5.「なんてことはない大切な今日を」上


 ──原初の時代、聖王は仰られました。


 良いことを行い善を尊び、悪を拒みなさいと。

 聖王の言葉を聞いた人類は皆、言われた通りに従いました。


 そのとき初めて、箱庭に「法」が生まれたのです。


 言葉と知識は法を使うためにあったのね、人類は笑い合いました。



 ◇ ◇ ◇



 古い邸宅の廊下を、笑い声を上げながら歩く幼子たちがいた。


 かつての主人を失ってから改装され、今は別の役割を持って存在している建物の中。

 幼子たちは木の香りを嗅ぎながら、飾られた絵画や骨董品の下を抜けて歩いていく。


 お揃いの白いシャツを着て、色違いのリボンを付けた女の子と男の子がふたり。

 笑顔を交わし合いながら歩く。

 先頭の男の子は両腕で、大きな仕掛け絵本を抱えていた。


 図書室の中で一番お気に入りであるこの絵本を誰に読んでもらおうかと、幼子たちは仲良く話し合う。


 おさげ髪の少女が言った。


「わたしはお兄ちゃんのだれかがいい!」


 大人しそうな男の子が言った。


「ぼくはお姉ちゃんのだれかがいい!」


 元気いっぱいの男の子が笑う。


「お兄ちゃんでもお姉ちゃんでも、みんなやさしいからだぁいすき!!」


 だいすき、大好き、と歌うように口にしてはしゃぎながら廊下を歩いていたから。

 角から曲がって来る誰かの気配に、幼子たちは気付かなかった。


 先頭を歩いていた男の子がそのままぶつかって、よろけてしまう。

 そんな男の子を支えてくれたのは、綺麗な金色の髪を揺らした騎士だった。


「前を見て歩かないと危ないでしょう」


 普段は優しい声に叱られて、皆はしょんぼりと肩を落とす。


「ごめんなさい、みらいお姉ちゃん」

「分かれば良いですよ、気をつけましょうね」


 翡翠色の瞳が、柔らかく細められた。

 幼子たちはのひとりである彼女のことを囲んで口々に言う。


「お姉ちゃん、絵本よんで!」

「あら、いいですよ。

 みんなはこれが大好きですねぇ」


 仕掛け絵本を渡されて、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 皆で並んで歩き出す、幼子たちは今日した遊びや食べたお菓子のことを話し始める。


