第64話 隠し事

「ひとまず部屋に入りましょうか」


 櫻井さんは”苦渋の表情”で上條社長にそう提案した。


 それを聞いた上條社長は不満げに櫻井さんを問い詰めた。


「話しは終わりにするのではないのか?櫻井、お前は一体何をしたいのだ?」


「こうなってしまったら”今すぐ解散!”って訳にいかないでしょ?」


 櫻井さんは鋭い目で上條社長を睨みつけながら、強い語気でそう言い放った。


 あらためて櫻井さんの上條社長への遠慮ない物言いは驚かされる。それに言い返せない上條社長の態度から、それだけこの櫻井と言う人を上條社長自体が評価しているのだろう。


「皆も一旦部屋に入って落ちつきましょう」


 櫻井さんは上條社長に見せた”怒気”とは違い、私と維澄さんへは満面の”作り笑顔”をを向けながらそう言った。


 しかし維澄さんを見る視線は”作り笑顔”では隠しきれない程に鋭すぎる隙のない眼光が光っていた。私はその目の恐ろしい光に震えが来るほどだった。


 この人はホントに得体が知れない。


 維澄さんは依然として眉間に皺を寄せ、不満とも焦りともとれる表情のままだった。


 私にしたって、突然『自分がオーデションで優勝する』という理解しがたい話を聞いて動揺している。


 しかし維澄さんのこんなにも不安な表情と、また櫻井さんの緊迫した表情を見るにつけ私の全意識も維澄さんに集中するべきだと感じた。


 私のことなんて今はどうでもいい。


 私は維澄さんがここにきてずっと無意識に左腕を撫で続けている「右手」にそっと手をやって、その手を握りしめた。維澄さんの心が無意識にでも”そこ”にフォーカスしてしまっているのを止めたかったからだ。


 そして「苦悩の記憶」から維澄さんを引き戻したかった。


 維澄さんは私に手を握られると”ハッ”として私の顔を見た。


 その顔は今にも泣き出しそうな表情だった。そうだ、いつも見せる少女のような頼りない表情。


 維澄さんの”この”表情。


 いつもその表情を見せる時は維澄さんのこころの深い部分にある”傷”に触れているときだ。だからその傷に触れるたびにこんな頼りない少女の顔になってしまう。


 一つだけはっきりしていることがある。


 今、維澄さんの態度が豹変したきっかけは”私”だ。


 私をKスタジオに上條社長が誘ったことがトリガーになって維澄さんの様子がおかしくなった。


 その先の意味はよく分からない。


 だかでも意味は分らなくても私はなんとか頬の筋肉を強引に上に引っ張り上げて全力で”作り笑顔”を維澄さんに向けた。


 私が原因なら、私の笑顔こそ維澄さんの動揺を治める一番の方法だと根拠なく思い込もうとした。


 少なくともこの状況を理解できない以上、私にはこんな作り笑顔を送ることしかできない。




 きっとこの維澄さんの動揺の原因に気づているのは櫻井さん一人だ。


 あの上條社長ですら当惑の顔を見せている。この状況を理解できていないのだ。


 しかも上條社長は櫻井さんに強く出られてからは不用意に言葉を発することができなくなっていた。


 私達は広いスウィートルームの真ん中にあった大きく長いソファーに腰掛けた。


 ソファーに腰掛けるとき、一旦私の手は維澄さんの右手から離れてしまった。


 そうするとまた維澄さんは顔を下に向けたまま無意識に左手首の辺りを右手で触り始めている。


 私は動揺する維澄さんを何度も見ている。


 まえにパニック発作を起こした時の様子も未だによくおぼえている。しかし今日は発作こそ起こさないものの、しきりと”あの傷”に触ろうとする維澄さんの精神状態はいままでで以上に緊迫しているように見えた。


 その姿はまるで気味の悪い黒いオーラに包まれているような、そんな印象さえ感じてしまった。


 私はそんな維澄さんの姿を見つめがら焦燥感で胃がねじれるようにキリキリと痛んだ。


 おそらく状況を理解している櫻井さんにこの場を任せるのが正解だと思うが、櫻井さんも一向に黙ったまま言葉を発することはなかった。


 私はついにこの雰囲気にたえられなくなり言葉を発してしまった。


「今日はもう帰っていいですか?」


 皆の視線が私に向けられた。


「だからそれは……」


 すぐさま上條社長はそう反応したが、櫻井さんの顔色をうかがってそれ以上は何も言わなかった。


 きっと上條社長は私が最終選考があるから残れといいたかったのだろう。


 私は維澄さんの反応を見た。きっと私が帰ると言えば、安心すると思ったからだ。



 しかし私の予想に反して維澄さんはむしろ苦悩の表情を見せていた。


 なぜ?


 なぜ私が帰ると言って、維澄さんがこんな顔をするの?


 ここにきてはじめて櫻井さんが私に声を掛けてきた。いつものように私の心を読んだかのように。


「IZIMIさんは君に優勝してほしいと思ってるんだよ……ですよね?」


 櫻井さんは私に話しけけつつも遠慮がちに視線を維澄さんに向け維澄さんに同意を求めた。


 維澄さんは突然話を振られて一瞬”はっ”と虚を突かれたように顔を上げた。


「ええ……もちろんそうよ。だから檸檬は残って最終選考にでないと」


 維澄さんそういいつつもまた表情は段々暗くなった。


「だったらそんな顔しないでよ」


 私は思い切って”いつもの調子で”維澄さんにそう言った。


「そ、そんな顔って、別にいつも通りだと思うけど」


 そう言いながらも維澄さんは私の強い視線に晒されて、目を左右に泳がせてしまった。


 私はその表情を見た瞬間、頭の中で”パチン”と何かがはじけてしまうのが分かった。


 また”この人”私に隠し事をしている。


 そのことが私の”悔しい”という想いを強烈に誘発させた。


「維澄さん?なんなのよ、さっきから!!私に何を隠してるの!?」


 私はきっと今は維澄さんが一番心を開いてくれる存在になっているといううぬぼれがあったんだと思う。だからこの後に及んで隠し事をする維澄さんが許せなくなってしまった。


 悔しかったし、悲しかった。


 だから……


「なによ?ずっと優勝しようって励ましてくれてきたのに、私が優勝するの知ってたとか?ずっと私のこと騙してたってこと?!ふざいけないでよ!!」


 私は気持ちを言葉に出すうちに感情がその言葉に引っ張られてどんどんと気持ちが高ぶってしまいついに涙があふれてしまっていた。


「そ、そうじゃないの、そうじゃなくて……」


 維澄さんは私の突然の激昂に動揺してオロオロとしはじめてしまった。


 不思議と櫻井さんは割って入ってこない。


 上條社長もどうしていいか分らず動けないでいる。


 でも私はもう感情を抑えることは出来なかった。


「どうして分ってくれないの!!私はいつも維澄さんのことしか考えていないのに!どうして維澄さんは隠し事ばっかり。私のことが好きじゃないならそういってよ!!」


「す、好きじゃないわないじゃない……」


「好きじゃないわけじゃない?何それ?そんな言葉じゃ分かんないわよ!私はね、ずっと前から維澄さんのこと”愛してる”っていってんだよ?でも維澄さんはそうじゃないんでしょ?!?私のこと”愛してる”んじゃないんでしょ?」」


 私はそこまで自分で言って、自分の言葉に悲しくなって涙が止めなく流れてしまった。



 そして私がそこまでの言葉を維澄さんにぶつけた時……


 ついに維澄さんに異変が起きた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る