15.「貴方に仕える剣」


 ──騎士団本部で人類会議が開かれていたのと同時刻。


 ライオスの王城、その奥に位置する温室に未来はいた。


 科学と魔術による発展を遂げてきた人類圏の中でも、特にライオス王国は「科学」が目立つ。

 この温室だって科学の産物だ、複数の装置で管理され、開花時期の違う花たちが一斉に咲いている。


 春夏秋冬が一部屋に収まっているのだ、人間が用いる叡智に助けられ美しく生きる花たちを眺めて、未来はベンチに座っている。


 ……科学と魔術は人類の領域だから、騎士である未来には全貌を良く理解出来ない。

 生活の中で恩恵を受けることはあれど、仕組みを理解するのは難しいことなのだ。


 騎士は人間の技術を真の意味で理解し扱えるようには出来ていない、人間が万能に打ち勝てず異能を扱えないのと同じように。


 此処よりは狭いけれど騎士寮にも温室がある、未来は立ち入る度に冬である現在に春の花が咲いていることを疑問に思う。


 ──やることが無くて暇で、ぼんやりしている彼女の耳にはずっと、紙に万年筆を走らせる音が聞こえていた。


 未来の傍には、黙々と書類仕事をしている人間の少年がいる。


 真剣な眼差しで己の職務に向き合っている彼の名前は、ライアン・ローグ。

 ライオス王の一人息子であり、聖王領域に配属された人類軍を取り纏める立場の軍人。

 つまり王子様だ、その肩書きにどれほどの意味があるのかは分からないけれど。


 彼の護衛をすることこそ、未来が聖王騎士になってから担い続けている仕事。

 この国で与えられた役割。


 特殊な任務や緊急事態の対処などで駆り出されない限り、未来は王子の傍らにいる。

 人類会議や幹部会議などの表立って重要な話し合いに彼女は関与しない、人類圏の中で未来は鞘に収まっている事を望まれている。


 今も職務の真っ最中だ……というのに何もすることがなかった。

 「待て」という主の命令に従っていた未来は口を開く。


「ライアン様」


 姿勢良く座り眼前を見つめた状態のまま、未来が放った呼び掛けに少年の肩が震えた。

 万年筆が紙の上を走る音は止まらない、だけれど返答する声は穏やかなものだ。


「すまない、もう少しで終わる。

 ……ここ数日は被害に遭った市街地の対応で精一杯だったから書類仕事が溜まってるんだ、明日は暇潰しの道具でも持ってくるか?」


「わたしが待っている間、退屈だろうと?」


 問いを投げ返しながら未来はライアンの方を見た。

 彼もまた手を止めて、きょとんとした顔で未来の事を見てくる。

 恐れとか蔑みとか……こうも何の悪意も含まれていない視線を人間に向けられると、未来はとてもびっくりしてしまう。


「違うのか、てっきり暇だから急かしているんじゃないかと」

「暇ではありますが、いえ。

 わたしにはそんなことを言う権利、ありませんから」


 未来の瞳にはライアンの人間らしい凡庸な、特徴のない瞳と髪の色が映っていた。


 人類というのは個の判別が付けづらい姿形をしているものだ。

 人からして見れば騎士が鮮やかすぎるのだという、それこそ目に毒なほどに。


「いつ見ても綺麗だな、お前たちは」

「うん? 何のお話ですか?」


 未来のことを見つめたライアンは少しの不快さも表さず、気後れもしない。

 かと言って過剰に見惚れるでもなく、ただ笑みを浮かべて穏やかに感想を述べる。


