21.「剣の天才」


 紙を捲る音がする。

 書類の山を押し退け、執務机の上で男は古びた便箋を開いていた。

 何度も読み返しては仕舞い込んでを繰り返した年月のせいで、端がヨレている便箋には子どもの文字が並んでいる。


 お父さんは、わたしの目標です

 わたしも師匠みたいになりたいです


 幼い頃に娘がくれた手紙には、別の子どもの文字も走り書きされていた。

 男にとっての一番弟子であり、大切な。


 大切な、■■の娘。


 己が死地に送り込んだ、小さな聖王騎士の姿を思い起こす。

 感傷に浸る資格はなかった、あの子を救える自由もなかった、かつて胸に抱いていた誇りは汚泥に塗れ、今の自分には何もない。


 ──お前をライオスに呼び戻したのは、我が剣とする為だ。

 純正なる聖王騎士、お前に正義を与えよう。


 かつて聞いた王の言葉を思い出し、目を背けるように瞼を伏せる。


 逃げようと足掻いても現実というのは襲い来るものだ。

 その証拠にほら、男の耳には扉を叩く音が聞こえてきた。


 このノックの仕方は良く知っている。

 馴染みある気配が扉の向こうにあって、彼は深く溜息を吐いた。


「入ってくれ」


 どの部下に掛けるものより情けなく、細い声に促され騎士団長室の扉が開く。


 男は……篠塚凱は悲痛な眼差しで現れた騎士を見た。


 入ってきたのは統合騎士の女。

 深い青の騎士服に身を包み、真っ直ぐに凱を見つめてくる、娘にそっくりな瞳。


「あなたは随分、血迷ったようだ」


 今の自分が一番会いたくなかった相手。

 妻である彼女が放った言葉に凱は苦笑した。


「そう思うか、静利」

「ええ、あなたってこんなにも馬鹿だったんだと思ってる」


 つまらなそうに、彼女は首を横に振る。

 肩口で切り揃えられた砂色の髪がさらさらと揺れ、窓から射し込む陽光を受けて輝く。


 ──篠塚静利しのつかしずり、彼女の肩書きは統合騎士団騎士長補佐。

 凱は妻の鋭い眼差しを受け止めながら考える、彼女が此処に現れたのだから、統合騎士団は我々に何の容赦もしないと決めたのだろう。


 二代目騎士長である神楽衣翔は、味方であろうと不必要なら切り捨てる。

 凱は彼のそういうところを信頼していた。 


 自分の子どもたちに対してだけは例外的な措置を取るところも含めて。

 彼が動いたなら良い、未来は死なずに済むだろう。


「ライオス王国は未来を死地に送った。

 それにあなたは加担した、、騎士寮を敵に回す選択だ。

 ……覚悟は出来ている?」

 

 連れ添ってきたふたり、理解し合ってきたふたりが、今は対立して見つめ合う。

 凱は震える右手を強く握った、今この時だけは自分が加害者にならねばならない。


 少しでも弱いところを見せたら、きっと彼女は俺を支えようとしてしまう。

 倒れるなら俺だけで良い、紗世の為にも。


「王命こそが全て、俺はライオス王の剣であり、そうなる為にこの国へ戻った。

 後悔はない、兵器として生きられるならそれが良い」


「今のあなたに何が出来る?

