18.「誰の為に、何の為に」
「父上、貴方の考えを僕は理解出来ない」
謁見の間に響き渡った、良く通る声。
それは他でも無い我が子のものだった。
強い意志の裏側に怒りが秘められた言葉を受け、カインズ・ローグは目を開ける。
退屈なものから目を逸らすように、現実を諦めるように、いつも伏せられている眼が一人きりで立つ青年に向けられた。
「考え、とは?」
父親の暗い両目に見据えられ、ライアンは右手を握りしめる。
カインズにとっての一人息子、この国の王子でありながら軍人として生きる青年。
母親に良く似たこの子のことが昔から、カインズには分からなかった。
まるで父とは正反対の事を考える。
決して交わらぬ道を征く。
どちらが正しいとか、間違っているとか言うつもりはカインズには無い。
死ぬまで私と息子は相容れない、それだけのことだ。
父と息子、異なりすぎる二人に同じ血が流れていると証明するものがあるとすれば。
それは自らの正しさに従い、邪魔をするものは誰であろうと排除する、そういうところだろうか。
「
今のライオスは決して安全とは言い難い、彼らの生活を守る為だと言うなら分かります」
「ですが、一部の軍人や騎士たちを用いて、移住を拒否する民までも無理矢理に、とは。
些か穏やかではありませんね、拉致と変わらぬ行為すら黙認していると聞きますが」
ライアンの目には正義があった、揺るぎない信念が。
対する王の目にも同じ色がある、余りにも光が無い、冷徹な正義の気配が。
「何を犠牲にしても安寧を守る、人を守る、人類圏を守る。
それが我らの為すべきこと、ライオスのやり方だ」
「……民たちを泣き叫ばせてでも、ですか。親から引き剥がされた子もいると聞きます」
ライアンは民の声を聞いてきた、己が目で現実を見てきた。
民を思い、語る口振りは悲痛なものだ、はっきりと泣き喚く誰かの姿を脳裏に思い描けるが故の。
「父上、貴方は結果に重きを置いて、過程には心を割かない方だ。
どんな悲劇が起ころうと、目的が果たせるのなら躊躇わない」
「一人一人と目を合わせ、全ての弱者の声を聞くあまり身動きが取れなくなっては責務を果たせない、そうは思わないか」
石床を杖が叩く、玉座から立ち上がった王は己が息子を敵対者として見下ろした。
「現に、お前は動けずにいる。
……民も騎士も全て守る、誰もが泣かず絶望しない世にするのだとお前は言った。
その願いはいつ叶う、ライアン」
「一歩も動けぬお前の声が、進み続ける私に届くと思ったか」
──拳は握りしめただけでは意味がない。
振り上げるまでが最低限だ、対象に向かって拳を振り下ろすのか、それとも掌を開いて諦めるのか、選択するのが王なのだ。
傷付けることも傷付くことも選べぬ様では何かを変革する王にはなれない。
握り込まれたまま震えるだけのライアンの右手を見て、カインズは深く溜息を吐いた。
どうしても息子の事が理解できない、王才があるのに、正義があるのに何故戦わない。
「話は終わりだ、ライアン。
お前の平和に戻ると良い」
カインズには優しさも、理解も無い、寄り添う気も無い。
受容するという発想すらない、そんなものは玉座に座ったあの日に捨てたのだ。
己が目的を果たす、正しい時代へ人を導く、妻が遺したものを無駄にしない為に。
人の王として生きて死んでいくことのみを、ライオス王は望まれている。
複雑な感情を宿した瞳で、息子は父を見ていた。
何を考えているのだろう、戦慄く体で何を変えようというのか。
怪奇だ、とカインズは思う。
理解の範疇を超えた存在が目の前にいる。
「僕は、貴方を理解出来ない」
──息子はどうやら父と同じことを考えていたらしい、カインズは何もかもから興味を失って瞼を伏せた。
◇ ◇ ◇
リナリア・ツォイトギアという人物と、未来は初めて邂逅した。
人類軍総統、ライアンの上司で、人類代表の一人、つまりすごく偉い人だ。
……というのは知っているのだが、実際の所は何も知らない。
横に座っている雄大が上手く対応してくれるだろうと信じて、未来は考えることを放棄した。
聖王騎士団第一階級のうち、国内外問わず顔役として表に出るのは雄大で、未来はもっぱら兵器としての働きを期待されている。
──政治や昨今の情勢に疎く、何ら関与もしていないわたしに対して、リナリア様が話を振ってくることもないでしょう。
