、一撃貰えばぺしゃんこ確定だ。

 少しでも動きを止めてしまったら次の瞬間に殺される、己の勝ち筋が見えない事を未来は自覚した。


 雄大は立ち位置を変えることもなく静かに構えているだけ、それなのに接近を繰り返すほど動きに順応されていくのが分かる。


 彼の隙の無い性能を乱せる要素が未来にあるとしたらやっぱり、速さだけだった。

 もっと速く、対象の認識を超えなくては。


 遮蔽のない山頂で動きを止めない事だけを考えながら、未来はオクティナの助力を断ったことをちょっとだけ後悔する。


(今度は下から狙うとか、だめかな。

 ……ううん、やってみる!)


 兎を思わせる動きで再度、雄大へと肉薄した未来は今度は足元を崩す為の攻撃をした。

 低い位置から突きと切り上げを組み合わせ、鋼みたいな筋肉に刃を入れる。


 簡単には殺せない敵を斬る為の流派、未来の強さは強敵を前に真価を発揮する。

 

 更に上がった速度で放たれた細剣の切っ先は、今度は狙い通りの場所に吸い込まれた。

 両足の脹脛を深く斬られた雄大は頽れる。

 確かな手応え、このまま攻めに転じて──。


 次の瞬間に、未来の体は地面に叩き付けられていた。


「……ぁうっ」


 肺から全部の空気が出て変な音が出る。

 疾風と化していた体が強制的に停止され、衝撃に身体中が痺れたのが分かった。

 相変わらず痛みは感じないけれど、動けないことに変わりはない。


 未来は雄大の顔を見上げることしか出来なかった、裂けた目隠しの隙間から心を失った灰色の瞳に見つめられている。


 


 目では捉えられない速度で動く殲滅対象に対して、雄大は完璧な攻撃予測で対処した。


 ……どういう立ち位置で何処から、どういった順序で攻撃を仕掛けてくるのか。

 全てを読み切って未来が身を置くと予測した位置に剣を、彼女の姿を認識出来ないままに振り下ろし当てるという芸当。


 太刀筋すら、捉えられなかったはずなのに。


 未来には減速と軌道修正が簡単に行えないと予測され、それが事実だった。


 蝿みたいに叩き落とされた、未来の真っ白な思考に言葉が浮かぶ。

 生き物としての土俵が違う。

 ……万能の種族である騎士の中でも、更なる高みにこのひとはいる──!


