第53話「不甲斐ない、王にとっての」

「フリードマンは……どうなった」

「……殉死いたしました」

「……そうか。やはりおれは――地獄行きだな」


 ハーシム=クード=レミューゼ。

 レミューゼ王国の第三王子は、王国を昨日のうちに出発し、今まさに魔王たちのもとにやってこようとしていた。


 ハーシムが引き連れているのは現レミューゼの全戦力である。

 周りに見えるのは騎兵ばかりで、歩兵はだいぶ後ろを走っていた。

 仕方がなかった。

 ハーシムには時間が無かった。

 馬を飛ばして、とにかく急いで魔王たちのもとに行く必要があった。


「くそっ! あの愚鈍な豚が最後のあがきなど見せなければ……!」


 現時点でハーシムは、レミューゼの臨時の王として君臨していた。

 臨時といっても、戴冠式を経ていないだけで、ほぼ名実ともに『王』である。


 クーデターは成功したのだ。


 ついに父を玉座から引きずりおろし、民の総意のもと、その位置へ登りつめた。

 国内クーデターの方策は、そこまで難しいものではなかった。

 ハーシムにとっては三ツ国を味方につける方がよほど気をつかった。

 ほとんどが当初の方策どおりにいったが――ただ一つ。


 予想外の反撃を受けてもいた。


 さすがのハーシムをしてまったく予想だにできなかった反撃だった。

 それがハーシムの貴重な時間を思わぬ方向から削っていた。


「馬を殺すとは……! あそこまで愚かになれるならいっそ最初からゴミ溜めを自分の王宮だと思って生きていてくれた方がマシだった! なにがどうなればあんな考えが浮かぶのだ!!」


 レミューゼ王は、まるでハーシムの思いどおりにはさせまいと言わんばかりに、数少ない部下を使ってくたびれた兵舎の馬を殺し、さらに可能なかぎりの手回しで国内の馬を手にかけた。

 どこからそんな考えが生まれて、どんな執念でもってそれをなしたのか、まるで見当がつかない。

 狂人という言葉すら、生ぬるい。

 

「疫病神だ! あれこそ世界の害悪だ!!」


 ハーシムは当然のごとく激怒した。

 激昂し、父の腕を問答無用で斬り飛ばした。

 そのあとで顔面を踏みにじり、罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせかけた。

 それでも足りなかったが、ちょうどそのあたりで報告が入った。


 『北からムーゼッグの騎兵が駆けてくるのを見た』

 という報告と、


 『西から魔王一行が姿を現した』

 という報告である。


 ムーゼッグから出立した大隊がどういう軌道を取っているかは当然調べさせていたが、情報の伝達誤差もあって全容は霧に包まれたような状態だった。

 魔王たちの進行状態も同じくである。

 それが同時に確定した瞬間だった。


 レミューゼ西北の荒野地帯を、砂塵をまきあげながら駆けてくる軍勢。

 そして西から野をかけてやってくるのは、思ったよりもずっと早い到着の魔王一行。


 ハーシムの頭の中に、報告から逆算した位置関係が一瞬にして浮かぶ。

 さらに、二勢力の大まかな進軍速度を以前の報告との時差から暗算で算出し――


 ハーシムは焦った。


 初めて焦った。


 ――レミューゼに近すぎる。


 つまり、三ツ国から遠い。

 ハーシムが予感していた開戦場所は、悪い意味で当たりそうだった。

 加え、馬の絶対数が減ったせいで満足な高機動戦力を出せない可能性がある。

 ただでさえ地力で劣っているのに、さらに減った。

 

 とはいえ、頭を抱えていても現状は良くならない。

 ハーシムはすぐに風鳥を使って三ツ国に伝書を送らせた。


 『態勢が整っていなくてもいいから、今すぐに援軍を送れ』


 当然ながら、実際の文書にそんな焦燥を滲ませるわけにはいかなかった。

 キリシカへの確約がある。

 戦場に魔王とムーゼッグ軍が居合わせる状況になれば、ひとまず四王会談でのハッタリに対する論拠は取れるが、場合によってはかなり気を遣うことになるだろう。


 しかしそんな先の不安よりも、まずは魔王を救わなければ意味がない。

 最優先すべきはそれだ。

 あとのことはどうとでもなる。


 そう自分に言い聞かせながら、あわよくば彼らがすでに準備を終えていて、揚々ようようとそれぞれの母国を発っていることを祈った。


 その後、ハーシムはすぐに出立の準備にかかる。

 出せる戦力をすべて招集し、引退したかつての兵士たちをも呼び寄せた。

 そのほとんどはハーシムの人望によって自然的に集まってきた兵士たちでもあったが、ハーシムとしては申し訳なさでいっぱいだった。

 自分たち若い者が、それも王族のように国を守るべき立場の者が、これまでのレミューゼを陰ながら背負ってきてくれた老齢の者たちを、再び戦場の矢面に立たせようとしている。


