第3話 ある疑念

 なんで、こんな田舎にあるドラッグストアーでレジをしているの?


 私は、机に置いてあるフォトスタンドを手に取り、その写真に写る「憧れの女性ひと」をもう一度、至近距離で見つめ直した。


 そして、今日現実に起きてしまったあり得ない『衝撃の邂逅』を思い出し、出来得る限りの想像をする。




 素性は分からずとも、雑誌で紹介されていた記事を見る限りは間違いなく過去に人気のあったモデルであることは間違いないと思われる。


 だとすると「どっきり?」「隠し撮りのCM撮影?」なんてことを想像してみたが、それは無理のある妄想だ。


 だってここは岩手県で、しかも盛岡市から北に離れた石川啄木の生まれ故郷と言うことしか取り柄のない田舎町である。そんなところでわざわざTV番組やCMの撮影をするのは考えられない。


 その女性が勤務するドラッグストアーに至っては近所の人しか利用しないような小さな、小さな店舗である。太った中年のおばさんがよく似合う職場の風景で、近所のちょっと綺麗な人妻のパートがレジに立ってるだけでも「ぎょ!」とされるかもしれないレベルだ。


 そんな店に私が唯一「美しい」と心惹かれた女性芸能人がいる理由はどんなに妄想たくましくしても想像が及ばない。


「なにやってんですかっ!?」私が思わずそうさけんでしまったもの全く無理のない話だと思う。


 このレジの女性に、私が大声を出した時、彼女はすぐに目を反らして顔を背けてしまった。


 私に顔を見られるのを避けているともとれる所作。


 それは「顔を隠さなければならない理由」があると考えるのが自然だ。


 


 私はフォトスタンドを机に置き、ノートパソコンを開いた。


 そして過去に何度も調べた「検索キーワード」をもう一度パソコンに入力した。彼女のことを調べるために何度も何度も入力した「2つのワード」だ。


 彼女の唯一の手掛かり。


 それは、その雑誌の載っていた「彼女の芸名」と「彼女の職業」。


 不思議なことに、なんどこのキーワードを入力して調べても彼女の素性にたどり着くことはできなかった。



 しかし……



 今日は、貴重な情報を得ることも出来た。


 彼女の名字だ。


 私を不審者扱いした(実際に不審者だったのだが)男性店員は、彼女を確かにこう呼んでいた。


 ”碧原さん”


 私は咄嗟に名札をみたので、この漢字で間違いない。


 私はこのキーワードを先の2つのワードに加えてから検索をしてみた。するともう見飽きてしまったページばかりがリストアップされてきた。


 検索でリストアップされたページでは「碧原」の文字が検索ワードがからはずされ一本線がひかれていた。つまり「碧原」という本名と上述のキーワードとの関連性がないことが証明されてしまったのだ。あ


 私はがっくりと肩を落とした。 「もしかして私の勘違いなのか?」そんな思いがふと頭をよぎる。しかしどうしても最後には納得できない理由が私にはあるのだ。



 彼女は、私のいきなりの暴挙に怪訝な顔し、とっさにマスクで顔を隠したので顔はわずかしか見えなかった。しかしその僅かしか見えない顔からでも十分に分かったのだ。


 あり得ないくらいに綺麗だった。私はその顔を見た瞬間、うろたえて後ずさりした程に。


 やっぱりあんなも綺麗な人は「あの人」しかありえない。結局これしか根拠はないのだが、それでもこのことこそが私の中では絶対にぬぐい去ることができない確固たる論拠として私の心に根を張ってしまっていた。


 さらに今の私は「彼女が何者で、なぜドラックストアーにいたのか」と言う詮索とは別にある不安と戦っていた。


 私は今日のこの出来事で「ある疑念」と嫌が応にも向き合わねばならない状況に追い込まれてしまったのだ。


 私はいままで本気で人を好きなったことがなく、「異性に夢中になる」という感覚が私にはどうしても分からなかった。


 最初は「恋をしたことない」という結論で曖昧にその事実に向き合おうとはしなかった。しかしある時、弟の翔が何気なく言った言葉で「ある可能性」にたどり着くことになってしまった。


 私があまりに「その写真」に夢中になっている姿を見て翔はこう言った。



 「へ~檸檬がそんな夢中になるなんて珍しいね?」


 翔の何気ない一言。


 そう言われて私も「はた」と思った。


 私は特定の人にまあり執着を見せたことがない。なのになんで私はこの写真の女性にここまで夢中になっているんだろうか?


 そのことが自分でも引っ掛かった。


 私は「異性を好きになる」という感情を全くもったことがない。しかし翔の「その一言」で……


 「私はもしかして男性よりも女性に興味があるのではないか?」という疑念が湧き起こってしまったのだ。


 生まれてはじめて夢中になった相手がこの写真に写った女性。




「”私は女性しか好きになれないのか?」


 この時も、自分でそう自問してみた。


 しかし、その答えを真剣に考えることはしなかった。所詮はどうせ会うこともない、名前すら分らない女性である。それに女子高校生という年頃なら、同性の芸能人に夢中になるのはまったく珍しい話ではない。


 つまりどんなに彼女に夢中になろうと、それが人を好きなるというリアルな感覚から遠く離れていたところに存在する遠い感覚であることは違いがなかったのだ。


 だから、写真一枚に夢中になっているだけで、私が同性しか好きになれないなんて不安を真剣に追いかける必要なんて全くなかった。



 しかし……



 今日、その現実離れしたところにいた女性が突如目の前に現れてしまった。私は彼女の姿を見た瞬間。今まで感じたことがない様々な感情に乱されてしまった。


 「なんでこんなに動揺するの?」「この胸の奥が絞られるような痛みは?」


 私はとてつもない不安感に取り込まれそうになった。


 だから、それを振り払うためにあんな風に、咄嗟に彼女に食って掛かってしまったなかもしれない。私は普段あんなおかしな行動をするような人間ではないはずなのに。


 つまり……


「なにしてるんですか?」


 そう怒鳴った時の、私の本心はきっとこうであったに違いない。


「なんて私の前に現れてしまったの?」「この感情をどうしてくれるんですか?」


 いままで、浮世離れした「芸能人」を遠くから夢中になっていたからこそ何の不安もなく距離を置かことができた「同性愛」と言う言葉が、今現実として目の前に「その当人」がリアルに現れてしまった。


 だから私は自分が同性愛者であるという”疑惑”に真剣に向き合わざるを得ないところに突然追い込まれてしまった。



 私はその夜、興奮と、不安で中々寝付くことが出来なかった。


 それなのに何故か少しばかりの嬉しさにも似た”高揚感”もその感情に入り混じっていた。

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