第85話「鎧の中の魔王」

 アーメットをかぶって頭全体を隠している彼は、まだ廊下の奥で肩身を狭めながら、メレアの様子を窺っていた。

 アイズと違って背がすらりと高いが、あれはあれで仕草だけを見ると小動物のようである。

 メレアはどうしたものかと思案して、窓辺に足を掛けたまま数秒固まった。

 と、意外にも、そこで一番最初に行動を起こしたのはアイズだった。


「あ、シラ、ちゃん」


 アイズはメレアの視線を追うように後方を振り返って、その廊下の奥で頭を出している彼に気がついた。

 さらにアイズは、そんな彼を見てすぐに言葉を紡ぐ。

 その自然な声掛けには、街中で友人にあったときに声を掛けるときのような、ある種の親しみが表れていた。

 どうやら二人の間には自分以上の絆が存在するようだ、と、メレアはその時点で察知した。


「知り合い? ――いやいまさら知り合いだなんていうのもあれだって俺もわかってるんだけどさ」

「うん。何度も、守ってもらったの」


 戦いのときの話だろう。

 たしかに今思い返してみれば、あの目立つ全身鎧をアイズの傍で何度か見かけた覚えがある。

 どちらかといえば攻撃に傾いていた自分たちとは違って、彼は積極的に『盾』になろうとしていた魔王だったかもしれない。


「というか……、ちゃん?」

「そう、だよ? シラちゃんは、女の子、だよ?」

「……」


 メレアは頭を抱えながら、心の中で自分を叱咤した。

 今までずっと『彼』と呼んでいた。

 素肌や素顔を見せないからしかたないだろうと言い訳したくもなるが、いやしかし間違っていたのは自分だ。


 ――あれ、でも今まで何度か実際に『彼』って呼んじゃったよな……。


 ついでに言えば、男だとみなして、サルマーンと軽口を言い合うノリで言葉を投げかけてしまったこともないわけではない。


 ――むしろあるわぁ……。


 メレアはそんなことを思い出すと同時、おもむろに『彼女』の方を振り向いてつま先をそろえ、ゆっくりと膝を曲げていった。

 アイズと彼女はそれを見ながら首をかしげていたが、しばらくしてようやくメレアの行動が土下座に直結するものだと気づいて、


「っ……!」


 アイズが止めるより先に、廊下の向こうから彼女ががちゃがちゃと鎧を鳴らしながら駆けて来た。

 すさまじい威圧感だ。


「ず、ずっと、男だと……! 俺はなんて浅はかなことを……! このままだといずれ天海にいったときに女英霊たちにボコられる……!」


 やがてメレアの傍にまで駆け寄ってきた彼女は、半泣きで跪こうとするメレアの肩を支えて、大きく首を振った。

 アーメットがその動きに応じて首元の鎧との接合部分をこすり、また音をたてる。


「ゆ、許してくれ……」


 メレアはどうやら今までの行いを猛省しているようだった。

 すると、


「べ、べつに、いいから」


 兜の向こう側から、こもった声が返ってきていた。

 たしかにそれは、女の声だった。

 こもっていてもそれが美しい音色であることを確信できるほど、涼やかに澄んだ声だ。


「わたしが、ずっと、脱がなかったのが、悪いの」


 短く音節を区切る彼女の話し方は、どことなくアイズに似ていた。

 そうしてメレアは、謎の全身鎧に肩を支えられながら、さらにそのアーメットと見つめ合うというかなり奇天烈な状況に身を委ねつつ、今度は彼女の方に次の動きがあることに気づいて、黙ってその動作の完了を待った。

