第29話 外典 竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールは乗り物に酔いやすい。①

 月を眺めるのが好きだった。多くの星が輝く夜空が好きだった。


 竜騎士見習いの青年、ニーズヘッグ・ファフニールは、魔法大国エウロペの隣国ランスに生まれた。

 今年で22歳になる。


 ランスの民は皆、瑠璃色の髪に、翡翠色の瞳をしていたが、彼のその髪や瞳は特に色が濃かった。

 琥珀色の身体こそ、身体を動かすことがあまり好きではなかったから、どちらかといえば薄く、華奢で筋肉もほとんどついてはいなかった。

 しかし肩甲骨は、まるで尾てい骨のように大きく膨らんでおり、かつてランスの民には背に翼があったのではないか、そう思えるほどだった。


 竜騎士見習いといっても、彼は竜騎士となるための修行はほとんどしたことがなかった。

 その肩書きは彼のためではなく、あくまで両親や祖父母、兄たち、それから家自体の世間体のために、彼に用意されたものに過ぎなかった。


 彼は、生まれ育った家の自室で読書をして日々を過ごし、家を出るのは月に一度か二度、街の大きな劇場へ足を運ぶときだけだった。



 ランスは世界で唯一、竜騎士団を有する国家であり、隣接するふたつの国家は「魔法のエウロペ、竜騎士のランス」と呼ばれていた。


 ふたつの国には、


「エウロペに危機あればランスが駆けつけ、ランスに危機あればエウロペが助ける」


 という、同盟関係が1000年以上前から結ばれていた。


 その言葉は、エウロペが危機の際にはランスの竜騎士団が駆けつけ前線で戦うが、ランスの危機の際にはエウロペの魔法使いは、あくまでランスの竜騎士の後方支援にとどまる、というものであった。


 実際の戦場において、二国が有する主要部隊である竜騎士と魔法使いという兵種の違いを考えれば、確かにそれはもっともなことではあったのだが、国家の同盟の言葉としては疑問符しか浮かばない。

 ニーズヘッグは幼い頃からそんな風に感じていた。


 ランスの竜騎士はエウロペのために死ななければならないこともあるが、エウロペの魔法使いはランスのために死ぬことはない。

 そう言っているようにしか聞こえなかった。


 対等な同盟ではない。

 そう思っていた。



 事実、その同盟があったがゆえに、百数十年前、ランスはエウロペと共に世界中を巻き込む戦争を引き起こしてしまった。


 その理由は、エウロペの魔法文明の急激な発展によって問題視されはじめたエーテルの枯渇であった。



 エーテルとは、大気中に存在し、人が精霊の力を借りて魔法を使う際に、魔力の源となる魔素だった。


 ランスにとって、魔法は生活に必要なものではあったが、魔法で生計を立てる者は皆無といっていいほどにいなかった。


 ランスには火の精霊が棲む山があり、民は精霊に等しく愛され、生活に最も必要な火は、必要最低限な程度であれば、エーテルを触媒とせずとも手のひらから起こすことができた。


 竜騎士団の他に、「竜宮挺(りゅうぐうてい)」と呼ばれる、エウロペが開発した「飛空艇」に勝るとも劣らない推進力を誇る、天駆ける乗り物も存在していた。


 飛空艇は風の精霊の力と大量のエーテルを推進力とするが、竜宮艇は全長100メートルを超える巨大な竜の背中に、竜の許しを得て竜宮と呼ばれる必要最低限の居住可能な施設を作ったものであり、竜の翼によって天を駆ける。

 飛空挺も竜宮挺も、普段は航空手段であり、有事の際には航空母艦となる。

 しかし、ふたつは似ているようで全く異なるものであった。

 ランスのそれは竜そのものであり、精霊の力もエーテルも必要としなかった。


 だからランスにとって、エーテルの枯渇はエウロペの自業自得に過ぎず、あまり関係がないことであった。


 しかし、魔法大国であるエウロペにとっては国家自体の行く末や存亡に関わる「危機」であった。



 そのためエウロペはそれを自国の危機として、ランスに助力を求めた。

 同盟関係にあったがために、その問題を解決するため、ふたつの国家は世界中のエーテルを「エウロペの手中におさめるべく」、戦争を起こした。

 その結果として、いくつかの国が滅び、当時の竜騎士団からは多数の戦死者が出た。エウロペの魔法使いの何倍もの数の竜騎士が死んだ。

 そして、戦争によってエーテルの枯渇はより深刻化しただけだった。



 ニーズヘッグが生まれたファフニール家は、1000年以上続く竜騎士の家系であり、竜騎士団長を務める「聖竜騎士」を何人も輩出した名家中の名家であった。


 彼には兄が四人いた。

 長男ヴィーヴル、次男ウェールズ、三男ウシュムガル、四男ガルグイユ。

 彼らはファフニール家に生まれたからではなく、その実力を現・聖竜騎士であるジルニトラ・リムドブルムに認められ、それぞれが部隊長を務め、「黙示録の四竜騎士」と呼ばれていた。


 四人の兄は皆、


「俺がお前の年の頃にはもう部隊長になっていたぞ」


 と口酸っぱく、耳にタコができるほど言った。


「兄さんたちとぼくは生まれもった才能が違うんだよ」


 ニーズヘッグはその度にそう答えた。


 彼は人と争うことがあまり好きではなかった。

 読書が好きで、小説や詩、演劇や戯曲を好んだ。哲学にも興味があった。


「そんなことはない。お前なら俺たちを簡単に超えられる。俺たちを部隊長とする竜騎士団を率いる聖竜騎士にもなれるはずだ」


 兄たちの言う通り、竜騎士が武器として主に扱う槍の扱いに関しては、ニーズヘッグは天賦の才能を持っていた。

 幼い頃に基礎を学んだだけで、それ以降修行らしい修行をせずとも、一回りも年上の一番上の兄をはじめ、他の兄たちにも、一度も負けたことがなかった。

 木製の槍を使った試合でも、実戦で使う金属の槍を使った試合でも結果は同じだった。

 兄たちが攻撃を繰り出す前の手足の動きで、どこを狙われているのかがわかった。

 兄たちの槍技を、一度見ただけで兄たち以上の完成度で繰り出すことができた。


 しかし、彼には、兄たちとは違って、竜騎士には絶対になれない決定的な身体的欠陥があった。



 乗り物に酔いやすかったのだ。



 船はもちろん馬車でさえも気持ちが悪くなり、馬に乗ることもできなかった。


 竜宮艇や、竜騎士がドラゴンにまたがり空を駆けるのを見るだけで、自分がそれに乗ったりまたがって空を飛ぶのを想像しては、吐き気を催すほどだった。



 数年前、父が医療大国ゲルマーニから呼んだ医師からは、


「ゲルマーニの医療史上最も、そして世界一、乗り物に酔いやすい体質」


 彼はそう診断されていた。




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