異世界人はこの世界を愛してるⅡ

MACK

第一章 思い出のひとかけら

第1話


 この日は霧雨が朝から降っていた。細い雨は地面に落ちる音を立てない。

 

 春先の少しだけ冷え込むこの日、城の方から質素なローブ姿の魔導士が人目をはばかりながら出て来た。


 城下町のはずれの墓地の一画に、白い花の多年草が植えられた場所がある。季節を問わず咲く花なので、いつ来てもこの区画だけ花があふれている。特に墓碑もなく、ただ花が咲いているだけの場所だが、彼にとっては、とても特別な場所だった。


 魔導士は、ひとしきりその前に立つだけである。特に何をするでもなく、自分の後悔だけをかみしめる。紫の瞳は暗く影を湛える。


 特別なこの日以外、彼はほとんど部屋から出ずに過ごしている。文献を調べ、太古の魔法についての造詣も深めなければならないし、新しい魔法の開発もしなければならない。魔法を使っての調剤や、魔法の発生理論を紐解くための実験も必要だ。


 自分の魔力量を増やすための鍛錬も欠かせない。


 倒れる限界まで魔力を使い切ると、そのたびに少しずつ容量が増える事は判明しているが、この、限界まで魔力を使い切るという事が、高位の魔導士になるほど難しく、辛い作業になっていく。

 実際に血を吐く事もあるし、数日起き上がる事さえ困難になったりもする。その積み重ねで、魔導士は魔力量を増やし、その位を上げていくのだ。


 そしてこの魔力量は、子供に遺伝していく。十の魔力を持つ魔導士の子は、十からスタートする。その子が十二まで高め、子を成せば、その子は十二から、というように、先祖代々積み上げてきた。


 この魔導士の家系も例外なく、その積み重ねた歴史があった。


 彼の名はセトルヴィード。

 このエステリア王国にあって、魔導士の最高位である魔導士団長である。


 生まれ持った大きな力のために国に縛られ、そして血に縛られて、個人としての自由はないと言ってもいい。王都を守護する役目から、王都から出る事もままならない。

 先祖の積み上げた努力を後世に伝えるために、彼もまた、いつか子を成さなければならなかった。年齢も三十になるし、そろそろ縁談を断るのも難しくなってくる。

 弟子も取らなければならなかった。


「もう来年は、ここにすら来られないかもしれないな」


 誰に言うでもなく、彼はひとりごとを口にした。



 異世界人がくるたび、この世界に、新たな技術を伝えてくる。

 魔法がなくても良い場面はずいぶん増えてきた。

 

 魔法が使えなくても火をつけられるし、荷物を運ぶこともできる。魔法量を増やす鍛錬をしなくても、道具で補っていけるのだ。マッチ等はもう随分、民衆の間に普及してしまって、火種の魔法等とという小難しい癖に基礎的な生活魔法は、どんどん廃れてきてしまった。

 今では鍛錬をしようと努力する者も少なくなってきている。


 異世界人の技術の事を考えると、自分の苦しい鍛錬の日々が、いつか無駄になるのではないかと思えてきて、なんとも言えない気持ちになる。

 近い未来ではないが、いずれその日が来るのは間違いないだろう。


 そういう事もあって以前は、異世界人と聞くだけで嫌悪感があった。


 だけど。


 最初は目障りに団の区画をうろうろする、異世界人の女がいると聞いて、もう二度と足を踏み入れさせないつもりで会ったのだが。

 彼女は健気に震えを隠す、無力な娘でしかなかったという。


 会うたびに魅力を感じ、もっと長い時間を共に過ごしてみたいと思ってしまい。


 これからも少しずつ近づいて行ける予感がして、焦る必要はないと思っていたが、運命は、あっという間に彼女を攫っていってしまった。


 特定の誰かを彼女が選んだのなら、諦めもついただろう。

 だけど彼女の広すぎる視野の中にあっては、特定の誰かが、特別な存在になる事はなかったように思う。



 雨の中、長孝していたせいか体が冷えてきたように思え、霧雨も雨粒を大きくしていたから、魔導士がそろそろ帰ろうと思ったとき、人の声が聞こえた。こんな外れにある墓地へ、雨の日に来る物好きが自分の他にもいるという事に興味を惹かれ、足は自然と声の方に向いた。




 声は葬儀等を行う礼拝所の中から聞こえてきた。

 開きっぱなしのドアをそっと覗き込む。

 