 彼女は、兜を脱ごうとしていた。


「いつまでもこれじゃ、みんなにも、悪いから」


 素っ気ない言葉遣いにも聞こえるが、メレアは素っ気ないというより口下手という印象を受けた。

 そんなことを思っているうちに、目の前の彼女がついに兜を脱ぎ去る。

 分厚い銀のアーメットの下から現れたのは――


「――」


 まさしく、女性だった。

 見紛うはずがない。

 それくらい、綺麗だった。


「あ、あんまりまっすぐ、見ないで」


 彼女はメレアの視線を恥ずかしがるように、瞳を斜め下にそらしていた。


「――」


 まだメレアは声が出なかった。

 彼女の健康的な褐色の肌に、思わず見とれた。

 そんな肌と強いコントラストを醸すつやのある桜色の髪から、視線がなかなか外れなかった。

 そしてなにより、その頭の頭頂近くにあって、恥ずかしさを表すようにぴくぴくと動いている『猫のような耳』を見て――ついには完全に固まった。


「……ね、猫耳……?」


 ぽつりとメレアの口からこぼれた出た言葉に、彼女はまた頬を赤らめた。

 すらりと伸びた麗人らしい体躯からは考えられないほど、彼女は恥ずかしがり屋のようだった。


◆◆◆


「こ、これは……」


 右に、左に、視線を泳がせておろおろとする彼女。

 すると、そんな彼女に救いの手を伸ばすように、隣で様子を窺っていたアイズが声をあげていた。


「シラちゃんは――そういう、一族なの」


 アイズの声を受けて、メレアは直後に得心した。

 一族、という言い方は、おそらくアイズの気遣いだろう。

 気遣いなく言えば――


「そういう……魔王なの」


 そう言ったのはアイズではなく彼女自身だった。

 まだ視線は斜め下に落としているが、口調はハッキリとしていた。


「なる……ほど」


 理解する。

 そして、似たようなタイプが自分の親たる英霊たちの中にもいたことを思い出して、さらに深く納得した。


 ――〈竜神カレル=ヌーサ〉と同タイプか。


 人間以上のなにかになろうとした者たち。


 自分もそんな者たちの影響を、実は受けている。

 自分が竜語を紡げるようになった根本の要因は、急速な進化の因子たる〈竜神の進因〉があるからで、それによる生態器官の変化が起こったからだ。


 〈竜神カレル〉は、およそ憧れのみで竜になろうとしたとてつもない馬鹿であったが、一方でそのたぐいまれな才能が結果的に竜の本質的な特性、その生態的な進化の因子を抽出することにもなった。


 ――馬鹿で、かつ、ひたすらにまっすぐな英雄だったな。


 メレアは〈竜神〉が英雄であったことを疑わない。彼が竜に憧れるにも理由があった。

 しかし一方で、彼がいろいろな意味で馬鹿であったことも疑わない。

 天才と馬鹿は紙一重、という言葉を、彼は地で行った。

 ほかの英霊たちは、〈竜神〉の話を聞いて、よく、『馬鹿に圧倒的な才能と底抜けの正義感を与えるとこうなる』と腹を抱えて笑っていたものだ。


 ともあれ、そういう話を踏まえると、ほかにも、人間以外の生物の能力を身体に宿そうとした者がいてもおかしくはないと思えてくる。


 ――彼女は……


「俺と、同じだな」


 通ずるところはある。

 彼女の先祖は、何になろうとしたのだろうか。

 

 まだ、わからないことだらけだった。

 されど、そんなメレアにも、この時点で予想できることが少しだけあった。


 メレアは改めて彼女を観察する。


 外の視線から隠れるようにかぶった分厚い兜。

 同じく全身を隙間なく覆う金属の鎧。

 人の視線をおそれるように目をそらす仕草。


 奇矯ききょうとすら断言できてしまう様相の一つ一つに、実は大きなものが隠れている。

 きっと、彼女は、『それ』ゆえに苦しんできた。


 どうしようもない、魔王の血のもとに生まれたがゆえに。

 

「でも、俺のよりずっと――」


 ふと、メレアの口から衝動的に言葉がもれていた。

 それは打算なく、ただストレートな感情に基づいて紡がれた言葉だった。

 改めて彼女の様子を観察して、同じく胸に抱いた言葉だ。


「かわいいな、その耳」


 メレアはふと笑って、彼女の頭に生えている獣の耳に触れていた。

 艶のある桜色の髪と同じ色をしているが、質感は少し違う。

 ふわふわとしていて、肌触りが良い。


「えっ?」


 彼女はメレアの行動に驚いているようだった。


「あっ、ちょ、ちょっと、くすぐったい、かも……」

「うあっ! すまん! つい! ……いやまて、他意はないんだ! そんなに顔を赤らめられるとなんか俺がいけないことをしたような感じにっ!」


 隣でアイズが後ろを向いて笑っていることに、メレアも気づいていた。

 

 ――意外としたたかだ、アイズ。


 よほど自分が慌てふためいているのがおもしろかったのだろうか。

 

 メレアはそんなアイズを横目に、しかしすぐに彼女の方に視線を戻した。

 気を取り直して、言葉を紡ぐ。


「その耳を見せたくないからいつも鎧を?」

「う、うん……」


 彼女はうつむき気味に、さらに自嘲するような笑みを美貌に浮かべ、答えた。


「そっか……。大変だったね」


 メレアは決して「そんなことで」とは言わなかった。

 その苦しみは、その人間にしかわからない。

 だから、多くを紡がなかった。


 ――でも、


「なんかあったら、俺のとこにおいでよ」

「え?」

「俺、みんなの話に興味があるから、なんか『話したいこと』があったら、俺のところに来てよ」


 だからといって、それをわかろうとする気概まで捨てているつもりもなかった。

 