 賑やかな話し声が響く、邸宅に暮らす子どもたちは皆、騎士であり孤児だ。


 ──此処は騎士寮。

 箱庭に残る僅かな安全圏、その中心に位置し人類圏に取り囲まれた大都市リチア。

 騎士の都に存在する揺籠、その一つである。



 ◇ ◇ ◇


 オクティナと出会って五年が経った冬。

 十五歳になった未来は、立派な騎士へと成長していた。


 神どころか天使も見たことがなかったあの頃とは違い、現在の未来は名の知れた聖王騎士として活躍している。

 重ねた経験と実績は自他共に評価され、今や誰もが憧れる騎士として名を連ねていた。


 暖炉のある居間で、長椅子に座った未来は幼子たちに絵本を読み聞かせている。

 今朝方に仕事を終えて騎士寮へと帰って来たばかりの未来は、幼子たちの元気な笑い声を聞き、戻ってきたのだと実感した。


 緊急の招集がなければ一週間、未来には休暇が与えられている。

 待ちに待った平穏な生活だ、長いこと騎士寮を空けていた分、幼子たちとも遊んであげなければ。


 ……この五年間で、未来は様々なことを知ることになった。


 例えば幼い頃に暮らしていた集落。

 人類圏を追われた犯罪者たちの隠れ場所として機能していたあの場所は、オクティナによって滅ぼされ今はもう無い。


 結果的に唯一の生き残りとなった未来はその後、人類軍と騎士長と呼ばれる男に保護されて寮へとやってきた。


 狭い世界しか知らない未来を待っていたのは、歳の近い騎士達との共同生活だ。

 騎士団に所属し仕事をこなす毎日。

 戸惑う度に助けられ与えられ、自分も助けて与える、そんな五年間だった。


 未来の世界はまだまだ狭いままだけど、数えきれないほどの美しいもので溢れている。

 騎士寮での生活が未来は好きだ。


「お姉ちゃん、これはだれ?」

「原初の聖王さまですね。

 聖剣の騎士王、正義の使者、人々に法を教え善悪の価値観を箱庭に齎した存在です」


 絵本に描かれた、白い衣を纏って聖剣を振るう王の姿を指差した幼子の問いに、未来は真面目な答えを返す。

 幼子たちは分かっているのかいないのか、更に未来に問う。


「げんしょってどれくらいまえ?」

「……暦が始まるより昔、世界暦を信じるならば千年以上前になりますね」


 世界暦1855年と記された、壁の暦を指差しながら未来は答えた、幼子たちはふうんと頷く。

 この冬が明ければもう年が変わる、そろそろ新しい暦も準備しなくては。


「すっごいむかしだ!」

「そういうことです、原初の騎士王さまはわたし達のご先祖ですよ」


 それは知っているよ、と傍で大人しくしていたおさげの女の子が胸を張った。


「ななつのいろ、ななつのひかり、われらはひとをきゅうさいせん!

 ……きしおーさまは七たいいるんだよ!」

「その通り、お勉強の成果が出ましたね」


 未来が微笑を浮かべて女の子の頭を撫でてやると、男の子たちがずるいと騒いで捲し立てる。


「ぼくだって知ってるよそれくらい、じょーしき!」

「ぼくもぼくも!」


 このままでは収拾がつかなくなりそうだ、未来は皆の頭を順番こに撫でながら言う。


「皆、とっても偉いです。

 その調子でどんどん大きくなって、頼もしい騎士になってくださいね」


 はーい、と幼子は声を揃えて返事をした。

 その様子が可愛くて仕方ない、未来は愛おしげに笑った。






 騎士寮には寮母と十名の幼子たち、未来を含めた七名の騎士が暮らしている。


 まだ騎士団に属していない幼子たちからは姉と慕われる未来だが、幼馴染である現役騎士たちの中では一番最年少だ。


 未来にとっての兄姉である幼馴染たちは多忙を極める騎士であり、未来よりもっと凄くて強い。


 絵本を読んで、とせがんできた幼子たちはお昼寝の時間になって、寮母に呼ばれて寝室へと去っていった。

 独りになった居間の中、暖炉の火を眺めながら、未来は背もたれに体を預ける。

 途端に暇だ、話し相手が欲しいところだが、残念ながら今日休みで寮にいる騎士は未来しかいない。


 未来は心臓の辺りに右手を当ててみる、変わらず重なり響く二つの音。

 ……半身の意識が眠っていることに気付いた未来は、なんだと諦めた。


 少し前までは片時も離れず、未来と共に寝て起きていたのに、最近では彼女の意識だけが眠っていることが多くなっていた。

 原因は分からず、未来は不思議なこともあるものだなと思っている。

 起こすほどのことでは無いしと彼女は立ち上がった、紅茶でも淹れよう。


 茶器の収まった戸棚へと向かおうとした時、居間の扉が開いたので未来は驚いた。


「あの子たちの面倒を見てくれてありがとう、未来」


 入って来たのは真紅の髪、青い騎士服を身に纏った寮母である女性騎士の姿を見て、未来は口を開く。


「薫さん、どうしました?

 お昼寝の時間でしょ、皆のそばにいてあげなくて良いんですか?」

「ふふ、未来がいないうちにあの子たち、添い寝がいらなくなったのよ。

 ……話し相手がいなくてつまらないんじゃないかと思って」



 私でよければ一緒にお茶でもしない?