そんな楽観的な未来の考えは、楽しげな笑顔によって一瞬で破壊された。
「ここは良い温室だね、もしかして君のお気に入りの場所だったりするの?」
リナリアは微笑みながら、テーブルを挟んだ向かい側に座る未来へ問いかける。
人類圏を統べる者の一人は、どうやら未来に個人的な興味があるようだ。
未来は吃驚して、まじまじとリナリアのことを見た。
王城への道すがら、突然現れたリナリアに何処か落ち着いて話せる場所はないかと訊かれて、温室はどうかと提案したのは未来だ。
その理由についてなら確かに、何か問い掛けられるだろうとは予想出来たはず。
必要以上に動揺している今の己はおかしいと未来は思う。
リナリアからは敵意も悪意も感じない、今だって穏やかに未来の返事を待っている。
何の目的があってライオスに来たのか、ただでさえ他者の気持ちを察せない未来には何も見えない。
とりあえず、未来はリナリアの問い掛けに答えることにした。
最優の騎士ならきっとこうする、これが正解だ。
「わたしはライアン様の護衛なので、あの方が好む場所を好みます。
此処はライアン様が良く立ち寄られる場所で、静かで落ち着くと仰られていたのを思い出したので……丁度良いかと」
「へえ、ライアンくんっていつも忙しく動き回っているのに、花に囲まれてゆったりするのも好きなんだ、意外だな」
二呼吸の後に放たれた声、未来の少々ズレた返答を気にした様子もなく、リナリアは笑みを深め弾んだ声音で話し続ける。
「桐谷くんのことはよく見かけるけれど、君とは初めて会うね。
舞咲未来……その名前だけが独り歩きしているものだから、こんなに可愛らしい女の子が出てくるなんて思わなかった」
自由気ままに語りながら、リナリアは時折未来からの返答を求めてきた。
何と返して良いか分からず、未来は困りきって笑顔を保つので精一杯だ。
そんな妹を見かねた雄大が口を開く。
「リナリア様、申し訳ありませんが、この子は初対面の方との雑談の類があまり得意ではありません。
その辺りにしてやってくれませんか」
「おぉ、結構下の子想いなんだね桐谷くんって……剣として振る舞う君のことしか私は知らないからなぁ」
意外や意外、と何がそんなに楽しいのだかリナリアはご機嫌だ。
彼女の真後ろで咲き誇る満開の白薔薇が、上機嫌な笑顔を飾り立てていた。
「私ばかり楽しんでも仕方がないか。
何の為にこの人は此処に来たんだろう、という顔をしているし、君たち」
テーブルの上に置かれたリナリアの指先で、白く輝いている指輪に未来は気付く。
石も嵌っていないし、装飾が施されているわけでも無いけれど。
まるで結婚指輪みたいだ、付けているのは左手の人差し指のようだが。
「おや、これが気になるの?
なんというか目が良いね、君とは初めて会った気がしないよ、未来ちゃん」
「え?」
自分から注目が逸れたと思って別のことを考えていたら、また話しかけられてしまった。
大慌てで微笑を作り直す未来に、リナリアは堪えきれない様子で笑い声を上げる。
「ごめんごめん、なんだろう、いつも以上にお喋りになってしまうな。
カインズに仕える騎士だからもっと荒んでいると思ったけど、そうでもないんだね」
「えぇと、えーと」
こんなに言葉が詰まるのは初めてのことで、未来は助けを求めて雄大の方を向く。
……この人、口を開けば一息ですらすらと長台詞が出てくる、話の切れ目が分からない。
助けを乞う未来と目を合わせ雄大は微笑んだ、言外に仕方ないなと言われている。
「リナリア様、いつになくご機嫌ですね。
それで何の為、何をしに此方に?」
「ああそうだった、その話だ。
私はね、君たちに会いに来たんだ」
リナリアはうーんと一瞬、考えながら目線を上げた。
人間の瞳に温室の天井が映り込む。
「私たち人類軍は、ライオス王国を信用していない。
カインズ・ローグの思想は人類圏の安寧を妨げるものだから」
雑談と同じ調子で、ご機嫌な声のまま告げられた言葉は、聖王騎士としては看過できないものだった。
リナリアが口にしたのは我が王への否定と、ライオス王国への敵対的な意志の表明だ。
暫くの沈黙の後、雄大が口を開く。
「それをなぜライオスのど真ん中で……聖王騎士団の筆頭である俺たちを前にして言ったのかは分かりませんが、命知らずですね」
「あはは、それって警告かな、それとも普通に脅しかな、流石は第五世代だね!