「……っ」

「あ、あれっ!? 俺なんか言っちゃった!?」


 メレアの言葉を受けた彼女は、ついにメレアの眼を見た。

 優しげな光の灯った赤い瞳が映る。

 彼女はそれを見ながら、凍ったように動きを止め、しかし、不意に目を潤ませた。

 その様子を見たメレアはあたふたとしてアイズに助けを求めたが、アイズはまた笑っているだけだった。


「あ、ありが、とう」

「お、おう、俺一応みんなの主だしな!」


 「こういうときだけ、逃げ道に、使うね?」と、アイズから軽口が飛んでくる。


「誰だっ! アイズの軽口の才能を発掘したやつは! ……だいたい俺たちか」

「あと、マリーザさんと、シャウくん?」

「ていうかほかの魔王の大部分がその出自のせいかひねくれた言い方をするからな……」


 とはいえ、アイズのそれはシャウたちのそれほど迫真ぶってはいない。

 子どもが役者の演技を真似するような、愛嬌のあるわざとらしさがあった。


「あ、あの」

「ん?」


 そうやってアイズと言葉を交わしていると、ついに目の前の『彼女』が言葉を切り出した。

 彼女はきらきらと蝋燭の光を受けて輝く桜色の髪を揺らし、再びメレアの眼を見ながら言った。


「シラディス。わたし、〈シラディス〉って、言うの」

「おお、そういえば名前聞いたことなかったね。今思うとそれもすごいけど……」


 我ながらおかしな集団に、と短く繋いで、しかしメレアもすぐに本題に戻る。

 赤い瞳に楽しげな色を灯し、続けた。


「俺、メレア。メレア=メア」

「うん、知ってる、メレア」

「よし、じゃあ――いやシラちゃんって呼ぶとマリーザあたりがちらちら『わたくしも』とかうるさそうだから、シラディスって呼ぼうか」

「うん、それで、いいよ」


 シラディスはそう言って立ち上がった。

 背はメレアよりも高かった。

 本当に、言われなければ男だと思ってしまいそうなほどの背の高さだ。

 しかし、その首元、兜を脱いだおかげで少し見えるようになったシラディスの身体には、男の武骨さは映っていなかった。

 全身鎧のせいでやたらと大きく見えるが、彼女の身体そのものはすらりと伸びて女らしいしなやかさを呈している。

 そんな身体でこの重そうな全身鎧を着て走れるということは、


 ――それが彼女の因子か。


 言ってしまえば、魔王と呼ばれる由縁たる因子。


「――〈獣神〉」

「ん?」

「わたしの先祖の、『号』」


 ――神号。


 彼女が照れとも恥じらいとも言えない、微妙な忌避の感情すら見て取れる仕草でつむいだ言葉が、メレアの腹の底に納得を落とさせる。


「そっか」


 その細身ながらのたぐいまれな膂力りょりょくは、彼女の号にまつわるものなのだろう。


「そのあたりも、気が向いたら話してよ。急がなくても、いいからね」


 メレアは言った。

 早めに聞いておきたいという気持ちも当然ある。

 その方が〈剣〉として動くときに計画を立てやすいからだ。

 だが、それは彼女の意志を捻じ曲げてまで訊くものでもない。

 そんな必要があるくらいなら、自分がその部分をカバーする。


 ――だから理想主義的なんだ。


 そう自分を揶揄しながらも、メレアはその方針を決して裏切るつもりはなかった。


「じゃ、ひとまず今日も遅いし、ていうかそろそろマリーザが最後の掃除を終えて上に戻ってくるだろうから俺は急いで自室に――」


 メレアとアイズのメイド、そして星樹城における家政婦長ハウスキーパーとしても活動するマリーザは、いつも晩餐会のあとに魔王たちが使った共同スペースの掃除と点検を行う。

 それを終えると、ようやく自室へと戻っていく。

 彼女の部屋は四階の、メレアの部屋の真下だ。

 となれば、彼女は階段を使う。

 つまり、ここでばったり会ってしまう可能性があるということだ。

 

 メレアはそれを察して、アイズとシラディスに挨拶をしながら、足早に窓辺に向かった。

 首だけを二人の方に向けながら、足は窓辺に向かう。

 そして――


「じゃ――」

「じゃ、って、どこへ行くおつもりですか? こちらは階段ではありませんよ?」

「……」


 メレアは自分が足を掛けようとした窓辺の方向から、冷たい声が飛んできたことに気づいて、そのままギギギ、と錆びついた鉄製の扉を開けるがごとき動きでそちらを振り向いた。


「……や、やあ」

「やあ、ではありません。また大星樹の枝に乗って五階まで行こうとしましたね?」


 そこにはマリーザの姿があった。

 なぜか先回りして窓の外に立っている。


「してないしてない。窓から……景色をね? 見ようとね?」

「ならその上げている片足はなんなのです?」

「これは……えーっと」


 メレアの警笛は逃げろと騒ぎ立てていた。

 言い訳は無理そうだった。


「もしかしてそれ、わたくしの方に向けているということは、やっぱり舐めてもいいんですか?」

「や、やめろっ!」

「――冗談でございます」

「今いうまでに間があった……」


 マリーザは窓外の大星樹の枝に立ちながら、口元を純白の手袋つきの手で覆い、もう片方の手で「またまた」と演技にすら思えないべたな手振りを見せている。

 動きはそんなだが、目はさほど笑っていなかった。

 汚れ一つない白皙に乗った妖艶な紫の瞳は、妙に熱っぽいものを湛えてメレアの足を見ていた。


「階段使おうね!」

「最初からそうすればいいのです」


 メレアが踵を返したことにうなずきながら、少し残念そうな表情を見せたことを、アイズとシラディスだけは見ていた。


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