 ……神や天使を前にしても動けず、戦えもしないのに」


 淀みなく言い切った凱の言葉に、静利は穏やかな声で返した。

 彼女の目には憐れみと、寂しさと辛さをない混ぜにしたような色がある。


 そんな顔をさせたくなどなかった。


 全ての悪意から君を守りたいのだと、共に生きようと言ったのは自分だった。

 だけど凱はもう退けない、だから血が滲むほど拳を握って堪える以外に無い。


「凱は騎士として壊れている、兵器としてはとっくに限界だ。

 あなたが生きていてくれるなら、私はそれで良い、だけど人は……ライオス王はそうとは言わないでしょう」


 静利の言っていることは、何もかも事実だ。

 ……かつての武勇は凱にはもう無い、惨たらしい戦場によって心を壊された騎士としての自分しか残っていない。


 神を前にして、剣を抜けなくなった。


 だから一度は現役を退いて教鞭を執る道を選んだ、兵器として戦えなくなった自分の新たな価値を探して。


 未来と紗世には己が剣を継がせた。

 かつて肩を並べた■■と学んだ、血涙を流して習得した剣技を娘たちは容易く自らの物にした。


 雄大を始めとする騎士寮生には勉学を教えた、才ある子どもたちはあっという間に独り立ちをして、凱の手から離れた。


 凱の前には剣以外の道があり、導いてくれた妻と友がいた、それを。


「ライオス王は凱を戦場に呼び戻した。

 戦えないあなたを引き摺り出して、死ねと言っているのと変わらない」


 華奢な肩が震えている。

 背を撫でてやれる資格は無い。


「これは俺の選択だよ、静利。

 俺がこうすると決めて、望んで君を傷付けた」


 だから君は、俺を斬っていい。

 そう言いたかったのに言葉が続かなかった、対する返答も無かった。


 静けさに満ちた瞳と見つめ合う、言葉以上のことを静利は察している。


 いつかのように、彼女がただの少女であったなら悩み嘆き、泣き喚いて懇願することも出来ただろう。

 だがそうではない、そうではないから。


 立場ある騎士として、静利は判断を下す。


「聖王騎士団がライオス王国の起こす戦争に加担するなら、私たちは容赦出来ない。

 紗世はもちろん、未来と雄大にあなたを斬らせるわけにもいかない」


「……聖王騎士団長。

 あなたのことは私が斬る、そのつもりで」


 それだけを告げに来たのだろう、彼女は凱に背を向けて外へと出て行った。

 一度だって揺れず、自分の責務に真っ直ぐと向き合う。

 昔から変わらず自他に厳しく、眩しい妻の姿に凱は安堵する。


 これで良い、これで漸く止められる。

 馬鹿げた策略も、十五年前から続く妄執にもやっと決着が付く。


「……死ぬのなら、君とがよかった」


 呟きには何の意味も無い、人間じゃないくせに、人間みたいに生きる様は滑稽で。

 そんな己を、己が一番許せなかった。





 ◇ ◇ ◇




「団長が不在?」


 ──聖王騎士団支部、時刻は昼過ぎ。

 強い風が窓を揺らす音を聞きながら、雄大は目の前に立つ部下に聞き返した。


 場所は騎士団長室へと続く廊下だ、偶然通り掛かったのだろう事務処理担当であるその部下は、申し訳なさそうな顔をする。


「すみません、聖王候補様。

 ……自分が団長に行く先をお聞きしておけばよかったですね」

「いや、構わない。

 そこまでは君の業務じゃないよ、気にしないで」


 雄大は温和な笑みを浮かべ、大丈夫だと部下に頷き掛けた。

 ほっとしたような顔をした部下は、雄大に向けて騎士礼をした後、歩いていく。


 市街地での一件があった後、雄大はライアンと別れて騎士団長室を訪れていた。

 人類圏内で戦闘行為を起こしたことについての報告と説明が必要だ、というのが建前。

 当初の目的通り、凱が雄大に明かしていない「何か」、それを聞き出しに来たというのがここに足を運んだ理由。

 そしてもう一つの目的が、我が王との謁見を取り付けることだった。


 ……現状に対する不明瞭さを少しでも何とかしたい、信頼できる情報を掴みたいし聞き出したい。

 これから先、戦争を望むライオス王の行動にどう対処していくにしろ──たとえ門前払いで何も得れなかったとしても、対話を試みなければ真意どころか、目的すらも見えないだろうと雄大は考えていた。


 それにしても団長が不在とは、珍しいこともあるものだ、今日の予定なら一日、執務机の前に座っているはずなのに。

 あのひとは予定外の行動を唐突にするような騎士ではない、緊急の仕事でも入ったのか、この行動にすら疑いを抱いてしまうのはさすがに疑心暗鬼になりすぎだろうか。


 暫く考え込んでいた雄大は、懐から来る振動を感じ取った。


 防衛隊からの緊急通達だ、そういえば胸ポケットに花霊符カードをつっこんでいたんだったと思い出す。


 取り出せば中央から割かれた、半分だけの雛菊を素材にして作られた一枚の霊符が、紫色の光を放っていた。


 精霊術に適性を持たない騎士でも扱えるよう加工が施された、特別な花霊符カード

 これを開発したのは五代目精霊王だと言われている。

 