最近の騎士は面白いことを言う、君たちに人間の命は奪えないよ、そうだろう?」
「それに私はカインズのことが信用出来ないだけで、君たちとは仲良くしたいんだ」
リナリアは誤解しないでよ、と笑いながら言った。
唖然として黙り込んでいた未来も恐る恐る、口を開く。
「あの、リナリア様はどうして我が王のことを信頼出来ないと……?」
「だって、こんな状況下なのに戦争しようとしてるんだよ?」
戦争、と言われて未来は首を傾げる。
国同士の、人間同士の争いなんて現代で起こす利点があるのだろうか。
「そんな利点がないことを我が王はしないと、言い切れないのが痛いですね」
苦笑いと共に告げられた雄大の言葉に、未来は目を見開く。
言い切れない、というのはつまり。
「我が王、戦争するんですか……?」
「あれ、未来ちゃんは知らないの?
本当に兵器扱いしかされてないんだね」
頑固な年寄りはこれだから困る、とリナリアは肩をすくめる。
雄大はあとで話そうとは思っていたんだけど、と前置きしてから幾らか言葉を選んで未来に説明した。
「今朝の人類会議で、ライオス王はアルメリア王国に実質的な戦線布告をしたんだ。
人類至上主義を正しい人の在り方として、騎士信仰を撤廃し共生派を排除する為に」
「……それは」
未来は情勢や政治に対して疎いけど、それでも知っていることはある。
人類至上主義、そう呼ばれる思想を持つ人々はライオス王国の大半を占めるが、人類圏全域で見れば半数以下なのだ。
多くの人が騎士と共生していくことを当たり前のことだと考えている。
ライオス王が敵と定めたものはもはや、アルメリア王国だけではあるまい。
「ライオス以外の国を、全て滅ぼさなければ叶わぬことでは?」
「その通り、だから彼の思想は危険すぎるんだ……今すぐに何かが起こるってことはないだろうけどね。
ライオス王国は他国から一斉に警戒された、私たち人類軍も黙っているつもりはないし、彼がどれだけ頑張ったところで戦争なんか起こせない」
でもね、とリナリアは息継ぎをする。
「実際に戦争が起こるかどうかではなく、起こす意思があるというだけで問題なんだ。
絶滅と隣り合わせで生きている人類に、内輪揉めなどしている余裕はない」
人類軍総統──若くして父の跡を継ぎ人類圏を守ってきた者の一人として、リナリアはカインズを止めるべきだと判断した。
例え知己であろうと、かつて肩を並べて奔走した間柄であろうと変わらない。
やるべきことはたった一つと決まっている。
「人類圏の安寧を守る、その為に人類軍は君たちの王を排除する」
静かな眼差しと、戸惑いを隠せぬ幼い瞳がリナリアのことをじっと見つめていた。
「ライアンくんも頑張ってはいるようだけど、あのカインズだからなぁ。
話通じないタイプの理想主義者がお父さんだと大変だよねぇ」
「……あの、リナリア様は我が王とはどんなご関係なんです?」
さっきからあんまりにもライオス王のことを貶すリナリアに、未来は問い掛けた。
「昔馴染みだよ、彼も昔は人類軍に所属していた、つまり私の部下だったというわけ。
年齢的にはあちらの方が私より上だけど。
……彼はとんでもなく有能だ、昔からね」
だからまあ、とリナリアは話を区切る。
少しばかり目線を下げて、考え込んだ後に彼女は言った。
「彼の言っていることがまるで分からないわけじゃあない、だけど結果的に多くの人や騎士が危険に晒されるなら、それは例え正しくてもとめなきゃならない」
「そういうわけで、人類軍はこれからライオスに対して風当たり強く動くことになるからよろしくね、という話をしに来たんだ」
「君たちにも無関係な話ではないだろう?」
とめどなく流れるリナリアの言葉は最後、ふたりへの問い掛けで終わった。
