第31話 ランスの竜騎士 ②
ニーズヘッグと名乗った竜騎士は、
「彼が教えてくれたんだ。
エウロペで不穏な動きをしている者がいるって。
時の精霊が君たちにぼくたちのことを教えたように、ドラゴンである彼にもぼくたちにはわからないようなことがわかるみたいなんだよね。
異世界からの来訪者、つまりはレンジくんと、ふたりの魔人の巫女、ステラちゃんのピノアちゃんが、ダークマターの真相に近づきつつあるって。
だから、君たちの力になりたいなって思って来たんだ」
苦笑しながらそう言うと、ドラゴンは魔物よりも精霊に近い存在であり、ダークマターの影響を受けないことを教えてくれた。
ドラゴンは精霊と同じようにはじめからドラゴンであり、エーテルによって動物が進化したわけではないそうだ。そのためダークマターによって混沌化し、カオスになることはなく、ドラゴンはドラゴンであり続けるのだという。
しかし、人や魔人よりはるかに五感が優れているために、ケツァルコアトルはこの100年あまりずっとダークマターを不快に感じているらしかった。
「彼のためにも、アルマのためにも、それからぼくやぼくが生まれた国やこの世界のためにも、君たちと共に戦わせてほしい」
「あなたが、ランスの竜騎士である証拠はあるのかしら?」
ステラが尋ねた。
「うーん……ドラゴンがその背にまたがるのを許すのは、ランスの民でないといけなくて、他にもいろいろと条件があるんだけど……それじゃ証拠にはならないよね?」
「ならないわね。ランスの竜騎士なら、竜騎士団での階級を示すものを持ってるはずよ。あなたはそれを示す鎧や兜や盾も、槍すら持っていない」
ニーズヘッグは困った顔をして、それから小さな声で、
「実はアルマとぼくは駆け落ちしてきたんだ」
と言った。
「だから、さっきランスの竜騎士って名乗ったけど、ぼくは竜騎士ではあるけれど、ランスの竜騎士団には所属してないんだよね。
ぼくは人と争うことが好きじゃなくて、趣味は読書や演劇を観ることなんだ。
ケツァルコアトルの背にまたがるための竜騎士の契約は何年も前にすませてたんだけど、竜騎士団に入って戦争の道具にされるがいやだったんだ。
……でも、困ったな。竜騎士団に所属していない竜騎士なんてぼくだけだろうしなぁ……
本当に、証拠を示せる物が何もないや」
そんな彼をアルマはあたたかい目で見守っていた。
その目はステラがレンジに向けてくれる目によく似ていた。
「ピノア・カーバンクルと言ったな?」
そして、ケツァルコアトルは、
「汝がオロバスちゃんと呼ぶ、時の精霊に聞いてみるがいい。
汝らの祖国で、今無数の命がヒト型のカオスに蹂躙されているはずだからな」
そこにいる彼以外の誰もが絶句することを言った。
「急がねば国が滅ぶぞ。
エウロペなどという国が滅ぶのは構わぬが、カオスは好かぬ。
罪もない命が奪われるのは、我も心が痛む」
レンジはピノアを見た。ステラもまた彼女を見ていた。
ピノアの表情が曇るのを見て、言葉を待つまでもないとふたりは悟った。
「ケツァルコアトル……」
ピノアは彼の名を今度こそちゃんと呼ぶと、
「先ほどの非礼をお詫びします。
お願いします。わたしたちをエウロペまで運んでください」
彼に対して深く頭を下げた。
「オロバスちゃんがなぜそなたを可愛がるのかわかった気がする」
ケツァルコアトルはそう言うと、レンジたちに、乗れ、と言った。
彼が翼を広げ、空を舞い始めると、
「ケツアゴちゃんならすぐエウロペにつけると思うけど、今は一分一秒でも時間が惜しいから、わたしたち以外の時を止めるね。数分なら止めてもいいって言われてるから」
ピノアはそう言って、時を止めた。
三度ケツアゴちゃんと呼ばれたケツァルコアトルは、きっとピノアを気に入ったのだろう、もう何も言わなかった。
「あ、ケツアゴちゃんが、オロバスちゃんのこと、オロバスちゃんって呼んだこと告げ口しといたから」
ピノアがそう言っても、嬉しそうに笑っていた。
そして、ケツァルコアトルはその背から、ニーズヘッグの前に鎧や兜や盾、そして槍を、まるで自分の身体から作り出すように出して見せた。
「ケツァルコアトル? これは?」
「武器や鎧がなければ、さすがの汝も戦えまい。
それらは、我の鱗や皮膚、それから血肉を使って作ったものだ。
他のドラゴンにはこのような物は生み出せない。我だけだ。
そして、我が選んだ汝にしかそれらを扱うこともできないだろうな」
ニーズヘッグは、ありがとう、と言って、それらを身にまといはじめた。
「ニーズヘッグよ、エウロペに着けば、そこはもう戦場だ。
我は汝らをエウロペに送り届けた後、途中で見かけた町に一度戻らせてもらう。アルマを巻き込みたくはないだろう?」
不意に名前を呼ばれたアルマは、そんな必要はないというように首を横に振っていたが、
「アルマ、ごめん。今はケツァルコアトルの言う通りにして」
彼にそう言われると、わかった、とうなづいた。
「汝が争いを好まぬのはわかっているが、敵は人ではなくカオスだ。わかっているな?」
「わかってる。カオスになってしまった以上、いくら以前は知性があり人と共存が可能な魔物だったとしても、もうどうにもならない。手を抜くつもりはないよ」
「汝が4人の兄たちと槍で試合をしているのを遠くから眺めていたことがあるが、あのとき汝は相当手を抜いていたな。それなのにあの4人のうちの誰も汝に槍を当てるどころか、かすることさえできてはいなかった」
「さすがだね。正直、どこまで手を抜けばいいのかすらわからないくらい、兄さんたちは弱かった。
現在の竜騎士団はランスの歴史上最強だと言われているのに。
けど、竜騎士団の部隊長を務めている兄さんたちが、まともに修行すらせず本ばかり読んでいるような弟のために自信を失ってしまうのは、ランスのためにならないと思ったから、抜けるだけ手を抜いた。それでも槍を当ててくれなかった」
「兄たちは手を抜かれていることに気づいていたぞ」
「だろうね」
「だが、汝が思っているほど、あの者たちの心は弱くない。
手を抜かれていることに気づきながらも、汝の意図を汲み取り、切磋琢磨していた。
あの者たちが汝を超えることは永遠にないが、竜騎士団はあの者たちにまかせておけばよい」
「そうだね……ぼくはぼくにしかできないことがあるみたいだからね」
「アルマを町まで送ったら我もすぐに戻る。
異世界からの来訪者はともかく、ふたりの巫女は相当の魔法の使い手だ。
我が戻るまで、四人でなんとかやれるな?」
竜騎士ニーズヘッグ・ファフニールは、
「やれるよ。ぼくは君に選ばれた竜騎士だからね」
城下町を真下に見下ろしながら槍を構え、ケツァルコアトルの背から飛び降りた。
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