 更に降ってきた追撃を左に転がって避ける、速さの次に誇れるものがあるとすれば、しぶとさだけだ。


 体の痺れがなくならない、思うように動けない。

 這った状態では濡れた地面しか見えないけど、再生が終わっていない足で雄大が無理くりに立ち上がったのが分かる。

 距離を離せ、詰められたら終わりだ。

 分かっている、だけど立ち上がれない。


 ……走れない。

 その事実はとても「怖い」と思う、浮かんだ感情が他者の物みたいに遠くに行った。


 背後で一歩を踏み込んだ気配、息を吸って吐いた頃には首が繋がっていないと分かる。

 ……絶望するしない以前に思考が止まった場合、騎士の体は再生するのだろうか。

 生きるか死ぬかの瀬戸際でさえ、未来は自分が感じていることが上手く掴めない。


 ばしゅッと、刃が突き刺さる音がした。


「……っ、はぁ──!」


 無意識に止めていた呼吸が再開した事を、未来はいまいち理解出来なかった。

 生きている、という事実を受け止めきれないまま状況を確認する。

 仰向けになって背後を見た、そこには確かに剣を振り上げた雄大がいて。


 その頭を、忠明の槍が打ち抜いていた。


 がくがくと体が痙攣を繰り返す、そんな中で雄大は槍が飛んできた方に目を向ける。

 そこには重傷を負って動けないまま、冷静に戦況を見ていた忠明がいた。


 雄大の視界から自分の存在が外れた時を狙って、未来を助ける事が出来るように。

 ……槍を投擲した姿勢のまま、忠明は浅い呼吸を繰り返している。


 戦いが停止した一瞬の間。

 身動きが取れるようになった未来は、雄大の間合いから飛び退く。


 子兎を殺す機会を逃した雄大は行動再開の為、頭に突き刺さった槍を引き抜いた。

 ……適応、再生、再計算、修正、出力。


 仕切り直しだ、絶望を知らない聖王候補に向かい未来は細剣を構え直す。

 からん、と血塗れの槍が投げ捨てられた時。


 「声」は響いた。


  『戦闘行為を停止、撤退せよ』


 幼い少女のようにも、成熟した女のようにも思える、脳を揺さぶってくる声。

 選抜の時に聞いたのと全く一緒のものだ、吃驚した勢いのまま未来は叫ぶ。


「聖王さま!?」

『……王権レガリアだ、未来には効かない』


 ずっと黙っていたオクティナが教えてくれた、なんで?と未来は思ったけれど深く考える前に雄大が動く。


「あっ」


 血痕を残して立ち去る兄の事を追おうとした、本能のままに動く未来の耳に届いたのは、どしゃりと何かが潰れる音。


 振り返った先で忠明が倒れていた。

 あっという間に優先順位が変わって、未来は慌てて彼の元に駆け寄る。


 最優の騎士ならば逃げる敵の追跡を優先すべきだ……そう考える前に体が動いていた。

 落ち着いてからなぜ自分はこの行動を取ったのか、未来は首を傾げる事になった。 

 



 ◇ ◇ ◇




 忠明が意識を失っていたのは、二分にも満たない間だった。

 濡れた騎士服が肌に張り付いて気持ち悪い、血の臭いが鼻につく。彼は全身を襲う不快さに耐えながら目を開いた。

 見えたのは、夜明けを迎えた空。


 自分が死ぬことを打開策の一つに数えた、そんな夜を越えた先の朝。


 さっきまで激震と轟音に揺れていたとは思えないほど、竜霊山は静かだった。

 薙ぎ倒された木々の上で鳥が鳴いている、陥没した地面に出来た水溜まりに、薄い白色の向こうで霞む星が反射している。


 ああ、失敗した。

 殺せなかった、と忠明は仰向けのまま考えた。


 ──絶対王令権による聖王騎士たちへの撤退命令で、防衛戦は取り敢えずの巻引きを迎えたようだ。

 山頂のみならず周囲に戦いの気配は無い、雄大を含めた聖王騎士総員が姿を消していた。


 撤退命令が出された理由は判らない、きっと聖王騎士たちも理解していないだろう。

 個々の判断など無いも同然で結果だけが残る、正義の剣は決して主に逆らわない道具として完成した。

 ……たったひとりを除いては。


「忠明さん、起きてください」


 声の主は金色の髪の見慣れた少女。

 泥と返り血だらけの未来が、仰向けに倒れた忠明の顔を覗き込んでいる。

 翡翠色の瞳は穢れなく、暴力的なまでの純真を宿す幼馴染み。

 彼女の視線がある中で無様を晒すわけにはいかない、忠明は口を開く。


「雄大を追わなくて良かったのか。

 ……剣を向けたってことは殲滅対象としてあいつを認識したんだろう」 


 血の味で満ちた口から普段と変わらない声が出る、体の不調も負った外傷も悟らせない声、自分も他者も誤魔化すのは得意だ。

 浅く浅く息をする、幼い頃に身に付けた体を傷付けない呼吸の仕方。



「追うのが最善と理解しています、だけど体が勝手に……良く分からない」


 ぼんやりとした顔で立つ未来は首を傾げて、どうしてだろうと呟く。

 彼女が答えを用意出来ないことを忠明は知っていて、その上で問い掛けていた。


 ……疑問に思っては煙に巻かれ、答えに辿り着けず、興味を失って忘れてしまう。

 彼女が自分の心を少しも把握出来ないことを忠明は良く知っている。


 自力で気付かない限り改善しない未来の歪み、最近は顕著に現れ始めたそれ。


 忠明は他者よりも目が良いから、やろうと思えば視線を交わすだけで、相手を構築する全てを見抜く事が出来る。

 彼女の疑問に答えを用意してやることも出来るだろうが、それでは何の意味もない。


 永い時を生きるだろうこの娘の傍らを、忠明は歩いてはいけないのだから。


 命の終わりが決まっている忠明が出来るのは、返答のない問いを投げ続け、立ち止まり首を傾げる未来を守ること。

 忠明が何かしなくとも、未来はちゃんと自分で自分を救える騎士だ。


 (助けてやりたいだなんて、俺の余計な欲は要らない)


