第28話 VS九尾の狐 その3
日曜日の夕方。場所は山中。
これから長い長い石畳の階段を昇り、私の向かう先は広大な敷地を誇る――朽ちた神社だ。
階段を昇り切ったところからは九尾の勢力圏内で、奴の眷属の支配地となっている。
私は白装束に身を包み、備前長船を帯刀し――ありったけの札を懐に潜ませて溜息をついた。
「輝夜ちゃん。残念な結果になっちゃったけれど……これは私からの餞別よ」
お姉さまはそう言って、私に錠剤の詰まった瓶を渡してきた。
「生きたまま食われたり拷問を受けたり、犯されたり……大変な事になるわ。これはコカインの錠剤よ。生贄は自死は禁止されているけれど、ささやかな抵抗と苦痛を和らげることまでは禁止はされていないから」
私は瓶を受け取り、そして無言で石畳へと投げ捨てた。
「輝夜……ちゃん?」
「さえずらないで頂戴な。良い人であろうとしないで頂戴な。先に姉妹の縁を切ってきたのはお姉さま……いや、咲夜さんですよね。最後の最後で――妹を気遣った免罪符のつもりですか? ヘドが出ます」
そこで咲夜さんは私が顔面へと向けて吐き出した唾を避けながら、フフっと笑った。
姉妹だけあって、その表情は恐ろしいほどに私によく似ている。
「本当に姉妹ね。良く似ているわ。私も輝夜ちゃんに同じことをされたら同じことをしているでしょうから」
「私をハメた理由は?」
こらえきれないとばかりに咲夜さんは醜悪な笑みを浮かべる。
「私よりも貴方の方が優秀だからよ。遺産で揉めるのは嫌なのよね」
あまりにもくだらない理由に私は開いた口が塞がらない。
すがるような気持ちで私は咲夜さんの隣に立つヒゲ面の男――お父様に視線を向けた。
「お父様? 今回の顛末は私がハメられたことまで含めてご存じで?」
お父様はゆっくりと頷いた。
「政治力も含めての生贄選定の儀だ。今回、お前は従妹の結衣にハメられた……ただそれだけだ」
「とはいえこれは脱法ギリギリ……いえ、厳密に言えばルール違反です。そして、結衣さんは本家の更に上の組織の跡取り息子と婚姻も決まっています。要は――そういうことなんですよね?」
「……」
今回の選定の儀の審査委員長はお父様だ。
そして、通常であれば、あれほどのあからさまな方法には流石にストップがかかる。
が、今回はそれは起きなかった。
政治力の勝負と言われればそれまでかもしれない。いや……そこまでを含めての政治力という事なら私の完敗だろう。
深い、深い――溜息。
「17年間お世話になりました。お父様」
「運が悪かったな。輝夜」
「ええ、本当に」
無性にお父様に平手打ちをしたい感情が押し寄せてきたが、それは辞めておいた。
そうして私は長い長い石畳の階段を昇り始めた。
道中、私は懐から携帯電話を取り出した。
そして、しばし立ち止まって森下君にメールを打ち始める。
『短い間だけど楽しかったわ。もしも生まれ変わってまた出会えたら、次はただのメル友じゃなくて貴方の友達にしてくれると嬉しいわ。ありがとう。そして――さようなら』
メールを打ちながら涙が出てきた。
送信すると同時、そのまま私は携帯電話を投げ捨てて、足の裏で思い切りに踏みつけた。
粉砕された精密機械の欠片が飛び散って、これで外界と私をつなげる全てが消え去った事になる。
階段を昇り切ったところで朽ちた神社が見えた。
それと同時に、境内に土蜘蛛の姿が2匹。
とりあえず、九尾はあの土蜘蛛2匹で私を無力化させ、その後は散々に嬲りつくすつもりなのだろう。
森下君のおかげで実力の底上げを行ったとはいえ、今の私ではせいぜいが土蜘蛛1体程度しか相手にはできない。
2匹同時で来られると、その時点で……おおよそ2分以内で私は終わりだ。
――だが、タダでやられるつもりはない。
土蜘蛛を睨みつけ、腰から刀を引き抜き、そして私は鳥居の脇に立っている金髪の少女に声をかけた。
「どうしてこんなところに? レーラ=サカグチ?」
槍――フェイク・ロンギヌスを手に持った少女。
いつもどおりのやけに露出度の高いスカート付きのビキニアーマー。
そして、魔装天使の象徴である純白の翼。
レーラ=サカグチは肩をすくめた。
「世界中の化け物をぶち殺す。それが私の使命よ」
「雑魚ばかりを追い掛け回して、九尾みたいな本当の大物は見なかったことにするのに?」
「流石に九尾相手には私も付き合いきれないわ。ただし、土蜘蛛程度までなら……やぶさかではない」
「って言っても、貴方にとっても土蜘蛛はギリギリの相手でしょうに。前回負けたって聞いたわよ」
「――借りを返さないまま勝手に死なれても困るのよ」
「……借り?」
「森下大樹の誕生日よ。恥をかかずにすんだわ」
呆れたとばかりに私は微笑を浮かべた。
そんなことでこの女は命を張ることができるらしい。
いや、それほどまでの自己の尊厳に対する譲れぬプライドがあるからこその――魔装天使:ドミニオンズか。
「後、余計なお節介かもしらないけれど、森下大樹にも事情は伝えたわよ。彼にどこまでできるか分からないけど、私は私が危なくならない限りは――彼が来るまではアンタのフォローするから。逆に言うと危なくなった瞬間にトンズラかますからね? まあ、これは私が定めた私の法理の決定事項よ。あの世にまでは借りは返しに行けないからね」
ズキンと私の胸が痛む。
「……彼は何と?」
「ここに来る直前にメールを送って、すぐに電波が圏外になったから返信はないわね」
私達の住んでいる町からここまでは2百キロ以上も離れている。
どの道、私が食われるまでに彼がここに到着することはありえない。
眼前30メートル。
私は土蜘蛛を睨みつけると、土の中から魑魅魍魎の類が数十体湧き出てきた。
そして、レーラ=サカグチが私の背後に回った。
互いが互いの背中を守りあう形となる。
戦場以外でも、戦場でも、常にレーラ=サカグチはウザイ邪魔者以外の何物でもなかった。
けれど、これほど背中を預けて頼りがいのある者も中々にいないだろう。
ぶっちゃけ、私をハメた巫女4名全員を併せた戦力よりも……下手すれば強い。
流石はヴァチカンの特務部隊と言ったところだ。
「まさか、東方の巫女と共闘することになるなんて……夢にも思わなかったわ」
私はクスリと笑いながら、背後のレーラ=サカグチに言った。
「それはこっちのセリフよ」
さて、と私とレーラ=サカグチは周囲の魑魅魍魎を睨みつけた。
「――始めましょうか、妖怪退治」
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