 可憐な笑顔が未来を誘う。


 大人でありながら少女でもあるような、不思議な雰囲気を持つ寮母──神楽衣薫かぐらぎかおる

 彼女に向かって未来は安堵したように笑顔を返した。

 騎士寮の子どもたちにとって薫は実の母同然、それは未来も例外では無い。



「相変わらず、紅茶を淹れるのが上手だね」


 テーブルの上にふたり分の茶器を用意して、ティーポットを傾けながら、茶葉の香りを楽しんでいた未来に薫は言った。

 薫の手元には先に、未来が淹れた紅茶が置かれている。


 未来は嬉しさをそのまま表情に表しながら、ティーポットを置いた。


「寮に来てから得意になったことの一つです、薫さんや皆が喜んでくれたから」


「未来が一生懸命に頑張っているところを見ると、応援したくなるのよ。

 みんなあなたのことが大好きなの、もちろん、私もね」


 薫に微笑まれて、未来は何だか気恥ずかしくなって誤魔化すように紅茶を飲んだ。

 そんな彼女の様子をじっと見ていた薫は、そういえばと口を開く。


「未来のおめでとう会、そろそろだね」

「あっ、そういえばそうでしたね。

 ……珍しく皆のお休みが合う予定だから」


 何のことか思い当たり、未来は頷いた。


 「騎士王候補」として育成され、各所で活躍している騎士寮生たちはとにかく忙しい。

 未来はまだ帰って来てから幼馴染の誰とも会っていないし、全員の休みが合う日なんて本当に久しぶりだった。


 貴重な一日を、皆は未来の昇級と誕生日を兼ねたお祝いに使ってくれるらしい。

 申し訳ないやら嬉しいやらで、未来は何とも言い表せない感情を抱える……うれしい、のほうが大きいかな。


 薫は未来のことを見つめて、しみじみと呟いた。


「未来も第一階級になったか。

 大きくなったねぇ」

「そんな……恥ずかしいです。

 わたしなんてまだまだですから」


 照れ隠しで未来は首を左右に振った、ふるふると動く様がおかしかったのか、薫は楽しそうに笑い声を上げる。


 未来は真っ赤になって俯き、ちびちびと熱い紅茶を飲んだ。

 気分を落ち着けてくれることを願って。




 ◇ ◇ ◇



 二階へ続く階段を上っていると、中庭を駆け回る幼子たちの声が聞こえた。

 昼寝から目覚めたばかりだというのに、元気だなと未来は思わず笑いを溢す。

 