 忠明は悪戯に対象の真実を暴こうとする瞳を伏せ、物事の表層しか見ないよう努めた、自分の物ではない権能が暴れないように。


 未来の興味が自己へ向いている隙に、気付かれない程度の慎重さで立ち上がる。

 全身に負った、数えるのも億劫になるくらい大小様々な傷から血が滴った。


 鎮痛剤が効いているから痛みは遠い、止血さえ出来れば行動に支障はないだろう。

 意識が朦朧とするのも肺が痛いのも今に始まったことではない、普段通りだ。


 雄大との戦闘で受けたものより、自損によって負った傷の方が多かったが──そんな細かいことを未来は判別しない。

 彼女にバレなければ何でも良い。

 奇しくも、未来の歪みが忠明の秘密を守ってくれる。


「忠明さんが怪我するなんて、雄大さんは本当に強いですね」

「困ったことにな」


 誤魔化す、嘘を吐く、勝手に気を遣って身を退く、そのくせ彼女の幸福を願っている。

 自分のこういうところが好きじゃない、好きじゃないけど譲ることの出来ない一線を忠明は守る。

 

「わたし、戻らないと。

 忠明さんが無事でよかった」

「いや、待て」


 忠明は唐突に立ち去ろうとする未来を思わず呼び止めた。

 翡翠色が振り返る、何か話すことでもあるの?と本気で思っているのが丸判りな瞳。


 その色を一目見ただけで、未来が王権レガリアの支配を少しも受けていないことが分かった。

 この娘の抱える真実は万能程度のもので御せるものではない。

 ──少なくとも、忠明にはそう見えている。


「雑にで良いから教えてくれ。

 未来は俺たちの味方なんだよな?」

「それはもちろん」


 未来は当然とばかりに大きく頷く、沢山の当たり前が崩された末に起きた戦いに身を投じていた忠明にとって、普段と変わったところのない未来の反応は救いだ。


「第三戦区にいたって聞いたけど」

「それは事実ですけど、えーと。

 忠明さんだから言っちゃうけど、オクティナが三日で更地にしたんです」

「そうか……そうだろうなぁ」


 未来がえへへと誇らしそうに言う、忠明は苦笑しながら彼女に宿る神のことを思った。


 ──忠明は幼馴染みの中で唯一、完全顕現したオクティナと会話したことがある。

 未来の事を真綿に包んで大切に育てたい兄姉は総じてオクティナのことを警戒対象とするし、忠明も同意見だ。

 しかし一度アレと会話してしまった忠明には、未来が語る「友達」という呼称にも納得してしまう部分があった。


 オクティナは良くも悪くも未来の幸福のことしか考えない。

 情緒が未発達で、万能であるが故に個体として生きることに慣れないアレは、何よりも優先して未来を守るのだと語った。

 人類の天敵である神でありながらその自覚を持たない存在を前に、忠明は戦う気も起きなかったのを覚えている。


「帰って来たらなんだか大変なことになっていて、だからライアン様と一緒に──」


 未来は一生懸命に自分の現状を説明した、要領を得ない説明を忠明は最後まで聞いてやるつもりだった。

 

 しかし、彼以外のものはそれを許さない。


「動くな!!」


 怒声が響き渡り、周囲の木々の向こう側から竜王騎士たちが現れる。

 さっきまで聖王騎士と戦っていた彼らは一斉に武器を構え、未来の事を取り囲んだ。


 きょとんとした顔で動作を止め、忠明を見る幼馴染み。


「逸るな」


 殺気立つ部下と未来の間に身を滑り込ませて、忠明はどうしたものかと考える。

 ──彼らには証明が必要だろう。

 未来がという証明が。

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