 対となる花同士を繋ぐ精霊術式が施されていて……細かい理屈を詩音や龍海に教えてもらったことがあったなと思い出す。

 騎士たちが主に扱う通信手段であるそれに、雄大は右手を触れさせた。


 半分だけの雛菊、その花弁が光と共に解け、精霊術式が成立する。


『桐谷先輩、申し訳ないんですけど助けてください、すごいデカめの波来てます!』

「……その割には楽しそうだね、篠塚。

 分かった、すぐに向かうよ」


 聞こえてきたのは危機感を全く感じない後輩の声、雄大は苦笑いを我慢出来ない。

 背後で部下たちが必死になって戦っている音がする。


『じゃ、お願いします、切りますねー!』


 元気よく紗世の方が通信を終わらせた。


 光が失われ、雛菊の花弁が一枚減る。

 全てが散った時、この花霊符カードは機能を失うはずだ。


 雄大は一度、目の前にある扉を眺めて溜息を吐いた……なんとも上手くいかない。

 自分の本質が理性ではなく兵器の方であることをつくづく分からされている気がした。


 雄大は踵を返して聖王騎士団支部を後にする、結局今日も戦地に蜻蛉返りだ。

 現状の何もかもが我が王の意向通りだとしたら、恐ろしいことこの上ない。



 ◇ ◇ ◇



「あれぇ、いつもとノリが違う感じ?」


 立ち塞がる二枚羽が放った刺突、前足の先端をギリギリで躱した紗世は、不思議そうな顔で呟いた。


 次に来る攻撃も素早い、まるで赤子のように稚拙な動きだった今までの群れとは様子が違う。

 頭から丸呑みしようとしてくる大口を避けて、紗世は腹側から一突きを送り込む。


 ──風より速く、光よりは遅く。


 父に教え込まれた基本中の基本、細剣の切っ先が対象の硬いところを抜けて、柔らかいところまで滑り込む。


『キキキキッ!!』


 苦悶の声を上げて二枚羽は仰け反るが、攻撃の勢いは落ちない。

 また前足、掠るだけでも苦労する一撃を避けながら、紗世はあーあと溜息を吐いた。


「なんだ、もう学習したんだ。

 だるいなぁ、早く先輩来ないかなぁ」


 ぼやきながら、突き刺さしたままの細剣を回す、刃を横にしてそのまま──。


「こうかな」


 滑らかに両断、返り血すらも裂く斬撃。

 絶叫が荒れ果てた荒野に響く、既に腐り落ちたこの土地に新たな死骸が積まれようと変わりはしない。


「お姉さま、元気かな」


 独り言だ、誰に聞かせるわけでも無い。

 だというのに返答があった、それは背後からで。


『キキァッ、キキキキキキッ!』


 死角から来た刺突を、紗世は弾き飛ばす。

 振り向いたすぐそこに、異臭を放つ大口がある。


「あんた今、笑ったでしょう」


 返り血塗れで走り回る聖王騎士たちを、追い掛け回して遊ぶ天使の群れ。

 ──静けさに満ちた瞳が、人喰いの異形を睨み付けた。




「次の群れが来ます、接触まであと30秒」

「西側の防衛拠点が厳しいです、抑えきれません」


 部下からの報告を聞きながら、戦地を駆け抜けた紗世は、空に向かって大声を上げた。


「もうキリないなぁ、死傷者の報告は?」

「まだ誰も」

「ならよし!!」


 砂埃と血に塗れても、皆無事ならそれで良い、部下をひとりでも多く生き残らせるのが紗世の仕事だ。


 近くで集られている部下を、横から蹴りを入れて助け出した紗世は声を張り上げる。


「総員、神技使用を許可する。

 頭使って生き残れッ!!」


 了解、と返答が聞こえた次の瞬間には。

 周囲で戦う全ての騎士が、己を解放した。


 炎が舞い散る、水が迸る、風の斬撃が、大地を隆起させる激震が起こる。


 戦地を神秘の気配が埋め尽くした、第一階級に届くほどの規模はなくとも、皆が神を殺す為に生まれた騎士だ。


 この戦局、瞬きの間に塗り替える。


「やっぱり、私が使う必要性はないか」


 頼もしい部下たちの奮戦を目にして、紗世は笑いながら呟く。

 必要性はないかもしれない、今の状況ならきっとあっという間に片が付く、だけど。


「ううん、私もやろ!」


 笑みと共に、紗世は大きく前に飛んだ。

 向かう先には顎を鳴らす二枚羽がいる、ちょうど良い、あれにしよう。


 ──神技解放。


