召喚編 1-5 大樹

馬車の中で揺られながら、春樹はぼーっと外を眺めている。

広い平原、遠くに見える山々。

現実世界ではほとんど見られないような美しい風景が、ゆっくりと過ぎ去ってゆくのを見送る。



頭の中では、昨日の夜の出来事がぐるぐる回っていた。

状況を聞かされた時、春樹はゾッとした。

そのせいで朝は何にも喉を通っていない。


本当に狙われた…ルシファリスの言う通りに…


いまだに感じている得体の知れない何かに、常に監視されているような圧迫感。



「これが現実よ。」



ルシファリスに言われたその言葉は春樹にとって衝撃だった。


フェレスとクラージュが助けてくれなかったら…

今自分はここにいない。

もしかしたら殺されていたかもしれない。


そう考えると、恐怖で部屋から出ることができなかった。大樹へ行くことなどどうでもいいと思った。


"死にたくない"


部屋の隅で膝を抱え、心の底からこみ上げてくるその感情に、ただただ押し潰されそうになっていた。



結局、ルシファリスがクラージュへ命じ、春樹は強制的に馬車に乗せられて、今ここにいる。


揺れる馬車の中、そんな春樹を見兼ねてか、クラージュは気にかけるように声をかける。



「ハルキ殿、あまり考えすぎませんよう。」



その言葉に、春樹は反発しそうになる。



「無理でしょ!?誘拐されそうになったんですよ!?もしかしたら殺されてたかもしれないんだ!考えない方がどうかしてる!!」



春樹はそう言いたい気持ちを抑え、



「ええ、そうですね。」



とだけ呟く。


街を出てから、だいぶ進んできたと思う。

時刻はそろそろ正午になる、らしい。

御者曰く順調に進んでおり、このまま行くと昼を大樹の麓で食べることになりそうとのことだ。


空を見上げると、空一面に広がる大きな雲が、春樹を見下ろしている。



「少し、昨日の話をしましょうか。詳しい情報を聞けば、ハルキ殿も少しは気持ちを整理できるでしょう。」



クラージュからの提案を素直に受け入れる。



「ハルキ殿を誘拐しようとした輩は何者かはわかっておりません。」

「え?!」



いきなりの原因不明発言に春樹は、不意を突かれた。



「普通ここは『正体はなんとかです!』的な話から始まるんじゃないんですか!?」



クラージュは笑顔で答える。



「おっしゃる通りですな。しかしながら、その者に関しては手がかりがほとんどないのです。」



クラージュは髭をさすりながら続ける。



「実は、私は館内で足止めを喰らいまして。フェレスが時間を稼いでくれたおかげで間に合ったのです。」



クラージュの言葉に再びゾッとする。

しかし、すぐさま切り替え春樹は冷静に考える。



「敵は単独ではなかった…?」


「左様で。別のローブの者5名に襲撃を受けまして、助けに行くのに少々時間を要してしまいました。」


「…」


「その5名は捕えましたが、今朝、牢で死んでおりました。夜の間にフェレスが尋問したのですが、どうにも口が固く、一旦仕切り直した矢先のことです。」


「…本当に何の手掛かりもなかったんですか?」



春樹はクラージュを見据える。

クラージュは笑顔のまま、話を続ける。



「5名とも全てスヴァルの者たちでした。」


「スヴァルというと…ダークエルフ族?」


「そうです。まぁそこから推測できるのは…」



そう言ってクラージュは視線を外へ向ける。



「スヴァルが動いているということは、今回のことはおそらく、ヘルヘレイムが裏で糸を引いている可能性が高いのです。」


「えっと…ヘルヘレイムと言うと…悪魔族のですか?」


「そうです。ヘルヘレイムとスヴァルは今でも親交が深いと言われております。」



”悪魔”という相変わらずも恐怖を煽るようなフレーズに気づかないふりをしつつ、春樹は思考を巡らせ、ぶつぶつとつぶやき始める。



「ということは、あのローブはヘルヘレイムの刺客?…でも何故こんなにすぐ、俺が異世界人と気づけたんだ…。ヴォルンドの街に来て2日目の夜。大樹の前に倒れていたのを見られていた?これが一番確率が高いか…。クラージュさんやルシファリスが、俺を保護するところを見ていた。その前ならば連れ去るか、殺せばいいばいいはず…クラージュさん、アルフレイムからヘルヘレイムまではどれくらいで行けるのですか?」


春樹は浮かんできた疑問を投げかける。


「1日程度ですね。」


「ならやっぱりそこを見られていて、仲間を呼んで俺を殺しに来たというのが、1番確率が高いでしょうか。」


「うーん、それはどうでしょうか。」



春樹の考えに対し、クラージュが異議を唱える。



「どうしてです?」


「引っかかるのは、私のところに5名の者たちです。」



理解できていない春樹をよそ目に、クラージュは続ける。



「まず、奴らはその場でハルキ殿を、殺さなかった。ということは連れ去ることが目的だったということが前提です。」



春樹は頷く。



「おそらくあのローブの者は、5人の刺客が私を足止めするたった少しの時間で、充分ハルキ殿を連れ去ることができると考えていたんでしょう。ということは私がいることを含め、こちらの戦力を知っていた。時間をかけて調査し、計画されていたことでなければ、そんな確証は得ないはず。そもそも、刺客たちは爆発音と同時に、私がハルキ殿や門から、一番遠く離れる位置にいるところで現れましたから。」



