第5話 砂上に踊れ

飛ぶように砂の上を駆ける。オアシスはもう目前に迫っている。喉は焼けるように乾いているが目の前の泉にさえたどり着けばなんということは無い。


「ハッ……ハァッ……あと少し……!」


走りながらふと違和感を覚える。弱い強化とは言え、無強化の人間とはものが違う。目に見える場所に移動するのにさほど時間は必要ない。なのに……だというのに。目の前のオアシスは一向に近づいてこない。むしろ遠ざかっているような……


「………………ゲホッ、ゲホッ……え?」


私は思わず止まる。おかしい。絶対におかしい。熱に浮かされた頭が立ち止まることでクールダウンされる。最初に見つけたはずの場所は今立っているこの窪地だったはず……そもそもこんなに都合よくオアシスは見つかるものなのか?あんなに周囲に気を配って走ってきたのにあの時まで気づかないなんてことがあるか?そして……


「…………誘われ……た……?」


自覚した瞬間に、背筋に怖気が走る。鳥肌が立つ。全神経が体に逃げろと命令を下す。だが……もう遅かった。

窪地の中央から地鳴りと共に勢いよく黒い甲殻が姿を現す。初めに突き出した湾曲した尾の先端には鉄板をも容易く貫きかねない針を兼ね備えている。次第に胴体、顔があらわになり……赤い複眼が私を一斉に捉えた。


「【赤黒……#蠍…__サソリ__#ッ……】」


【赤黒蠍】は久々の好餌と見える。ギチギチと聞こえよがしに牙を鳴らしながら迫る。道中他の怪物に会わなかったのは他でもない。コイツだ。いつからかは分からないが、既に私はコイツに狙われていたんだ。砂漠地帯の中でも屈指の危険生物。その獲物に手を出す馬鹿が居ないのは当然じゃないか!!


彼我の体格差は10倍を超える。【赤黒蠍】はジリジリと歩を進める。私は動くことが出来ない。痛む脚と焦げ付いた喉が言うことを聞いてくれない。反応を楽しむかの様に奴は距離を詰める。そしてついにその牙が私を射程範囲に含めた瞬間……


「GYRRRRRRRRRRR!!!!!!」


奴が咆哮した。生存本能が恐怖を叱咤し咄嗟に左に回避。【赤黒蠍】は緩慢な動作で私のいた場所を左右の腕鋏で抉りとる。先程の咆哮と言い、この動作と言い、間違いない。


「……ッ、遊んでる……ッ」


砂を噛みながらなんとか体制を整える。表情の無い複眼の顔と口元の甲殻が歪んで見える。その口元にはユラユラと陽炎が浮かんでいる。そしてようやく気付く。超高音の吐息……今まで見ていたオアシスは「逃げ水」と同じ現象。奴の吐息が温度を上げ、私に水を見せて走らせていたのだ。何と狡猾なことか。いや…


「私が馬鹿だったってこと……?」


本来ならこの知識はギルドから最重要事項として教えられた上でここに来るはずだった。だがメリアにはそれを知る由もない。だがここで悔やんでもどうにもならないことくらいは分かっていた。


「……逃げれる……?いや、無理だよね……この地形じゃ無理だ……」


蟻地獄のような窪地となった地形。逃げる選択肢は最初から潰されている。難易度は恐ろしく跳ね上がったが結果的にやることは変わらないことに気づく。


「なんとか……あの男が来るまで生き延びなきゃ…!!」


悲壮な決意と共に残り少ない体力を絞り出す。沈みかけた夕暮れの中、崖っぷちの少女は砂を蹴り駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る