17嫁 獣娘ナミル(3) 登頂開始
「うええー。気持ち悪いのだ。あの箱の中は変な臭いがするのだ!」
ナミルはそう言って、肺の中の空気を入れ替えるように大きく深呼吸する。
車という鉄の箱から眺める景色はおもしろかったが、尻がむず痒くなるような独特の振動と、薬のような変な臭いは結構こたえた。
「ごめん。配慮不足だった。ナミルの感覚が鋭敏なことを考慮して、酔い止めも買っておくべきだったな。大丈夫か?」
「……大丈夫なのだ。ちょっと休めばすぐ復活するのだ。どっちにしろ、急に高い所に登った時は、馴染む時間をとった方がいいから、無駄にはならないのだ」
獣人のナミルなら30分もあれば十分だが、ヒューマンなら1~2時間といったところだろうか。
ともかく、身体を薄い空気に慣らしておいた方が安心だ。
「ああ。チキュウで言うところの高山病への対策だな」
「そういう名前なのかー。じゃあ、その『コウザンビョウ』に効く体操をするゾ。じゃんも一緒にやるのだ」
「おう。いいぜ」
ジャンと手を合わせて伸びをしたり、背中をくっつけて体重を預け合ったり、やっぱりこうやって触れ合っているとツガイという感じがしてとても気分が良い。
「次はツボを押すゾ。毛穴を閉じて熱をたくわえやすくするツボなのだ」
ナミルはそう言って、手の平に親指を当てて実演して見せる。
獣人は、ヒューマンやエルフのように魔法が得意な者はとても少ない。
その代わり、最大の武器であり、他種族よりも優れている身体能力を最大限に活かす技術を磨いてきた。
戦争がいっぱいあった時代には、最前線で戦う傭兵として活躍していたこともあったけれど、ジャンのおかげで世界が平和になってからは、随分と出番は減った。
稼げなくなったとこぼす男たちもいたけれど、ナミルはやっぱり今のままの平和がいいと思う。
戦争がいっぱいあった時代のナミルの仲間は、どうせ獣人の寿命は短いのだからとヤケになったような生き方をするようなのが多くて、みんなどこか、寂しそうな目をしていたから。
「なんか効いている感じがするな。ちょっと痛いかも」
「それは疲れている証拠なのだ。ジャンは働き過ぎだゾ。ナミルがマッサージで疲れをとってやるのだ」
「おおお、すごい気持ちいい」
ツガイに喜んでもらえれば、ナミルも嬉しい。
そんなこんなでジャンと触れ合っていると、あっという間に一時間が経った。
「じゃあそろそろ登るか?」
「了解なのだ! 早く登るのだ!」
「よし。じゃあ、ナミル。俺に登山のこつを教えてくれよ」
「? ジャンは山登りが得意なのだ。ナミルが教えるまでもないゾ」
獣人でもないのに、ジャンはナミルが舌を巻くほどに山に詳しかった。
本当にナミルのツガイは何でもできるので、すごくかっこいい。
「まあそうなんだけどな。やっぱり山はナミルの方が専門家だから、改めて言葉にして教えて欲しいと思ってさ」
「わかったゾ! 山の斜面の様子によって登り方は変わるけど、基本的には『急がば小股』が合言葉なのだ。なるべく小刻みに、急な崖は斜めに登るのだ。焦るとろくなことがないゾ」
獣人はせっかちな者が多いので、どうしても大股の最短ルートで登りたがる傾向がある。
しかし、山というのは意地悪で、そういった横着を受け入れない。
獣人はともすれば、そういった横着すら実現する力を持っているのだが、自分の身体能力を
過信して、雑な山登りをする者は多くは早死にしていた。
『山は拙速な獣人に忍耐を教える』というのが長老の口癖だった。
「なるほどな。じゃあ、ナミルの言った通りの方針でいこう」
「おお! 頑張るのだ!」
早速ナミルとジャンは山を登り始める。
割と人の手が入っていて道がちゃんとしているので、凍った雪の滑りやすさに気をつければ、ナミルにとっては簡単な山道だった。
「登りやすい山だなー。でも、ほとんど人がいないなー」
「ああ。今は春とはいえ、まだまだ富士山は雪に覆われていて、危ないから入山が規制されているんだよ。だから人が少ない」
「へー、そうなのか。この山にすごいモンスターがいてみんな怖がっているってことはないのだ?」
「うん。チキュウにモンスターはいない。富士山で出てくる動物はせいぜい小鳥ぐらいだ」
