外典 竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールは乗り物に酔いやすい。④

 ニーズヘッグは、アルマはこれから先もずっと、自分のそばにいてくれるものだと思っていた。


 彼女の言葉を聞いた瞬間、目の前の書物に記された文字がぐるぐると渦巻きのように回り始めた。

 顔を上げれば部屋も渦巻きのようになっていた。

 振り返ると、アルマの姿も、美しく整った顔立ちも、彼の視界に映るすべてが渦巻きのようになっていた。


 まるで、乗り物に酔ってしまったときのようだった。


 彼女の言葉の意味は理解できていた。

 だが、彼の中の何かがそれを理解することを拒んでいた。


 だが、ニーズヘッグは、


「素敵な縁談だね。

 バラウールって騎士の名前は、何度か兄さんたちから聞いたことがある。

 確か、とても優秀で、将来有望な竜騎士だったはずだよ」


 これ以上アルマを、自分に縛り付けていてはいけないと思った。



「縁談を断れとは言ってくれないのね」


「ぼくがドラゴンの背中に乗るということがどういうことか、アルマはわかってるよね?」


「わかっているわ。

 あなたのお父様は、きっとわたしたちの結婚を許してくれる。

 けれど、それは、わたしのわがままであなたをいつか戦地に送り出し、人殺しをさせることになる」


 アルマは、


「たとえそれが戦争であったとしても、自分が殺されてしまうかもしれなかったとしても、あなたは人を殺して平気でいられるような人じゃない」


 と続けた。


「あなたはきっと心を病んでしまう。

 もしかしたら、自害してしまうかもしれない。

 わたしがあなたとの結婚を望むことは、あなたに死ねと言っているようなもの」



 ニーズヘッグが自分で考えていた以上に、彼女は彼がどうなってしまうかを考えてくれていた。

 本当にそうなってしまう気がした。



「でも、縁談は断るつもり。

 わたしにはあなた以外の男の人は考えられないもの。


 特に、人を殺して平気な顔をしていられるような男は。

 そんな男に抱かれて、その男の子どもを生んで育てることなんて絶対に出来ない。


 あなたの父親は戦争でたくさん手柄を上げた立派な人なのよ、なんて口が裂けても言えない」



 その瞬間、渦を巻いていたニーズヘッグの視界が、元に戻った。



「アルマ。

 もし、ぼくが君と幸せになるために、自分の意思でドラゴンの背中にまたがり、戦場で敵兵を殺す道を選んだら、君はどうする?」


「最初はきっと嬉しいと思うわ。

 あなたといっしょになれるのだから。

 でも、あなたが人を殺してしまった自分を責め始めたら、きっとわたしは後悔する」


「ぼくが人を殺しても平気な顔をしていたら?」


「わたしには男を見る目がなかったのだと諦めるでしょうね」



 かつて、ニーズヘッグの乗り物酔いをどうにかして直そうと、父がゲルマーニから呼び寄せた医者は彼に言った。


「君が竜騎士になるために、乗り物酔いを克服する方法がひとつだけある。

 これから言う3つの条件がそろったときに、ドラゴンにまたがりなさい」



 ムーンライト。

 スターリースカイ。

 ファイアーバード。


 医者は、その3つの単語だけをニーズヘッグに教えた。


 そして彼は、その3つの単語にあてはまる条件がそろう場所と時間について、ひとつの仮説を立てた。


 ムーンライトとは、月の光であり、

 スターリースカイとは、星がたくさんの夜空であり、

 ファイアーバードとは、火を吹く鳥だ。


 火を吹く鳥とは、火の鳥であり、

 火の鳥とは、不死鳥のこと。

 不死鳥とは、火の精霊フェネクスだった。



「そういえば、百数十年前のニーズヘッグ・ファフニールも、竜騎士になる前はひどい乗り物酔いに悩まされていたらしいわ」


 アルマがふと思い出したように言った。



「月の光と、星がたくさんの夜空の下で、火の精霊フェネクスに見守られながら、ドラゴンに知恵を示した。

 きっと彼も、そんなところかな」


 ニーズヘッグの言葉に、アルマはとても驚いていた。


「どうして知ってるの?