未来は雄大の方を窺う、彼女としてはリナリアの話はよく分からないに尽きたのだが、これから先、ライオスが人類圏の中で孤立していくだろうことは理解出来た。
もし、自分が仕える王の正しさを信じられなくなったなら、どうするのが騎士として正解なんだろうか。
どれだけの血を流しても、王の掲げる正義に殉じて死んでいくのが我らの務め。
この五年間で多くの聖王騎士がそう言って死んでいった、未来は今はもう聞くことの出来ない、懐かしい同胞達の声を思い出す。
「我が王が望むならどんな者でも斬るのだと、選抜の日に俺たちは誓いました」
沈黙していた雄大が、ほんの少し息を整えてからリナリアに向けて語り始めた。
聞き慣れた優しい声が、いつになく震えているように感じて、未来は雄大のことを観察する。
たぶん、迷いながら、だった。
未来が見た限り、彼の表情から察せられたのはそれだけだ、迷って、それでも選ぶしかないと覚悟して。
「あの誓いは、人類圏を守護するためにあるもの、己が王の行く道が人々の明日に繋がると信じて俺たちは剣を賭けている」
灰色の瞳が未来のことを見た。
不思議に思って首を傾げる、そんな彼女も雄大と同じく正義に剣を捧げて生きている。
「俺はこれから、ライオス王の真意を確かめようと思います。
我が王の正義に納得出来たなら、俺は誓い通りに剣を使うでしょう、あなた方の敵にもなるかもしれない」
「ですがもし、リナリア様が仰るように、我が王の意向が人類の安寧を妨げるものだったなら……俺は人類の為に、剣を抜きます」
雄大が出来る精一杯の意思表示を受けて、リナリアは頷いた。
そうかと笑いながら、玉座なき王は彼の腰で沈黙し続けている聖剣を見つめる。
「君の正義が輝く所を見たいよ、桐谷くん。
あの予言は正しいと私は信じている」
リナリアの言葉を受けて、雄大が太腿の上で拳を握るのを未来は見た。
……苦しいのだろうか、それとも何かを堪えているのか。
雄大の様子には気付かずにリナリアは満足したように息を吐いて、伸びをする。
「まあ、こんなところ?
君たちならきっと大丈夫なんじゃないかな、これから何が起こってもさ」
「て、適当ですね……」
未来が思ったことをそのまま口に出すと、リナリアは可笑しそうに笑った。
「あはは、面白いなぁ未来ちゃんは!
私は君にも期待しているんだよ、なんというか、時代を変えてくれそうだから」
「そんな大層なことは出来ませんよ」
うん、リナリア様は変な人なんだな!と確信しながら、未来は自分の意志も言い添えることにした……そう呼べるほど成熟したものではないけれど。
「わたしはライアン様の剣です。
あの方の為に振るわれる正義ですから、我が王の意向は正直関係ありません」
「そっかそっか、ライオスには……いや、聖王騎士団には君みたいな子もいるんだな。
カインズが警戒するわけだ」
未来の意志を聞いて、リナリアは何かを勝手に納得したようで楽しげな笑みを消す。
彼女は真面目な顔で未来に告げた──忠告を。
「気をつけてね、未来ちゃん。
カインズは自分の目的を妨げる要因を徹底的に排除する人間なんだ、だから」
「──殺されないように、ね」
きょとんとした顔で瞬きをする未来にリナリアは、ふっとご機嫌な笑顔を向ける。
するりと立ち上がって、嵐のように現れた彼女はふたりに背を向けた。
「お話できて楽しかったよ、伝えるべきことは伝えたからあとは好きにすると良い。
私、騎士に対しては優しくいたいんだ」
それじゃあね、と笑みを残して彼女は温室を出て行く。
背中を見送るふたりの顔には、それぞれ別の感情が浮かんだ。
焦りと戸惑い。
いつも通りに流れる時間に置き去りにされたような感覚に、体が震える。
そう思ったのはどちらだったのだろう。
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