 翡翠色の瞳、金色の髪。

 人間ではあり得ない作り物のような騎士の色彩を、彼は純粋に綺麗なものとして認識しているらしかった。

 未来は彼の発言の意図を掴みかねて、不思議がって首を傾げたけれど、主が嬉しそうだからと笑みを浮かべる。


 ……未来にとってライアンは初めて見る、今まで出会ったことのない人間だった。

 彼は騎士の事を同じ惑星に生きる対話可能な種族の一つと捉えている。

 人類守護を義務とする在り方を特性として尊重し、仕事を振り分けて、それだけ。


 異物扱いも特別扱いもしない、差別意識もなければ隷属を強要することもない。

 ただ主と呼ばれたなら応えるし、兵器として使えと騎士から望まれるなら使う。


 未来はライアンの考え方が好きだ。

 人から恐れられるのも敬われるのも、可哀想だと優しくされるのも、なんだか違うといつも思うから。


 兵器であることも生き物であることも否定されなくて済むというのは、心地が良い。


 ぼんやりしている時以外、未来は常に微笑みを絶やさず、騎士として理想の形を貫く。

 そんな彼女の意思を尊重して、ライアンもまた騎士に仕えられた主として振る舞う。


「あまり頑張りすぎるとお体に障るでしょう、毎日ライアン様は一生懸命ですから。

 たまには肩の力を抜いてほしいのです」

「そうもいかない、これは仕事だから。

 僕は周りほど優秀でもないのだし、当然のことをしているだけだ」


 ライアンは笑みを苦笑いに変えつつも、はっきりとした答えを返してきた。

 未来は微笑んだまま口を噤むという器用な事をする……主の言葉を否定することは出来ない、言い切られてしまうと黙る以外無い。


 話が終わったと判断したのかライアンは書類仕事に戻っていった。

 仕えている自分の方が暇を持て余しているなんて、変な話だと未来は思う。


「明日からはわたしも溜まっている書類を持ってきます」

「そんなものないだろう。

 与えられた仕事をその場でこなしきって、次の日には持ち越さないのが未来だ」


 困るくらい優秀なんだから、とライアンが呟くので未来は目を丸くした。

 優秀だから困るってなんだろう、理解できない言葉を咀嚼しているうちに彼は書類仕事を片付け終えたらしい。


 書類をファイルに一纏めにして、未来の主はベンチから立ち上がる。

 科学の最先端が揃うこの国で紙束と格闘しているなんて、なんだか不思議だった。


「よし、待たせて悪かったな。

 父上たちが帰ってきたら、今日の人類会議について聞かないと」

「お供します、よろしいですか?」


 未来も立ち上がりながら問えば、ライアンは一瞬驚いた顔をしてから笑った。


「未来は僕の騎士なのだから当然だろう?」


 告げられた言葉を聞き、最優の騎士は心底から溢れた喜びを隠さず一言。

 もちろん、とだけ返した。



 ──人類至上主義が占めるライオスにおいて、騎士と穏やかに話す人間は稀だ。


 未来は己が主の思想を問うたことがないが、少なくとも差別派に属する言動をしているところは見たことがない。

 ライアンは騎士に対して好意的であり、情の伴う接し方をする。

 ……病的に騎士を管理する父親とは真逆と言ってもいい考え方を持っているのだ。


 未来は血の繋がりがある家族というのが良く分からないから想像でしかないが、子というのは親の思想に引きずられるものだろう。

 