そう言ってクラージュは春樹の方へ向き直る。



「しかしながら、あの者の見立てより、私が刺客を倒す方が早かったというわけですな。」



クラージュはニコッと笑顔になる。



「…はっはは。」



その笑顔を見て春樹も苦笑いになる。



(…俺が現れる前から、計画されていた…?現れることを知っていたのか?)



春樹の中で、疑問が膨らんでいく。



「到着のようですな。」



クラージュがそういうと馬車が停まり、ドアが開いた。




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





目の前に大きな木。

いや推定樹齢何億年だろう、木という言葉が似つかわないほどに太く雄大な幹が、視界と春樹の心を壮大に埋め尽くしていく。


首が痛くなるほど上を見上げれば、大きな葉と枝の間から太陽の光が散り散りに光り輝いている。

そうした大樹の葉の間を、気持ちの良い風が吹き抜けていく。



「…でっけぇ…」



春樹はその荘厳さに圧倒され、そう呟いた。



「まずは腹ごしらえをしましょう。」



クラージュが声をかける。


一同は通ってきた街道から、大樹の方へと少し入り込んだ場所に陣取っている。


地面を盛り上がらせながら、その一部を見せつけている大きな根の上に、シンプルにもエレガントに準備された敷物が敷かれており、春樹はその上に腰を下ろした。


周りを見渡すと、休憩している者や大樹の方へと進んでいく一行など、春樹たちの他にも多くの人々がいるようだ。


周りの様子に見入っていると、御者からサンドイッチを渡された。

春樹は再び大樹を見上げながら、それを口へと運ぶ。



「ーーっ?!うまい!」



勢いよくペロリと平らげてしまった。



「これらはフェレスがこしらえてくれました。」


「フェレスさんが!?」



皿の上に並べられたサンドイッチを再び手に取り、今度は具材を確認しながら味わっていく。



「鳥の燻製肉とレタスにマスタード、それと自家製のソースで味付けをしております。」



ピンク色の飲み物を注ぎながら、クラージュは丁寧に説明する。



(さすが、執事というだけあって様になるなぁ…)



クラージュの仕草を見て、そう感じている春樹に、



「それほどでもございません。」


「ぶーーーっ!」



クラージュは"おやおや"と言わんばかりに注いだグラスを置き、春樹へとハンカチを渡す。

それを受け取りながら、



「やっぱりクラージュさんて、心を読んでますよね?」



と問いかけるも、クラージュはいつもの笑顔で切り抜ける。


和やかな雰囲気の中、昼食を終える。


少しの小休止。


幸せな気分に浸っている春樹に向かって、クラージュが視線を送る。


それに気づき、春樹はコクっと頷き、立ち上がる。



「さてと。目的を達成できればいいんだけど。」



春樹はグッと背伸びをしながら呟く。



「ここがまず一歩、と言ったところですかな。」


「そうですね、何かわかるといいんですが。」




クラージュの案内のもと、一行はその場所へと歩き始める。


盛り上がる根を避けながら少し歩くと、根に囲まれた広場に出た。



「あの、一番盛り上がっている根の部分。そこにハルキ殿はうずくまるように倒れていらっしゃいました。」



クラージュが指を指すその先には、根っことはとても言い難いほど地面から大きく盛り上がった幹が、悠然と春樹たちを見下ろしている。



「あの上ですか…ていうか、よく俺を見つけれたもんですね。」


「青く光ってましたから。」


「えっ?!青くっ!?」


「はい。遠目で見てわかるほどに青く光っていました。」


「…そう…ですか…ハハ。」


「まぁ、その話は今は置いておきましょう。」



クラージュは笑顔でそう言うと、目的の場所に視線を送る。

春樹も気を取り直し、同じく目的の場所へ視線を向ける。



「…高いなぁ。」



どうやって登ろうか春樹は思案する。

すると、



「では、少し失礼して。」



と言い、クラージュが春樹の肩に手をかけた。



「…え?」


「昨日はこれより高い所から落ちたのです。これくらいの高さならば、どうってことないでしょうな。」



向き直る春樹の視界に、クラージュの笑顔が映った瞬間、まるで大男が投げた砲丸投げの球のように体が吹っ飛ばされる。



「どわわわわわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」



耳の周りで、切り裂かれるように風が鳴っている。

綺麗な"C"の文字を描いたまま、風圧で手足も自由に動かない。

しかし、涙目の視界だけは鮮明で、同行していた御者が小さく手を振っているのが見えた。



(え?…これ…空…飛んでね?)