 雨よけの外套を羽織っている二人の騎士と、この礼拝所を管理している老魔導士のようだが、何かトラブルがあったようだ。

 間に入るか、無視するべきか、ひとしきり悩んでいたが、同じ魔導士である老人に加勢すべきだろうかと、一歩進んだところで水たまりを踏み、ピチャっという軽い水音を立ててしまった。


 それに気づいて、こちらを見た騎士の一人と目が合ってしまう。

 お互いしばし、見つめ合う。

 

「セト……ッ」


 灰色の瞳の騎士が言いかけて、慌てて自分で自分の口を両手でふさぐ。

 もう一人の黒髪の騎士もこちらに気付き、目を見開いて、「あっ」という形で口を開けた。


 思いきり、銀髪の魔導士にとって見覚えある二人だった。

 以前は全くと言っていいほど付き合いがなかったが、今では二人とも役職の地位が高く、会議で会う事もある。会えば多少の言葉は交わすが、特別親しいという関係までには至っていなかったが。


 二人の騎士が、この日、この場所に来ているのは、不思議ではなかった。

 それに、セトルヴィードがここに来ていてもおかしくないと、この二人なら理解しているはずだった。


 その二人がなぜ、自分を見てやたらと慌てふためいているのがわからず、彼はそれ以上進む事はできず、立ち尽くした。


 騎士二人は老魔導士にいろいろと説明をしている様子だが、雨が強くなってよく聞こえない。


 立ち去ったほうがいいのだろうかと、踵を返しかけたとき、騎士は説明を終えたらしく、外套のフードを急いで被りなおしたと思うと、外に飛び出して来た。

 黒髪の騎士がぐっとセトルヴィードの右腕を掴んで引っ張り、耳元でささやく。


「閣下、失礼します、ちょっとこちらに!」


 黒髪の短髪、黒目のこの騎士は、名をコーヘイと言って、この国の騎士団にあって、防衛を担う隊を率いる副団長。異世界人である。

 明るい茶色の髪を後ろに束ねた、灰色の瞳の騎士は、セリオンと言い、こちらも副団長である。この男は何やら、毛布の塊を大事そうに抱えているのが気になる。


 礼拝所から離れた林のそばまで、魔導士は引っ張って行かれた。雨がずいぶん強くなり、この程度の木立では雨宿りにはならなさそうだったが。


「どうしましょう、セリオンさん」

「どうしようっておまえ」


 お互い、相手に言わせようと押し付けあってるようだ。

 銀髪の魔導士は、冷静で頭の良い人物であるが、騎士団の副団長たる地位にある二人の、この不可解な態度に、今はひたすら怪訝な顔をするしかない。

 しかもコーヘイの手は、セトルヴィードの右腕を掴んだままだ。連行されたようで気分も悪い。


「すまないが、説明が欲しい」


 無意識に、声のトーンが落ちる。

 騎士二人は同時に魔導士を見て、意を決したようにセリオンが咳払いをする。

 あえてうやうやしく言葉を発する。


「えー……団長閣下は、大変責任感が有らせられると思いますので、何かの間違いだとは我々も理解しているつもりです」

「何が言いたいんだ、はっきりしてほしい」


 セリオンは抱えていた毛布の塊を、もそもそと開いて中に包んだ……女の子……をセトルヴィードの眼前に捧げ上げて見せた。

 毛布の中で眠っているのは三歳ぐらいの女の子で、まっすぐなサラサラの黒髪は肩にかかり、まつ毛も長く色白で、ちょっと痩せてはいるが顔立ちはずいぶん整って、人形のようだ。将来とてつもない美女になりそうに見える。


「異世界人……か……?」


 なぜこの幼女が自分に関係あるのか、さっぱりわからず固まっていると、女の子がもぞもぞと動いて、目をこすりはじめた。

 眠りから覚めたようで、その瞼を上げ、目の前のセトルヴィードの顔を覗き込んだ。


 紫の瞳と、紫の瞳が見つめ合う。


 全く同じ色だ。そして信じられない事だが、顔立ちも似ている気がする。


 コーヘイが、おずおずと言う。


「誰に産ませたんですか……」


 気まずい空気が流れる。

 銀髪の魔導士は、意外する出来事に眩暈がした。


「どこか、どこかで、落ち着いて、話をしたい」


 セトルヴィードは、この場ではこれを言うのが精いっぱいだった。

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