 あなたも彼の伝記を読んだの?」


「何年か前に、父さんがゲルマーニから呼んだ医者が、3つの言葉をぼくに教えてくれた。

 だから、ぼくはそこから導きだした条件下の時間と場所で、ドラゴンに知恵を示した」


 ニーズヘッグが部屋の窓を開けると、彼が知恵を示したドラゴン・ケツァルコアトルが、庭で大きなあくびをしていた。


 部屋は2階にあったが、彼は窓に足をかけ、庭に飛び降りると、


「何年も待たせちゃって悪かったね、ケツァルコアトル」


 ドラゴンにそう言った。


「ニーズヘッグよ、父親や兄達が望む竜騎士になるか、それとは別の竜騎士になるか、どちらを選ぶかようやく決まったようだな」


 ニーズヘッグは大きく頷くと、ケツァルコアトルの背に跨がった。


 ケツァルコアトルは彼を乗せ、ゆっくりと翼を広げると、アルマがいる2階の部屋の窓へ低空飛行で向かった。


 そんなふたりを、アルマは信じられないという顔をして見ていた。



「ぼくが歩む竜騎士の道は、ぼくとアルマが望む方だよ」


「汝は竜騎士だ。道を歩むのではない。空を駆ける」


「そうだね、それくらいの勢いじゃなきゃ、こんな大それたまねはぼくにはできない」


 駆け落ちだからね、ニーズヘッグはそう言うと、アルマを手招きした。



「本来なら、汝以外の人間が我が背に跨がることを許すわけにはいかないが、今回だけはその娘が跨がることを許そう」


 ニーズヘッグはアルマをケツァルコアトルの背に乗せると、


「アルマ、隠しててごめんね。

 ぼくの乗り物酔いは、もうとっくに治ってるんだ」


 彼女が振り落とされてしまわないよう、自分の背中にしっかりとしがみつかせた。


「兄さんたちが言うには、ぼくは兄さんたちを率いることが出来るくらい、竜騎士の才能があるらしいんだよね。

 でも、ぼくは、竜騎士団に入る以外の竜騎士としての生き方をこれから見つけようと思う」


「わたしにも、何か手伝える?」


「一緒に見つけてほしい。ぼくたちが駆ける空を」


 アルマは、ニーズヘッグの体の前に手を伸ばし、彼をしっかりと抱きしめた。



「東の魔法大国で不穏な動きをしている者たちがいる。それ自体は今に始まったことではないが。

 異世界からの来訪者と、そのそばにいるふたりの魔人の巫女が、どうやらこの不愉快極まりないダークマターの真相に近づきつつあるようだ。

 ネクロマンサーの闇の力も感じる」


 いきなり厄介な案件だ、とニーズヘッグは笑った。



「我が認めた汝が持つ力は、一国の竜騎士団におさまるようなものではない。

世界を救うためにその力と我を使え」


 ケツァルコアトルの言葉にニーズヘッグは大きく頷くと、


「ぼくがもし、彼が言うような竜騎士になれたら、アルマは後悔しないよね?」


 アルマにそう聞いた。


「きっと誇りに思うわ。あなたを選んだことを。あなたに選ばれたことを。

 これからもずっとあなたのそばにいられることを」


 ありがとう、とニーズヘッグは微笑むと、


「じゃあ、とりあえず、その異世界からの来訪者とふたりの巫女のところまで頼めるかな?」


「汝が駆ける空が、我が駆ける空だ」


 ケツァルコアトルは空高く舞い上がった。



  「我にも、その娘と同じように、汝を選んだことを誇りに思わせてくれ。


         竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールよ」

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