そう思った矢先、体が風圧の呪縛から解かれる。

頭がぐるりと進んでいる方に向いて、目の前に大樹の幹が現れる。

不意に訪れた自由に手足を動かすも、羽をもがれた蟻のように空中をもがくことしかできない。

そうしているうちに、目的の根っこの上にクラージュの姿を捉えた。同時に、今度は重力に手繰り寄せられ、体がそちらへ向かって落下していく。


胃がきゅぅぅぅっとなる。昨日も感じた落下感。



(やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい!)



根っこの表面ががどんどん近づいてくる。


激突する!


そう思った瞬間、



「ぐぇっ!」



クラージュにキャッチされ、春樹はその場にストンと降ろされた。

体中から汗が噴き出す…動悸が止まらない。



「はぁ…はぁ…はぁ…」


「少々悪ふざけが過ぎましたかな。」



少し謝罪まじりのクラージュの笑顔に対し、春樹は俯いたままだ。



「…ぎ……は…」



息も切れ切れの春樹にの言葉にクラージュは耳を傾ける。



「次からは、投げる前に言ってください…」



他人が聞けば、少しMっ気を感じるようなその言葉に、クラージュは髭をさすりながらニコッと笑った。


春樹は恐怖を吐き出すように大きくため息をついて、震える足に気合を入れ直す。


立ち上がって周りを見渡す。

特に変わったところはないなと思いつつ、ひとつだけある点に気づく。


一面に木々が生え、花々が咲いているのだ。



「…ここって、根っこの上ですよね?」



クラージュへと疑問を投げかける。



「左様で。大樹には自然を育む力があるようです。ですから、自らの根の上にも草木を生やすようですな。」


「自然を育む…力?」


「大樹の周りをご覧ください。この周辺数十キロに渡って人は住めません。一度、村が起ったことがありますが、一年経たずに森に飲み込まれました。まるで、人の侵入は許さないと言わんばかりに。」


「でも、人が通る道はなんともないけど…俺らは街道を通ってきたわけだし。」



少し離れたところに見える街道を指差し、春樹はクラージュへ問いかける。多くはないが、人や馬車が行き来しているのが伺える。



「あれは整備したというよりも、人の往来でできた道ですからね。例えば石畳のようなもので整備しようとすれば、すぐ草木に飲み込まれるでしょうな。」



そういうものなのかと春樹は頷く。



「大樹の力を推測で話すってことは、なぜなのかはわからないってことですか?」



その言葉を聞いて、クラージュはニコッとだけ笑う。



(…確かに…この議論は今することじゃないか…)



そう思い、今やるべきことへと目を向ける。

再び周りを見渡してみると、もう一つあることに気づいた。

一部だけ草木が生えておらず、その中心に一本の木が静かに佇んでいるのだ。



(…あの木…どこかで見たことあるような…)



思い出そうとするが全くできない。

目を瞑ってじっと考える春樹に向かって、クラージュが声をかける。



「あの木の下ですよ。ハルキ殿を見つけたのは。」



そう聞いて、春樹は目を開いて再びその木を見る。

静かに通り過ぎていく風に、葉をなびかせているその木は、不思議と春樹を呼んでいるように思えた。


春樹が進むと、クラージュがそれに続いた。


自分が蹲っていた場所をクラージュから聞き、その周辺をくまなく調べてみる。

木の幹、枝や葉、登ってみて上から見下ろしたり、周囲の砂や石を観察してみたりもした。

しかしながら、手がかりになるようなものは見つけることができなかった。



「何かありましたかな?」



一通り調べ終わった頃、クラージュが問いかける。



「全くといっていいほどなんもないですね。」



春樹は、ふぅっとため息をつく。


なんとなく予想はしていた。

手がかりになるようなものは見つからないだろうと。



(あぁ、そうか。俺は怖かったんだな…)



朝感じていた恐怖は、昨日の経験だけのものではなく、現実を突きつけられることを恐れてもいたのだと、春樹は今になって気づいた。


再び大樹を見上げる。


大樹は先ほどと変わらず、静かに雄大にこちらを見下ろしている。


無意識に暖かいものが頬を伝っていく。

なぜか胸が暖かい。

見守られているような、そんな感覚が胸をくすぐる。


風が、春樹を慰めるかのように、静かに髪を撫でながら通り過ぎていく。



「クラージュさん、行きましょう。」


「もう、よろしいので?」


「もっと調べたいとは思います。だけど…たぶん何にも見つからないと…なぜだか確信があるんです。」


「…そうですか。では。」



春樹とクラージュは、その場を後にして御者のまた場所へと戻っていった。



春樹達が去った後、春樹が下で蹲っていた木の葉から、一粒の滴が流れ落ちる。

まるで、なにかを悲しんでいるかのように流れ落ちたその滴は、静かに地面に落ち、小さなシミを一瞬だけ残して消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る