 不甲斐ふがいなかった。

 どうしようもなく、不甲斐なかった。


 それでもハーシムは心を鬼にして、彼らを引き連れた。

 そして――


◆◆◆


「死なせてしまったか。『若い者が死ぬよりずっといい』などと彼らは笑っていたが、彼らだって……先を……」


 ハーシムは馬上でアイシャの報告を受け、声に暗鬱としたものを混じらせた。

 もしかしたらそれは、クーデターを計画してから初めてハーシムが見せた消沈の表情だったかもしれない。


 ハーシムはその老齢の者たちの『進言』を受けて、十数人の老齢の兵士を先に行かせた。

 ハーシムは突出できない。

 そもそも、仮にもいまや王であるのに、王本人が戦場に出てきてしまっていることすら例外的なのだ。

 だが一つでも多く手が欲しい現状、そしてまた衝動的にも、ハーシムはジっとしていられなかった。

 ゆえに、周りを大勢の兵士に守られながら、荒野を行く。

 レミューゼ兵士たちの慣れない編隊行軍をどうにか維持させながら、可能なかぎりの速さで進んだ。


 そんな中、老齢の兵たちが笑って言った。


『偵察に行ってまいります、殿下。――いえ、今は陛下でございますな』


 ハーシムは最初、それを制した。

 偵察ならアイシャの部下たちに行わせている。

 しかし老齢の兵たちは首を横に振った。


『陛下。アイシャ嬢の密偵たちではいざというときに威力的な偵察ができないでしょう。そのいざというときに手を出せないことが、命取りになるやもしれません』


 まっすぐな目でそう言われ、ハーシムはうなずくしかなかった。

 積極的に戦を経てきたわけではないにしろ、それでも戦士としては彼らの方が上手だ。

 なにより、彼らは引きさがりそうになかった。


『陛下は今のうちに、若い兵士たちに兵法を。ほとんど時間はありませぬが、なにもしないよりはずっとマシでしょう。――陛下は優秀でいらっしゃる。一人で政戦も実戦もとなるとずいぶん荷が重いかもしれませんが、陛下ならきっとやり遂げられると信じております』


 最後にそんなことを言って、老齢の兵たちは馬を駆った。

 ハーシムはただ、彼らの背を黙って見送るしかなかった。


◆◆◆


「フリードマンたちは、最初から死ぬつもりだったのだろうか」

「いいえハーシム様。あの方たちは生をみずから諦めるような方々ではありません。そうでなければ、ここまで生きてこられなかったでしょう」

「そう……だな。……お前は強いな、アイシャ」


 そんな彼らの殉死を知ったのが、この瞬間だった。

 アイシャの部下たる密偵たちが、前方の情報を持って帰ってきたのだ。

 それは戦場が近い証拠でもある。

 ハーシムは気を引き締めようと思うが、身体は別の意味で締めつけられたようだった。


「ハーシム様……、お手を」


 すると、その隣で密偵の黒装束に身を包んでいたアイシャが、ふとハーシムの異変に気づいた。

 ハーシムは左手で手綱を握りながら、自由にした右手で拳を握りこんでいた。


 そしてその拳の内側から、血が、にじみだしていた。


 馬を横に寄せたアイシャが、馬上でハーシムの右手を取り、一本一本指を解いていく。

 すさまじい力で握り込まれた手の中は、爪が食い込み、やはり血にまみれていた。


「おれは――」


 ハーシムはアイシャの顔を見た。

 近場にアイシャ以外の姿はない。

 不本意ながら、アイシャの部下が持ってきた報告が『よくない報告』であることをあらかじめ察していたハーシムは、兵士たちの士気を下げさせないように近衛隊をやや後方に遠ざけていた。

 感情と理性を明哲めいてつに分離させられるハーシムがゆえに、冷静な部分がそうさせた。

 ハーシム自身はそんな自分のさがを、そのときばかりは疎ましく思った。


 いまさらだ。

 いまさらだが、自分を冷徹な男だと思った。

 混迷する時代に唯一絶対の道徳などを説くつもりはない。

 しかし、大半の道徳規範に照らしてみれば、きっと自分は非道な男だろう。


 ともあれ、こんな状況だから、小さな声で話せばアイシャにしか言葉は通るまい。

 ハーシムは一瞬――


「――」


 弱音を吐きそうになった。

 そしてまた、そんな自分に気づいていた。


 だが、ハーシムはすんでのところで思いとどまる。

 言わなかったし、言えなかった。

 そんな衝動的な部分にまで、自己に対する客観視が届いてしまうからこそ――。


 アイシャならきっと、受け止めて慰めてくれただろう。

 だが、自分は今それをするべきなのか。

 なにより自分は、弱音を吐いていい立場にいるのか。


「ハーシム様……?」

「――いや、なんでもない」


 わからない。

 だが少なくとも今は、その必要はない。

 数瞬ののち、そう確信した。


 まだ自分は出発すらできていない。

 この序幕最後の戦いを越えなければ、レミューゼはまともな国として世界に再誕の産声をあげられない。

 泣き言は、とむらいは、これが終わったあとでいい。

 きっとその泣き言も、誰にも聞かせられないだろうけど――


 ――お前がそう、決めたのだ。


 ハーシムは前を見た。

 

 そうしてついに、その視界の奥に、たったの二十人ほどでその何十倍もの黒鎧たちと対峙する者たちが見えた。

 黒い鎧は強国の証。対峙する者たちの先頭に対照的な白い色。

 ムーゼッグの色。レミューゼと同じ色。

 紋章旗。〈白帝〉を想起させる髪。

 

 その対峙が、ハーシムにえもいわれぬ歴史的な系譜を想起させた。

 黒と白の対峙は、かつて起こった大きな事件の象徴でもある。

 そこに今、白の紋章旗を背負って自分が踏み込もうとしている。


 ――おれたちは互いに傲慢ごうまんだ。


 ハーシムは心の中で言葉を紡いだ。


 ――だが、おれとお前たちとでは目指す場所が違う。

 だからおれは――


◆◆◆


 その傲慢を否定しよう。


◆◆◆


 ハーシムは胸に抱いた思いに鋭い刃をくくり付け、心の中でその黒い紋章旗へと投げつけた。

 そしてまた、脳裏に浮かべたある一人に向かって、最後に言葉を紡いだ。


「お前はそこで、なにを目指しているのだ。あのときから年月を経た今こそ、お前の答えを聞けるのだろうか。――『ブラッド』」


 小さな言葉は、蹄鉄ていてつの音にまぎれて消えた。

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