 産声を上げたその日、自分がどういう生き物か理解して、指先で触れた形がある。

 それは魂の形、命の色。

 自分だけが持てる唯一、私の深層こころ


 大気から取り込んだ神力が、脳に備わった鍵穴ゲートを通じて全身に巡る。

 心臓が痛いくらい高鳴って、まるで恋をした瞬間みたいに体全部が心になる。


「えいや!」


 紗世が剣先で触れただけで、二枚羽の体は弾け飛んだ。


 いつも通りに振り下ろした細剣に、紗世が身に宿す神技が作用した結果だ。


 「肉体強化」だなんて単純で、可愛くない名前をつけられた自らの神技が起こした殲滅を見て、紗世は自分にドン引きした。


「まあ、先輩は素でこれくらいやってたから……」


 口に出して言ってみたら異常すぎる、第一階級って私たちと同じ種族に括ったらダメなんじゃないの、と紗世は──。



「はぁ?」


 一瞬、別の事を考えて意識を持っていかれていた彼女の視界の端を、黒く光る前足が掠めて行った。


 その場から飛び退いて距離を取った紗世は、信じられないものを見る目で自分が潰した死骸を見る。


 そうだ、死骸だ。

 死骸のはずなんだ、なのに。


「動い、てる?」


 千切れかけた足が、痙攣している。

 弾けた腑が脈打っている。

 光を失いかけている光輪が、明滅して。


『ォマェ ギギ スゥ』


 囁くように言葉を紡いだ口から、もう一つ頭が生えた。


 周囲の騎士たちが立ち尽くし、呆然としている間にも血の花は咲く。

 死骸から、新たな天使が生まれてくる。


 そう理解するより先に、紗世は指示を飛ばした。


「総員散開ッ!!

 距離を取れ、特異個体だ!」



 降り注ぐ血の雨の向こう側、翼は


 紗世は今までの経験から、異常な出現の仕方をしたその天使の種別を知っていた。


 ──特異個体、別名を奇数羽。

 天使の群れの中で、唐突に生まれる存在であり、四枚羽に並ぶ知能を持ち、何よりも。


 どんな天使よりも残虐に、悪辣に、嗜好性を持って生き物を殺す希少種。

 それが今、目の前で生まれ出たのだと紗世は把握した。


「あー、これは」


 厳しいな、とは口に出さない。

 紗世は細剣を握りしめ、誰よりも前に出た。

 本当は楽がしたいし、戦うのなんて真っ平だけど。


 ──部隊の指揮は篠塚に任せる。


「はいはい、仕方ないなぁ」


 誰より頼りになる、偉すぎる後輩は強い意志を持つ目で三枚羽を見た。

 昔から生き残ることだけに一生懸命に生きてきたのだ、舐めるなよと睨む。


 鮮やかな鮮血に染められた、不揃いな羽が広がった。


『キキキァアハ ア アハァ』


 嗤う口が開く。

 それと同時に紗世は前へと足を踏み込んだ、落とすなら何処だ、まず何をしてくるのか伺うべきか。


 そんな彼女の右隣を。



「ごめん、通るよ」


 真っ白な風が、吹き抜けた。

 ……風に色がないのは知っている、でもそうとしか思えなかった。


 せんぱい、と口の中で呟いた時には既に、血飛沫が上がっている。

 一振りで切り落とされた二本の足が大地に突き刺さった、三枚羽はまだ嗤う。


 紗世は目の前で揺れる、純白の騎士服を見つめる。

 返り血を被っていない騎士は彼ひとり、だけど片手に提げた剣だけは血泥塗れで。


「ごめんね、遅くなって。

 目についた群れ、食い破ってきたから」


 半身で振り返りながら、温和に微笑む雄大の前で、三枚羽が絶叫した。


 脅威と見做されていないことに腹を立てたような、そんな態度で苛立ちを露わにしている天使に彼は向き直る。

 柔らかな声から感情が抜け落ち、告げられた言葉を紗世は聞いた。


「──神技解放」


 踏み出す背中が、掻き消える。



 桐谷雄大は、剣の天才だ。

 ……彼の実力や撃破数だけでそう呼ばれているのではなく、大きな理由が一つある。

 それは彼が扱う神技だ。



 聖王騎士団、第一階級騎士のひとり。

 十二歳で迎えた初陣で、五名の友を看取りながら、七体の神を同時に殺した兵器筆頭。


 身に宿す神技の名称は「剣才」


 振るえぬ剣など、ありはしない。

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