第5話 調教されてみました
「しばらくしたら現れるだろう」
そう思っていたが、あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。
一人で退屈だから長い時間が経ったように感じるだけなのかも知れないが。
緊張しているせいか、眠気などは起きない。
特に空腹も感じないのだから、それほど時間は経っていないのかも知れない。
何も食べてないためか、排泄する気分でもない。…それは助かる。
まさか『調教』として飢えるほどの空腹感を味わわせるつもりなんじゃないだろうな。それは嫌だな。
あーあ…。
以前は美味いもん色々食ってたんだけどな。
寿司食いたいな。生魚食いたい。
そう思うと腹が減ってきたかも知れない。
そんなことを考えていた頃。
「待たせたな」
背後から声が聞こえた。
振り向くと例の女が立っていた。扉が開く気配はなかった。いつの間にここにいたのだろう。
しかしそれよりも僕が驚いたのは、女が抱えていたものだった。
なにそれ。
女の身体よりも数倍は大きい、巨大な…魚?
分からない。尾びれがあって表面にウロコがあるから魚っぽいが…。深海魚だろうか。そのグロテスクな形状は並みの魚とは思えない。まず大きすぎるだろう。女の身体と比較するとクジラくらいあるんじゃないか。
女はその尾びれの先をつかんでいる。
「食え。餌だ」
そう言うと、女はその深海魚もどきを僕の方に放り投げた。
そう言われましても。
生魚食いたいとは思いましたけど、その魚の姿のままですかね。ちょっと大きすぎやしませんかね。というか未調理?
しぶしぶ両手で持ってみると、それほどの大きさではない。
この自分の図体がでかすぎるんだ…。
魚を顔に近づけてみる。特に生臭いとは思わない。新鮮なのだろう。
いや、なんか動いてる。まだ生きてるんだな。
不思議と食欲がわいてきた。
そうだな。僕のような日本人なら魚の踊り食いなんて普通に食えるものだし。多分これ美味い。
「いただきます」
口の中に入れてみる。食感が今までと違う。口の中で魚が溶けている。口の中のこの緑のドロドロは多分消化液なんだ。これで溶かして食うんだな?
ああ、でも消化液で溶けていく魚を噛むと何とも言えない旨味があって。これは珍味だ。
全部胃の中に入ってしまった。
胃は、あるんだよな?知らんけど。
「ごちそうさま」
ご飯を食べるとなんだか落ち着くな。図らずも刺身みたいなものを食べられたわけだし。
僕が食べ終わった姿を見届けて女が言う。
「すまない。もっと早く来るつもりだったが、急に忙しくなっていたもので」
「いえいえ」
やっぱり結構時間が経っていたようだ。
「では調教を始めるか」
お。何をするのかな。基本的に調教と言うのは鞭などを使って動物をしつけることだ。
従えば褒美を。逆らえば罰を。それを身体に教え込む。
今は、痛いめに合わないうちに従うフリをしよう。
誰にも支配されない自由業で生きていた僕だが、必要に応じていくらでもへりくだることは出来る。弁護士は所詮サービス業だから、クライアントの機嫌を取るなんてお手のもの。
今はあの女の好きにさせておこう。
女は僕を見つめながら何か考え込んでいる。どうもあの金色の瞳に見つめられると落ち着かないんだよな。
「おまえ、随分おとなしいな。普通の調教は私を襲ってくるヤツを痛めつけるところから始めるんだが」
「いえいえ、嫌がる女性を無理やりどうこうするような趣味はありませんよ」
相変わらず僕の言葉は『ぷしゅるるる』だけど、ちゃんと通じている。
「では、とりあえず私の前に跪いてみろ」
はいはい。
この身体でどうやって跪いたものか分からないけど、とりあえず足の関節を折りたたんで姿勢を低くして頭を下げればいいですかね。動物の服従ポーズみたいに。
プライド? バカバカしい。そんなものどうでもいい。
今は相手の信頼を得る。そして油断させる。
「素直だな」
「どういたしまして。次はどうします?」
「では私の手に、おまえの手をのせてみろ」
『お手』みたいなものだろうか。しかしこれは意外に難しい。このでかい図体で迂闊に乱暴に動いたら女を傷つけてしまうかも知れない。反抗とみなされても困る。
僕は慎重に、とても慎重に腕を動かし、爪の先をそっと女の手のひらに重ねてみた。
女の手はまるで彫像のようにビクともしない。ほんの少しの揺らぎもなかった。