 十七歳になったばかり、母親の手が無く育てられてきたというのに彼は、広い視野と自分の考えを持っている。

 そんなライアンに仕えられたことを、未来は誇りに思っていた。


「わたしはライアン様の剣、貴方のために振るわれる正義」


 五年前、初めて会ったときにした誓いを未来は改めて口にする。


「わたしは貴方の兵器です、ライアン様。

 どのように扱うかはお任せします」

「……ああ、正しく生きる努力をする。

 未来たちの助けになれるように」


 ライアンもまた、出会った時と同じように応えた、己の白い軍服の胸に右手を当てて。

 握り締められたその拳は万能に対抗する術を持たない、ただ多くの命と繋がっている。


 そんな主の全てを守る剣、それが未来だ。




 ◇ ◇ ◇



 ライアンと共に王城の中を歩く未来の聴覚が、聴き慣れた足音を拾った。


 足音は些か遠い、長い廊下の奥、角の向こうから来る。

 だから誰が向かって来ているのか、まだ目では見えない。

 けれど知った相手なら姿が見えずとも、足音を聞くだけで誰なのか判断出来る未来は、満面の笑みで呟いた。


「雄大さん」

「え?」


 突然、その場にいない者の名を呼んだ未来の声を聞き、ライアンが怪訝そうな顔で振り返り足を止める。

 ……人間である彼の耳にはまだ、ほんの微かにしか足音は届いていないだろう。


 立ち止まった未来とライアンの前に、足音の主は暫くしてから現れた。

 翻るのは純白の騎士服、未来と同じ第一階級の聖王騎士、その姿を見てライアンは納得したように笑う。


「ああ、そういうことか。

 足音だけで誰なのか分かるんだな」

「……未来、あまりライアン様を驚かせないように」


 現れた雄大はライアンに対して苦笑いを向け、未来に対して苦言を呈した。

 はて、わたしは何かしてしまっただろうかと何も分かっていない様子の彼女を見て、ライアンが笑い出す。


「良いよ、慣れている。

 お前たちは何をやらせても規格外なんだ」

「人間ではないものを人間の秤に乗せてはいけません、壊れてしまいますからね」


 ライアンと雄大は通じ合っている様子で会話しているけれど、未来にはさっぱり。


「お前が現れたということは、何か予定の変更があったのだろう、雄大」

「その通りです、話が早くて助かります」


 気心の知れた様子で会話する雄大とライアンのことを未来は見上げていた。

 たぶん自分に関わる話ではないだろうなーと考えていた彼女の耳に、思わぬ言葉が飛び込んでくる。


「突然ですが、未来を借ります。

 団長から結界防衛に赴くよう命令されまして、未来も同伴させろと」

「……え?」


 雄大の言葉に思わず、未来が声を出せばふたりの目線が下を向いた。

 そこにいるのは若干、困っているような色も含んだ未来の笑顔だ。


「どうした、何か問題でもあるか?」

「いえ、そうではなくて。

 今日はライアン様の護衛が出来ると思っていたから……」


 ライアンの問い掛けに答えながら、なんといえば良いだろう、と未来は悩む。

 自分の気持ちを言語化するのが苦手な妹の事をよく知る雄大が、優しく言葉を添えてくれた。


「ちょっとがっかりしたんだろう。

 二ヶ月間、通常任務から離れて単独行動だったわけだし、今日はライアン様ともう少し話したかったんじゃない?」

「そういうことなのか?

 嬉しいけど仕事だから、仕方がないな」


 雄大とライアンに宥めるような眼差しを向けられて、未来は自分が聞き分けが悪い子どものように思えて居心地が悪くなった。


「未来と雄大は大切な臣下だから、僕も本当はもっと話がしたいけど。

 僕よりも優先すべきことがあるだろう?」

「俺たちにとってライアン様はいつでも最優先にするべき方ですよ、ただ同じように扱わないといけない事項が複数あるってだけです」


 気安く笑い掛けてくる雄大に、ライアンはとても嬉しそうに微笑み返す。

 未来は自分の中に滞留する気持ちを言語化出来ないままだったが、主の笑顔を見て細かいことはどうでも良くなってきた。

 主が嬉しいのなら、何でもいい。


「分かりました、雄大さんについて行きます、ライアン様。

 申し訳ありませんが、お側を離れます」

「構わない、今日は人類圏から出る予定がないから、護衛が必要な場面もないだろう」


 人類圏のことを絶対に安全な場所だと信じきっている様子のライアンを見て、雄大が目を細める。

 その視線にも敏感に気付き、王子らしくない王子は笑う。


「先の事件で聖王結界の信頼性は確かに揺らいだ……楽観している訳では無いよ。

 僕はお前たちを心底から信頼しているだけ、何があってもライオスを守ってくれるだろうと」


 信頼を預けられる、というのは心地が良いことなのだと未来はライアンとの出会いで知った。

 当たり前のように彼は騎士達に命を預け、騎士達の為に邁進してくれる。

 この人の為に剣を振れてよかったと未来はいつも思う、ライアン様はすごいのだ。


「ふたりとも、気をつけろよ。

 どうにも今回の事件は変だ」


 ライアンは真剣な顔で告げる。

 背筋を伸ばして、ふたりは彼の言葉を聞いた。


「近頃のライオスは……言いたくはないが不自然な動きが多すぎる。

 第一階級の実力を存分に活かして事態の収集に当たってほしい」


「仰せのままに」


 聖王騎士団が有する最高戦力であるふたりは揃って騎士礼をした。

 ライオスの王子は頷いて、かけがえのない友を戦地へと送り出す。


 何も特別な事はない──仕事の時間だ。

 

 

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