「おー。なら安心だなー」
ナミルの故郷では、雪山そのものに警戒することはもちろん、モンスターの襲撃も恐れなければいけない大きな要素だった。
それがないというのならば、はっきり言って、かなり登山は楽だ。
もちろん油断はしないけれど、雪山そのものの危険だけを負う山登りならば、ナミルにとっては実質遊びと代わりなかった。
とはいえ……。
「結構風が強いゾ。かがんでひっくり返らないように注意なのだ」
日も落ちてきて、ジャンは頭につけた光を灯す。
「ああ」
フジサンは滑りやすくて風も強い山だ。
ナミルの故郷に比べては低いとはいっても、転んで滑って岩にぶつかれば死んでしまうかもしれない。
慎重であることに越したことはない。
最初はゆっくりと、慣れてくるに従って、徐々にペースを上げていく。
ジャンはさすがはナミルのツガイだけあって、本気のペースで登っても余裕でついてきていた。
この調子ならば夜明け前に山頂に着くだろう。
ジャンに買って貰ったお菓子を頂上で食べるのが楽しみだ。
「――ん?」
そんなことを考えていると、ナミルの視力が視界の端に異物を捉える。
「どうかしたか?」
「前の方にヒューマンの女がいるのだ。倒れているのだ」
「……本当だな。外見的にはどうやらニホンの人のようだ」
ナミルとジャンはその人影に近づいていく。
ヒューマンの年齢で、30歳前後だろうか。
「まだ生きているけど、まずいのだ。放っておいたら死ぬゾ」
目を閉じた女の脈を取って、ナミルは呟く。
ヒューマンにしては、女の装備は山を登るのに明らかに不足していた。
靴はナミルの履いている棘ネズミの靴とは違い、滑り止めのない普通の皮靴だし、着ている服も、上着がなく、これでは体温が維持できない。
「だな。明らかに登山用の装備じゃないところを見ると、どうやら事情がありそうだ」
「どうするのだ? ジャンの魔法で助けてやるのだ?」
「危なくなったらそうするけど、まだ命に別状があるほどではないな。なるべくチキュウの作法に従いたいんだが……」
「じゃあとりあえず安全な場所でテントを張って、女の身体をあっためるのだ。トロールの皮はテントにもなるゾ!」
「いいな。それでいこう!」
ジャンはそう言って、女を助け起こして背負う。
100メートルほど下り、山小屋の近くまでやってくる。
今は山小屋自体は閉鎖されているが、周りの土地が平坦に整備されているので、テントは張りやすい。
「ほっ」
ナミルは躊躇なくトロールの皮を脱ぐ。山小屋の壁を利用して皮をひっかけて、斜めにテントを張った。
女をそこに運び込んで、トロールの皮を閉じる。
ぴったりと閉じた皮は、冬の寒風を全く通さない。
「ナミル。悪いけど女の人の濡れた服を脱がして、これを着せてくれるか。男に下着を見られると女の人は嫌がるかもしれないから」
ジャンが来ていた上着を脱いで、ナミルに渡してくる。
「わかったゾ!」
ナミルは手早く女の服を脱がして、ジャンの上着を着せる。
ジャンの言う通り、濡れた服を着ていると水に熱を吸われて寒くなるから、すぐに乾いた服に着替えさせる必要がある。
「よし。俺は今から温かい飲み物を沸かすから、ナミルは身体で女の人をあっためてやってくれ」
「了解なのだ!」
ナミルは女の人を抱きしめた。
冷たい。
ジャンはその間に、背負いカバンから小さな筒を取り出して金属の器で水を沸かし始める。
前に焼肉の店に連れていった時に体験したのだが、どうやら薪ではなく『ガス』というチキュウの燃料を使ってるらしい。
薪に比べて、かさばらないから便利だとは思うけど、目に見えないものが燃えるというのは、ナミルにはいまいち慣れない。
「ん、あ……」
しばらくすると、女の人が目を開けた。
「見るのだ! ジャン! 目を覚ましたゾ!」
ナミルは喜び勇んでジャンに報告する。
「ああ! よかった――大丈夫ですか?」
ジャンも顔をほころばせて、女性に近づく。
そんなナミルとジャンを左見右見した女の人の第一声は――
「……どうして、助けたの?」
そんな訳の分からない言葉だった。
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