 薫とのお茶会が終わって、未来は自分の部屋へと向かっていた。


 十二歳を超えると騎士寮生は、二階のひとり部屋で暮らすようになる。

 廊下の突き当たり、出窓のある角部屋が未来の自室だった。


 部屋の中には大したものを置いていない、目につくものといえば本棚と、出窓に飾ってある猫と犬のぬいぐるみだろうか。


 寮に来てから未来は自分が本好きなのを知った、集めた小説が並ぶ本棚はそろそろいっぱいになりそうだ。


 飾ってあるぬいぐるみの方は、早めの誕生日祝いとして姉たちがくれた贈り物。

 とにかく休みが合わないので、誕生日より半年も前に貰ったものだけど、未来はこの子たちのことがお気に入りだった。


 部屋の中は未来が不在の間も、薫が清潔に保ってくれている。

 また此処に戻って来れたことに安堵しながら、未来は寝台に腰掛けた。


 何も考えずにぼうっとすることも時には必要だが、暇な時間というのはつまり余白だ。

 戦地の中に放り込まれて駆けずり回った二ヶ月間を思い起こして、未来は何となく溜息を吐いた、疲れたのかもしれない。


 仕事のことを休みの日に考えるのは良くない、といつか幼馴染みに教えて貰ったのを思い出しぐんと伸びをする。

 このまま後ろに倒れ込んで、わたしも昼寝をしてしまおうか──。


 そんなことを考える彼女の目に、机の上に置かれた一冊の本が映った。

 未来は、はてと自分の記憶を思い起こす。

 机に本を出したまま仕事に行くなんて未来はしない。

 なら、他の誰かが置いて行ったのか。


 未来は立ち上がって机に近付いていき、本のタイトルを見て目を丸くした。

 ……そういえば貸したんだった、かなり前のことで、未来も忙しくて忘れていたけど。


「読んでくれたんだ」


 大好きで続刊を楽しみにしている小説の、滑らかな表紙を撫でながら呟く。

 幼馴染のうち、ひとりの顔が思い浮かんだ、優しくて不器用な三番目の兄。


 直接渡してくれたらいいのにと未来は思う、そうしたら感想を聞いたり出来るのに。

 仕方ないことだとも分かっているから、未来は目を伏せて優しい声を思い返した。

 ……低くてゆっくりで、荒くなったり怒鳴ったりしない声。


 きっと話したいと思っているのは向こうも同じで、それが出来ない状況だからこうやって誰もいない部屋に返しに来てくれたのだ。


「会いたいな」


 未来は無意識に呟いてから首を傾げる、自分がこんなことを思うなんて不思議だった。

 ……子どもの頃と今の自分たちは違う、忙しくなって立場が変わって、簡単に話したり遊んだり出来なくなって暫く経つ。

 今は待つしかないのだと、冷静な自分は言っていた。

 けれど何だか無性に寂しい、そんな気がする、未来は誰でも良いから今日、今すぐにでも帰って来てくれないかなと願う。

 

『会いに行けば良いだろう』


 突如、耳に響いた声に未来は目を丸くして、微笑みを浮かべた。

 本に触れた右手が黄金色に輝いている──どうやら目が覚めたらしい。

 未来は世話焼きな神様に語りかけた。


「オクティナ、おはよう。

 会いに行ったとして、実際に会えるかは分からないよ」

『どうせ今日は一日、暇なのだろう。

 幼子たちと遊んでやるのも昼寝をするのも好きにしたら良いが、お前はもう少し己の声に耳を傾けるべきだ』


 己の声、と言われて未来は戸惑った。

 オクティナの言っている意味は分かるのだけど、未だに自分の気持ちを知るのは苦手だ。

 未来の内面を読み心の中を泳ぎながらオクティナは言った。


『会いたいと思う者に、会いに行けば良い。

 簡単な話だ、わかるだろう?』

「うん」


 未来は友達の言葉を聞いて素直に頷き、笑顔を浮かべて返事をする。


「分かった、そうしてみるよ。

 オクティナはいつも、わたしの気持ちを代弁してくれるね」

『お前は昔から世話の焼ける娘だからなぁ』


 文句を言っている割に、声色が楽しそうだったから未来は笑い声を上げた。

 今までの付き合いで分かったことだが、オクティナは底抜けに優しくて面倒見が良い。

 尊大なのは態度だけだともう知っていた。


 言いたいことだけを言って、オクティナはまた眠りにつく。

 ……オクティナは何だか意識が安定しない、呼べばすぐに目覚めてくれるけれど。


 騎士として未来が生きていく上で、オクティナには我慢してもらっていることが多かった。

 近いうちに彼女が楽しいと思うような場所に行こうと決め、未来は衣装棚へと向かう。


 言われた通りに、会いたいひとに会いに行くには部屋着から着替えねばならない。



 身が引き締まるような純白、繊細に施された銀色の刺繍。

 自らが所属する聖王騎士団を表す騎士服に身を包み、未来は鏡の前で胸を張った。


 今日は休みなわけだから、仕事着であるこれに袖を通す必要はないわけだが、結局この格好が一番落ち着くし着慣れている。


 それに今から向かうところは、私服で向かうには結構な勇気がいる場所だ。

 大切な相棒である細剣は部屋で留守番、最低限の物だけ上着のポケットに入れておく。


 もう一度、鏡に映った誰もが完璧と称す自分の姿を確認してから、満面の笑みを浮かべて未来は歩き出した。



 

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