薄々気が付いていたが、この女、見た目と違って恐ろしく強いのかも。
か細い女にしか見えないんだけど…。
女は僕の姿を変えた。同じように女もまた本当の姿は別にあるのかも知れない。美女だと思ったら痛い目に遭う危険性が高い。
その後「その場で三遍回ってみろ」とか「ジャンプしてみろ」とか色々注文をつけられ、全部従ってみせた。ジャンプしたときには天井に頭をぶつけたが幸い痛みはなかった。
「やっぱり調教の必要はないな…」
そうでしょうそうでしょう。
「私の命令に従うか?」
「従います。何なりと」
まだ女は納得していない様子だったが、一瞬の瞬きの間に、女は牢の扉の向こう側にいた。いつの間に…。
「今日の調教は終わりだ。また来る」
そう言って女は去ろうと背を向けた。
「ま、まって!!」
僕は叫んでいた。相変わらず声にならない声で。
ここで行かれてしまったら、僕はまたずっとこの姿のままじゃないか。しかもこの牢屋に入れられたまま。
「なんだ?」
女は返事をした。良かった聞く耳はある。
「あなたは、前にやったみたいに僕の姿を戻せるんですよね!?」
「変えることは出来る」
「もう一度お願いします」
「必要ない」
女は抑揚のない声で言い捨てた。
「必要ねえ…。あなたは僕に何をお求めなんですか?」
「戦争の際の戦力になってもらう」
「戦争!?」
この世界は戦争をしているのか? 戦争の武器として怪物を作ったってこと?
僕はひょっとして生物兵器?
あんまりそういうの興味ないんですけど。僕の武器はもっぱら法律で、弁論で、書面で。
つまり頭脳労働担当なんですが。
「敵を攻撃する際には、その力を存分に振るってもらおう。しかし今はその必要はない。姿を変える必要もないだろう」
困る。それは困る。
戦争のときに駆り出されるためにここに閉じ込められ続けるのは困る。しかもこんな化け物の姿のままでなんて。
何か『必要』を作らなくては…!
「必要ならありますよ」
僕は出来るだけ静かな声でそう言った。落ち着いて聞こえるように。自信があるように。
聞こえる声は「ぷしゅるるる」かも知れないが、女にはちゃんと聞こえているはずだ。
大丈夫、ここ一番の勝負、僕は強い…。
「あなたは今、深い悩みを抱えていますね」
女が微かに反応した。僕は続けた。
「あなたは抱えている悩みを誰にも相談することも出来ず、とても苦しんでいる」
「なぜそう言える?」
女は問いかけた。
正直言えばハッタリだ。
だがこれは効果的な手。詐欺師が人を騙すときに使う手口。誰だって悩みはある。そして自分では「苦しみは深くで大きい、誰も分かってくれない」と思っている。それに共感し理解しているフリをすることで、心に入り込むことが出来る。
事実、女は関心を示している。
「不思議だと思いませんか? あなたは僕に『知性が備わっている』と言った。生まれたばかりの僕が。けれど僕に備わっているのは『知性』だけじゃないんですよ」
女が以前言っていたことを繰り返した上で、僕は適当なことを喋っているだけなんだけど。
本当は自信も確信もあるわけじゃない。
けれどここで『自信ある態度』を見せなければ。女にとって『必要』なものになるために。
「僕は、ここでは生まれたばかりだけど、前世の知識がある。ここではない別の世界の記憶が。そこでの経験が丸ごと知識として備わっている」
「前世の知識? そんなものが…」
まあ僕も全然信じてないんですけどね。
「信じるかどうかはご自由に。けれど僕の話を聞けば答えは出ると思いますけどね」
我ながらハッタリ野郎だと思うけど、こうやって僕はうまいこと金を稼いできた。
伊達に金儲けが得意だったわけじゃないんですよ。慣れてる。
「僕はあなたの悩みの力になることが出来る。あとはあなた次第」
「私の悩みを知っているのか?」
知るわけない。けどここは敢えて回答をぼかす。
「僕は、前世では問題解決の専門家だったんです」
嘘ではない。
「どうすればいい?」
よし!!かかった!!あとはうまく回収するだけ。ここで焦ってはいけない。
「僕を戦争に投入するよりも、良い使い方があるんですよ」
じらしながら誘いをかける。餌に食いつかせるために。
「言ってみろ」
「僕を、顧問弁護士として使うんです」
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